君に出会わなければ
「今日は、ありがとうございました」
もう一生会うこともないだろう受付の美人を目に焼き付けてオフィスを出る。窓から見える景色もついこの間まで桜色だったのが緑に色づき始めた。4年生の夏が来るというのに、内定はなく2次面接に進んだ企業は今受けてきた一つだけだ。それも1週間後に間違いなくお祈りされそうな予感がしていた。
「受付の人、きれいだったな」
そう言いかけて罪悪感で言葉を噤む。森下真理―半年前につきあって同棲している彼女の存在が頭にちらついたからだ。
10か月前、夏の熱気から逃げるように自転車を漕ぎたどり着いた海岸。そこに一人佇んでいた彼女の後姿は今でも鮮明に思い出すことができる。夏も終わりにさしかかった夕暮れ時、どこからか聞こえるヒグラシのなく声が哀愁を感じさせ、言い知れぬ寂しさを覚えて彼女に話しかけたのが始まりだった。
いきなり「名前は何ですか」と話しかけた質の悪いナンパ師のような俺に、彼女は笑いながら「真理」と名乗った。今思えば、そんな不審者にすら優しい心で接する彼女の寛大さに惚れたのかもしれなかった。
それから俺たちは波が打ち寄せていた痕跡がないぎりぎりに座り、3時間にもわたって語り合った。その真理と名乗る女性は自分より1個下で、市内の女子大学に通っていて、一人暮らしで自炊が大変だとか、得意料理は肉じゃがだとか、さらには首にあるほくろで三角形を作れるとかそんな他愛もない話をした。
「なぜ海岸で一人でいたんですか」と聞くと、「黄昏たくて、」と真理は言った。もうその時はすっかり日も落ちていて、真理の表情は見えなかった。その問答の後しばらく沈黙が流れ、そこから解散までに時間はかからなかった。
次に真理にあったのは学祭だった。あの日の帰り際に真理に連絡先を聞いた俺は、真理が女子大だから出会いがないと嘆いていたのを思い出して学祭に招待したのだった。