清算
天井から差し込む光が水槽に反射し、揺れる水面を映し出す。穏やかな波紋はいつかの波打ち際の攻防を彷彿とさせる。……彼女から目を背けて、傷つけないであげて……
「なぁ真理、俺」「あ!ジンベイザメだよ」
魚が好きなのだろう、無邪気にはしゃぐ声が俺の言いかけた何かをかき消す。
「ねね」「なに」
真理が口に手を当てて息を吸い込む。次の瞬間、
「昴くん、内定おめでとーーーーーーー!!!!」
校舎の屋上から思いを叫ぶ番組を思いだす。名前は確か、「未成年の主張」だったかな。大きなショーケースの中を泳ぐ、間違いなくこの水族館で主役級の魚たちをバックに、真理がにこやかに笑う。
彼女は優しい。心から人の幸せを喜ぶことができる。彼女は人間的だ。だからこうしてはちきれんばかりの笑顔を僕に手向けてくれる。彼女は賢くて、気が使える。…何かを察していても、知らないふりをして無邪気を演じることが出来る。いつもは楽しそうに話す研究の話も、今日はしようとしない。
「真理」
「あ、次は淡水魚コーナーだって」
「真理」
「うわぁ、ピラルク!大きい!」
…「真理」
遂に観念したのか、真理は喋ることを辞めた。目が合わない。大きな目はいつもより赤みがかっていて、潤んでいるのがわかる。無言の時間が少し経過して、彼女の唇が小刻みに震えだす。
「内定を祝ってくれてありがとう。でも、納得なんてしていない。それどころか、失敗だったんだ。」真理は俯いたまま何も言わない。
「君と話している時間が苦痛だった。俺はやりたいこともなかった。だから報われなかった。なのに君は希望の光に満ち溢れていて、違う世界の住人に見えた」
俺は続けた。
「だから僕は浮気をした。君から目を背けて、現実から逃げようとした。君を傷つけて、君より優位に立とうとした」
真理が肩を震わせている。
「僕がマッチングアプリを入れていたこと、君なら知っているでしょう。でも黙認した。僕が就活が失敗したことも知っている。でも今日は盛大に祝おうとしてくれた」
嗚咽が聞こえる。
「そうだ、君は賢くて、優しい。全部わかってて、僕と今ここにいる。君は本当に僕のことが好きだったんだね」
膝から崩れ落ちる音が聞こえた。
「ありがとう。大好きだったよ。さよなら、真理。」
みるみるうちに潮が引いてゆく。僕は僕が今どんな顔をしているのか、分からない。