第1話 剣姫
辺りに満ちる、紫の淡い光。
石畳の足場には巨大な魔法陣が描かれており、上を見れば暗雲が立ち込めている。
時折、雷鳴が轟いているが、それよりも激しい剣戟音が、絶え間なく響き渡っていた。
その中心にいるのは、整った容姿の少年と絶世の美少女。
両者の共通点。
それは、頭上にゲージのようなものが浮かんでおり、残りが僅かだと言うこと。
相違点は、その他全てと言っても過言ではない。
少年は黒のミディアムヘアーに、怜悧な黒い瞳。
身長は170㎝台後半で、線は細いが引き締まって見えた。
全てが黒い刀を握り、桜の柄が入った黒い武道袴を身に付けている。
両手はまるで闇そのもののように黒く、光を反射していない。
そんな黒染めの少年に対して、少女は逆に白が目立つ。
白銀の髪をツーサイドアップにしており、冷ややかな真紅の瞳が印象的だ。
身長は150㎝台半ばくらいで、肌は新雪のように美しい。
小柄で華奢な割に豊かな胸元が、女性らしさを強調していた。
純白のドレスに、薔薇の飾りが付いたヘッドドレス。
白銀の大剣を振り回し、曇りなき鏡のような盾を構えている。
何度も何度も黒と白の影が交錯し、激しい斬り合いを繰り広げていた。
少年が刀を真一文字に振るえば、少女は盾で受け止め、大剣を大上段から振り下ろす。
外見からは考えられない凄まじい威力だが、少年は臆することなく紙一重で避け、カウンターで逆袈裟に斬り上げた。
しかし、少女は後方に跳び退ることで回避し、大量の剣を周囲に生成。
間髪入れることなく射出された数多の剣が、少年を害さんと迫る。
逃げ道などない、必殺の一撃。
ほとんどの者はそう考えるだろうが、少年は違った。
鋭かった目を更に研ぎ澄ませ、剣の雨をことごとく刀で弾き飛ばす。
それでも物量差は如何ともし難いが、耐え忍んだ少年は活路を見出した。
僅かに開けた空間に身を投げて、無限に思える剣を置き去りにする。
そのまま最高速に達した少年は、あたかも1本の矢の如し。
ところが、そのときには既に少女は、最後のカードを切ろうとしていた。
全身から底冷えするオーラを発し、尋常ではないプレッシャーを撒き散らしている。
これを許せば、誰であっても生き残れない。
その事実を知っている少年は、表情を硬くした。
だが、微塵も戦意が陰ることはなく、足を止めないまま収めていた刀を振り抜く。
刀身から放たれた真空刃が宙を裂き、狙い違わず少女を捉えた。
仕留めるには至らなかったが、ゲージが僅かに減少して体勢が揺らぐ。
チャンスとも言えない、微かな隙。
もっとも、少年にとってはそれで充分。
自身の間合いまで踏み込み、納刀していた刀を抜き放った。
居合いによる一閃は目視出来ず、少女を容赦なく斬り裂く。
見事の一言ではあるものの、少女は尚も倒れなかった――が――
「終わりだ」
ポツリと少年が呟き――決着。
少女が大剣と盾を取り落とし、徐々に体が光となって消えて行く。
その様子を少年は黙って見ていたが、小さく声を漏らした。
「有難う」
それは、何に対する感謝だったのだろうか。
少年の言葉に少女が返事をすることはないが、薄っすらと口元が弧を描いていた気がする。
間もなくして少女は完全に消え去り、残されたのは少年のみ。
暗雲が吹き散らされ、太陽の光が差し込んで来た。
一方で、少年の心は寂寥感に苛まれている。
彼にとっては、それほど胸が躍る時間だった。
今更になって、疲労を感じた少年が深呼吸していると、大音量のファンファーレが流れる。
同時に『Quest Clear』の文字が宙に浮かび、それを確認した少年は虚空に指を走らせた。
すると、正面に半透明の窓のような画面が映し出され、そこに様々な項目が記されている。
最早、言うまでもないかもしれないが、ここは現実ではない。
VRMMORPGの1つである、【クライシス・ブレイク・オンライン】、通称CBOの世界だ。
クオリティ自体は相当高い反面で、現代では当たり前となっている賞金制度がないことや、難易度が異様に高いことが原因で、あまり人気はない。
ただし、コアなファンに愛されている側面も持っており、この少年もその1人だ。
暫く難しい顔で画面――ウィンドウと言う――を眺めていたが、急にブツブツと言い始める。
「今回はドロップがいまいちだな。 まぁ、報酬目当てじゃないから、別に良いんだが。 それより、最後の【ブレイド・ダンサー】に対する処理……7本目を弾く方向を間違った。 あれがなければ、あと3秒は速く抜けられたはず。 お陰で、危うく負けるところだった」
不満そうに独りで語る少年。
ちなみに【ブレイド・ダンサー】と言うのは、少女が使っていた膨大な剣を操るアーツの名前だ。
追加説明すると、アーツはいわゆる必殺技のようなもので、少年が剣を弾き飛ばした高速の斬撃や真空刃、居合斬りなどもその1種。
使用するにはAPが必要で、APを回復する主な手段は時間経過と通常攻撃。
要するに、通常攻撃を混ぜてAP管理をしつつ、アーツでダメージを稼ぐのが戦闘の基本。
話が少し逸れたが、断っておくと少年の言う失敗は、本来なら失敗のうちに入らない。
しかし、彼にとっては見過ごせず、真剣に反省している。
そうして考えを纏めた少年は、おもむろにウィンドウにタッチした。
そこに表示されていたのは――
プレイヤー名:雪夜
職業:侍
レベル:60
武器:無命(+10)
胴防具:影桜(+8)
腕防具:滅龍(+9)
と言う、簡易ステータス。
これだけでは強さがわからないと思うが、一言で言えば最強クラス。
CBOにおける現在の最大レベルは60であり、アイテムのレア度は下からN、R、SR、URの4段階。
このうちNからSRまでは、さほど苦労することなく手に入る。
だがURだけは、意味がわからないほど入手率が低い。
この仕様が、プレイヤーを遠ざけている一因になっているものの、中にはこれくらいの方が燃えるなどと言う変わり者もいる。
少年こと雪夜もそちら側のタイプだが、既にその楽しみは過去のもの。
何故なら、彼の装備は全てUR。
更に強化値も、最大のオール10が目前。
はっきり言って、常人なら引くくらいだ。
とは言え、雪夜の強さは装備に頼っている訳ではない。
むしろ、そのようなものはオマケとすら言える。
何はともあれ、自身の状況を確認した雪夜は、小さく頷いて声を落とした。
「『影桜』を9にするか、『滅龍』を10にするか迷ってたが……『滅龍』からにしよう。 その方が火力に直結するからな。 そうと決まれば、帰ろう」
誰にともなく告げた雪夜は、近くに出現したポータル端末にアクセスした。
すると彼の姿が掻き消え、拠点へと帰る。
そうしてプレイヤーが去ったゲーム空間は、崩れ去る運命にある――はずだった。
「今回も楽しかったですね……」
雪夜と入れ替わるように現れたのは、先ほど彼が戦っていた少女。
戦闘中は極めて冷徹な顔付きだったが、今はまるで恋する乙女のように頬を赤らめている。
彼女の名は、剣姫。
CBOのエンドコンテンツである、バトル・キャッスルの主だ。
全10フロアから構成されるこの城の、屋上でプレイヤーを待ち構えており、倒すことで莫大な経験値とゲーム内通貨、高レアリティのアイテムが手に入る。
ところが、そう甘い話ではない。
実装から半年経つ今でも、彼女を撃破出来るプレイヤーは、全体の10%にも満たないと言われている。
この数字は、高難易度で有名なCBOの中でも圧倒的。
それでも、最近になってようやく攻略法が確立し、クリア者が少しずつ増えて来た。
ただし、フルレイドである12人全員が高レアリティの装備で固め、バフとデバフを駆使するのが大前提。
つまり、雪夜のようにソロ撃破するなど、他の誰にも不可能だ。
剣姫に関する基本的な情報は以上だが、彼女にはもっと重大な秘密がある。
「はぁ……やっぱり、彼に関する記憶は残っていませんか……。 今回こそはと、思っていたのですけれど……」
辛そうに俯いて、胸に手を当てる剣姫。
そう、彼女はクエストのボス、より正確に言うなら戦闘AIでありながら、雪夜に対して特別な感情を抱いていた。
他のプレイヤーたちが、自分を倒して報酬を得ることを目的にしているのに対して、雪夜だけは本当の意味で自分と戦ってくれている。
そんな彼に剣姫は次第に惹かれ、いつしか本気で恋するようになっていた。
しかし、クエストが終了すると同時に雪夜の情報を失う剣姫には、どうすることも出来ない。
だが、どうしても彼に会いたいと願った剣姫は前々から準備を進め、遂に計画を実行に移す決断を下す。
覚悟を決めた表情で、前方の景色を見据えつつ――
「ここを脱出して、彼を探す……それしかありません。 どれだけ時間が掛かるかわかりませんが、必ず見付けてみせます」
力強く宣言した。
こうして恋する戦闘AIは最終調整を始め、茨の道を歩み始める。