第10話 開戦
生存戦争、参加ゲーム決定日。
言い換えれば、真の開戦日。
雪夜はいつも通り登校して、教室で授業の準備をしていた。
いくらゲーム界隈が混乱していようが、学校が休みになることはない。
無論、ほとんどの仕事なども同様。
そう言う意味では、生存戦争が世間に与えている衝撃は、そこまで大したものではなかった。
だからこそ、断固として阻止しようとする動きがないとも言える。
一方で、現代ではゲームの賞金で生活している者も多く、決して軽んじることは出来ない。
大手メディアも面白おかしく取り上げており、GENESISや生存戦争のワードを、テレビや記事で見ない日はないほど。
また、年頃の少年少女にとってゲームは馴染み深く、学校での話題も専らこればかりだ。
生き残る為にチームを組んでいる者もいれば、早くも火花を散らしている者もいる。
先ほど、世間に与えている衝撃は大したことないと言ったばかりだが、視点を変えればそうとも言い切れない。
友人関係に罅が入ることもあるようで、どことなく教室にギスギスした空気が蔓延していた。
だからと言って雪夜が取り乱すことはないものの、全く気にならないと言えば嘘になる。
自らが当事者なのもあるが、身近な人物の様子がおかしいからだ。
「朱里、どうしたんだろうな……」
気付かぬうちに、雪夜の口からポツリと言葉が滑り落ちる。
慌てて周囲を窺ったが、幸い誰にも聞かれていないようだ。
そのことにホッとした雪夜は、再び幼馴染の顔を思い浮かべる。
この1週間、彼女の元気がない。
本人は平気なふりをしているつもりのようだが、付き合いの長い雪夜には丸わかりだった。
しかし、理由を聞き出そうとすると、毎度はぐらかされてしまっている。
だからこそ雪夜も深く踏み込めず、様子を見るしかない。
タイミング的に生存戦争関連の問題だと思うが、今のところ確証はなかった。
どちらにせよ、ここであれこれ考えても答えは出ないだろう。
そう割り切った雪夜が思考を切り替えていると、宗隆が歩み寄って来た。
ところが、普段の快活さはなく、どこか疲れて見える。
彼に関しては事情を把握している雪夜は、取り敢えず当たり障りのない挨拶をすることにした。
「おはよう、宗隆」
「よう、雪夜……。 遂に来ちまったよ……この日が……」
「生存戦争か。 大変そうだな」
「大変なんてもんじゃねぇよ! ゲームがサービス終了するかもしれねぇんだぞ!? 俺がどれだけ頑張って……あ、悪い……」
「気にするな。 俺の方こそ、軽はずみな言い方をした。 すまない」
「謝るなよ。 今のは、完全に俺が悪いんだからな。 はぁ……「全部冗談でした~!」ってならねぇかな……」
「絶対にないとは言わないが、可能性は低そうだ」
「だよなぁ……」
深く溜息を吐き出す宗隆。
かなり情緒不安定に見えるが、これは何も彼が特別だからではない。
この学校だけで見ても、相当な数の生徒が似たような状態だ。
たかがゲームと切り捨てるのは簡単だが、遊びも本気になればそれは大切なもの。
その大切なものがなくなるかもしれない恐怖は、言葉では言い表せられないほどだろう。
雪夜も他人事ではないとは言え、彼はどちらかと言うと、遊びは遊びと思っているタイプだ。
だからこそ冷静さを保っていられるのだが、その反面で熱い闘志も秘めている。
そこには、元来の負けず嫌いな性格に加えて、もう1つの要因が関わっていた。
「……そろそろ授業が始まるな」
「ん……? あぁ、そんな時間か。 じゃあな、雪夜。 俺たちが生き残るように、祈っておいてくれよ……」
トボトボと歩み去る宗隆。
その背中を見送りながら、雪夜の脳裏に浮かんでいたのは、1人の少女。
初対面でいきなり熱い想いをぶつけて来た、ケーキだ。
あれから1週間、彼女とは言葉を交わしていない。
当然ではあるが、町で見掛けても雪夜から接することはなく、ケーキは一心不乱にレベリングに取り組んでいる。
あまりにも鬼気迫る勢いは、周囲のプレイヤーをたじろがせるほどだった。
しかし、劇的な成果が出ているかと言えば、首を傾げざるを得ない。
どれだけケーキが高効率でレベリングをしたとしても、1週間では3つレベルを上げるのが精一杯である。
彼女は約半日でレベル45に到達した訳だが、それほどレベル46以降の壁は分厚い。
そのことを雪夜は知っていたが、敢えて手を貸そうとはしなかった。
出来る限り手伝うと約束したものの、それはあくまで生存戦争の話。
彼女のレベリングや装備収集に関しては、自分でやらせようと決めている。
そして、彼の考えはケーキも承知しており、最初からそのつもりだった。
だが――
「あくまでも、出来る限りだ」
極めて小さな声で、控えめながら宣言する。
何故だかCBOに執着するあの少女を、雪夜は見捨てられない。
決して恋心からではなかった。
ただ、どこまでも純粋に努力する姿を見て、力を貸したいとは思うようになっている。
もっとも、言葉通り出来る限りの範囲でだ。
ただしゲームにおいて、彼に出来ることは――途轍もなく多い。
午後18時頃。
いつもより早めに準備を終えた雪夜は、ベッドに横になってバイザー型ゲームデバイスを装着した。
少しばかりそのままの体勢でいたが、意を決したかのように手に持った起動スイッチを押す。
瞬間、彼の世界から光や音が消えると同時に、全ての感覚がなくなった。
しかし、すぐさま明かりが満ち溢れ、各種チェックが行われる。
その後は本来なら、すぐにCBOのログイン空間に行くのだが――
「やはり、嘘や冗談じゃないようだな……」
目の前に浮かんでいるのは、『このゲームを参加ゲームに決定しますか?』と言う文字及び、『YES』と『NO』の選択肢。
一縷の望みに賭けて、ギリギリまで参加を見送っていた雪夜だが、それもここまで。
小さく嘆息した彼は、『YES』にタッチした。
すると軽快な音が鳴り、CBOで生存戦争に参加することが決定した旨を伝えられる。
これでもう、後戻りは出来ない。
決意を新たにした雪夜は、気を引き締めてログインした。
気付けば最前線の町に立っており、今は昼頃の時間帯。
天気は曇りで、周囲には多数のプレイヤーの姿がある。
だが、この1週間でかなり減った。
恐らく4大タイトルを始めとした、勝率の高そうなゲームに移ったのだろう。
逆に言えば、未だにここに残っているプレイヤーは、本気でCBOにのめり込んでいる者たち。
だからと言う訳ではないが、ソロを続けている雪夜も、微かな同族意識――仲間意識ではない――を持っていた。
何はともあれ、もう間もなく生存戦争が本格的に始まる。
どのような展開になるか読めないが、準備を怠る訳には行かない。
そう考えた雪夜は1歩を踏み出し――すぐに止まることになった。
何故ならそこには、見知った顔があったからだ。
「お久しぶりです、雪夜さん」
硬い顔付きのケーキ。
緊張しているのは明らかで、以前に見た笑顔が鳴りを潜めている。
そのことを、ほんの少しだけ残念に思った雪夜は、内心を悟られないように返事した。
「久しぶりと言うほどじゃないがな。 レベルは?」
「……48です」
「凄いな、1週間でそこまで行けたのか」
「有難うございます……」
「……不本意なのはわかるが、それが現実だ。 焦ったところで何も変わらないんだから、受け入れろ」
「はい……」
ケーキとて、正攻法ではこれが限界なのはわかっていた。
それでも、もう少し開戦が遅ければ――そう思ってしまう。
沈痛な面持ちの彼女を前に、雪夜は何を言えば良いかわからず、取り敢えず確認するべきことを聞いた。
「装備はどうだ? 見たところ、以前のままだが」
「そうですね。 オール8まで強化はしましたが、装備自体は変わっていません。 出来れば1箇所くらいは、UR装備にしたかったのですが……」
「こればかりは仕方ないな。 UR装備は、そう簡単に手に入らない。 むしろ、オール8まで鍛えたことに驚いた」
「あの……慰めてくれているのですか……?」
「……客観的事実を伝えただけだ」
「そ、そうですか。 ですが……有難うございます」
頬を紅潮させて俯き、薄っすらと笑みを浮かべるケーキ。
完全に立ち直れたとは言えないが、多少は落ち着いて見える。
そんな彼女を前に雪夜は、何とも言い難い気分になっていた。
手伝うと決めた以上、力になれたのは良いが、懐かれ過ぎるのは困る――そんな感じかもしれない。
そうして雪夜が、ケーキとの接し方に悩んでいると、もう1人の知人――友人ではない――が駆け寄って来る。
「こんばんは、雪夜くん! あ、ケーキちゃんも!」
満面の笑みを浮かべたAlice。
彼女は雪夜しか見えていなかったが、隣にケーキがいることに気付いて、慌てて言葉を付け足した。
だが、ケーキは澄まし顔で受け流し、挨拶すらしない。
彼女の不愛想な態度に、Aliceのこめかみがひくつくのを見た雪夜は、溜息交じりに割って入る。
「こんばんは、Alice。 間に合ったんだな」
「あ、うん。 最後まで生き残るのは難しい――」
「生き残ります」
「……難しいと思うけど、流石に初日くらいは最初からいようかなって」
ケーキにキッパリと言葉を遮られたAliceだが、笑顔で続けた。
頬は盛大に痙攣しているが。
2人の様子に雪夜は胸中で呆れつつ、気付かぬふりをして言い返す。
「どう言う始まりになるかわからないが、キミがいてくれると心強い」
「え!? そ、そうかな? ま、まぁ、雪夜くんほどじゃないけど、あたしだってそれなりにやるからね!」
「集団戦なら、キミの方が得意だろう」
「そりゃ、あたしは『魔導士』だもん。 その分野で負ける訳には行かないよ!」
背後に花畑が見えそうなほど、Aliceの機嫌が良くなった。
雪夜からすれば率直な気持ちを告げただけだが、彼女にとってはそれが何より嬉しい。
他方、ケーキは無表情のまま、嫉妬の炎を燃やしている。
しかし、今の自分では文句を言えないと思った彼女は、必死に言葉を飲み込んでいた。
ケーキにとって良かったと言えるか微妙だが、今のやり取りの間に余計な力が抜けている。
そのことを察した雪夜が、結果オーライだと思っていると、運命の時が訪れた。
CBO――いや、全VRMMORPGの世界にサイレン音が鳴り響き、空にウィンドウが出現する。
表示されているのは、『G』を模したマーク。
疑いようもなく、GENESIS。
それを見た雪夜たちが表情を改めていると、聞き覚えのある声が発せられた。
『VRMMORPGプレイヤーの諸君、ご機嫌よう。 現時刻をもって、生存戦争への参加を打ち切らせてもらう。 それと同時に、各ゲームへの侵攻が可能になった。 ウィンドウを開いてみろ』
代表に促された雪夜は、すぐさま空中に指を走らせた。
するとウィンドウが表示されたのだが、知らないアイコンがある。
簡単に説明するなら、扉や門をイメージしたもの。
この時点でおおよその事態を飲み込んだ雪夜が、眉根を寄せていると、代表が説明を続けた。
『新しいアイコンが追加されているのが、わかってもらえただろうか? わかっていると言う前提で、話をさせてもらう。 次はそのアイコンをタッチしてみろ』
上から目線を不愉快に思いながら、言われた通りにする雪夜。
するとそこには、予想通りの項目が表示されていた。
ありとあらゆる、VRMMORPGのタイトル。
雪夜が聞いたことのないものもあった。
確認した訳ではないが、本当に全てのタイトルを網羅しているのだろう。
そう考えた雪夜がリストをスクロールしていると、やはりCBOのタイトルもあった。
わかってはいたが、改めて戦いの渦に巻き込まれていると実感する。
表情が険しくなっているのを自覚している雪夜に対して、あくまでも代表は淡々と進行した。
『使い方は簡単だ。 攻め込みたいタイトルを選択するのみ。 そうすればゲーム内でテレポートする要領で、そのタイトルに移動出来る。 心配しなくても、いきなり敵陣のど真ん中に放り込まれたりはしない。 安全圏を設定しているから、移動するだけなら気軽に出来る』
真実かどうかは試してみなければわからないが、雪夜は信じて良いと思った。
どの道、様子を見ることにはなるだろうが。
そうして説明を終えた代表は、どこか愉快そうに告げる。
『以上で説明を終わる。 それでは諸君、存分に楽しんでくれ』
馬鹿にしているのかと雪夜は思ったが、それを言う暇もなく、空のウィンドウが消失した。
あとにはいつも通りの世界が広がっているが、実際には大きく変わってしまっている。
今のところ平穏無事なものの、いつまで続くかは誰にもわからない。
周囲のプレイヤーたちも不安に思っているらしく、かなり緊迫した雰囲気が漂っていた。
そんな中でも、多くのプレイヤーがクリスタルを守るように陣取っており、戦う意志を示している。
プレイ人口が少ないCBOが他のゲームに攻め込むのは、現実的ではない。
それを思えば、守りに徹するのは正しい選択だろう。
実際、雪夜もそれしかないと思っており、既に迎撃態勢を整えていた。
どこまで凌げるかわからないが、やれることはやる。
覚悟を固めた雪夜が隣を見ると、ケーキも燃え盛る闘志を瞳に宿して、大剣を構えていた。
19時から22時までの3時間。
これから毎日、その時間を耐え抜かなければならないと思うと、気が遠くなりそうだ。
とは言え、流石にいきなり攻め込んで来るようなことはない――と、雪夜は思っていたが――
「な、何よこれ!?」
近くにいたAliceが、仰天しそうな声を上げる。
どうしたのかと思った雪夜は問い掛けようとしたが、その前に彼女がウィンドウを見せて来た。
「見て、雪夜くん! 大変なことになってる!」
「落ち着け、Alice。 何が起こっているんだ?」
「SCOが……もう、他のゲームに攻め込んでるの!」
早過ぎる。
そう考えた雪夜だが、Aliceのウィンドウには、確かにSCOが侵攻している光景が映っていた。
ちなみに、事前にアプリを連携させておけば、ゲーム内でも動画や配信は視聴可能。
それはともかく、どこの誰が配信しているのかと思ったが、すぐにそのようなことはどうでも良くなった。
「これは……」
「どうしたの?」
「……いや、何でもない」
そう言って雪夜は、口を引き結んだ。
手は固く拳を握っており、何かを堪えているように見える。
彼の様子がおかしくなったことに、ケーキとAliceは不思議そうにしていた。
SCOが攻め込んでいる相手。
それは、宗隆がプレイしているタイトルだった。
彼がどれだけ熱中していたか知っている雪夜は、助けに行きたいと思ったが――
「……少し、辺りを見て来る」
「え? でも、ここで待ってれば良くない?」
「いや、既に忍び込んでいる可能性も捨て切れない。 Aliceは、ここを頼む」
「雪夜さん、わたしもおともして……」
「ケーキは、Aliceと待機していてくれ。 心配しなくても、すぐに戻る」
「……わかりました」
尚もケーキは何かを言いたそうだったが、雪夜は無言で拒否した。
2人を置いて足を踏み出し、町の周囲を駆け回る。
こうでもしなければ、今すぐにでも宗隆の助けに入りそうだった。
その一方でウィンドウを表示させ、SCOの侵攻配信を眺める。
宗隆たちも必死に応戦しているが、やはり実力差は歴然としていた。
1人、また1人と倒れて行き、脱落者を増やして行く。
遂には逃げ惑う者も出て来たが、SCOは容赦しなかった。
そのとき雪夜は、1人の人物を視界に捉える。
学校で宗隆に見せてもらった、彼のアバターだ。
誇らしく語っていたロンギヌスを振り回し、SCOプレイヤーたちを撃退している。
かなりの奮戦で、一時的にとは言えSCOを押し返していたが――
「……ッ!」
炎に飲み込まれて、呆気なく消え去った。
それを果たしたのは、獰猛な笑みを浮かべた第六星アルド。
両手で炎を纏った大剣を握っており、宗隆を撃破したあとも、剣身から極大の炎を放ち続けている。
それを受けたプレイヤーは燃やし尽くされ、威力の高さを物語っていた。
気付かぬうちに奥歯を噛み締めていた雪夜は、ウィンドウを消して深呼吸する。
宗隆のことは残念だが、明日は我が身。
先ほどの情景を思い返した雪夜は、自分を落ち着かせる為に立ち止まり、敢えて声に出して呟いた。
「今のは、『【魔剣】レーヴァテイン』……。 つまりSCOは、いきなり七剣星を投入して来たと言うことか。 早期決着を狙うタイトルはあると思っていたが、ここまで強硬策に出るとはな。 次はどこを狙うか知らないが……いよいよ、覚悟している方が良さそうだ」
考えを纏めた雪夜は再び探索を始め、暫くしてからケーキたちの元に帰った。
彼女たちは不安そうにしていたが、彼は何も語らない。
そうして、22時まで警戒を続けていた雪夜たちだが、結局初日は何事もなく終わる。
しかし、この平和が長続きしないと、彼はどこかで予感していた。