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踏切  作者: 若葉
2/2

その二


酒にも疲れはててしまった男は布団にくるまり、けれども少しも眠れない。

闇のなかの一筋の光を、多分それは虚しい幻の光に違いないけれど、追いかけるべきなのか否か、また追いかけたときの相手の迷惑やら自身の負うであろう痛手やら、追いかけなかった時の後悔やら、大袈裟でなく身悶えしていた。

いっそ自分が何も知らぬ無邪気な幼子だったらよいのに。彼女に会っても無邪気に笑えば済むだろう。会えなくても、また明日からの美味しいご飯や楽しいオモチャや出来事に心を向けることも出来るだろう。


成長することにはどうしたって痛みを感じなくてはならない。

だから傷を恐れて臆病になってしまう。



男は翌日昼過ぎにフラフラと家を出た。

一時間後には大きな駅にいた。

これから新幹線に乗り、北を目指すつもりであった。

新幹線の車窓から猛スピードで流れてゆく景色を見ながら、酷く心細かった。

迷惑かもしれない、しかしもう一度会いたい。

やっと探しだした年賀状を頼りに、東北の小さな寒村へと向かった男の心は激しい葛藤に乱れていた。


仮に彼女が実家にいたとして、何を言えばよいのだろう。来るんじゃなかったと後悔するのが、目に見えるようだった。

アパートに帰ろうか。

途中下車して戻ればよい。その方が互いにとってよりよい思い出になるのではなかろうか。

葛藤に狼狽える心と裏腹に、猛烈な速さで突き進む新幹線は未知の北国へと向かって突き進んでゆく。


男は目を閉じてうつらうつらしていた。このところろくに眠っていなかったのだ。

けれども頭のなかには彼女との思い出やら出合いやらが渦巻いていて、安らかな眠りは求める術もない。



なにを、と笑われてもいい。人は其れを運命といい、また、波長があうという。俗に言えば赤い糸、馬が合う。それは確かにあると思う。彼女と初めて会ったときから、それは確かに有ったのだ。

男は大学の学食で一人ひっそりとうどんを食べていた。ふと、横に長いテーブルの向かいを見ると、丁度同じ様にうどんの束をすすりつつある女の子がいた。見つめあったまま、互いにツルツルとうどんをすする。同じタイミングで互いに苦笑していた。

時々同じ様に同じ席でうどんを食べて、互いに、あ、またあいつがいる。其れから時々挨拶を交わすようになり、二人横に並んでうどんをすする様になるまでそうはかからなかった。

互いに一人が寂しかったのである。

やがて二人はどちらからともなく連絡先を交換し、そっと手を繋いで歩く様になった。特に会話は弾むわけではなく、それも特別苦にならず、ただのんびりと二人でいた方が気楽であり快適であり心強いので、くっついて歩いていた。

ただそれだけで癒されていた。

赤い糸等という情熱的なものではなく、上京したばかりで友達もおらず、元来社交下手な寂しい二人には、丁度互いがわれ鍋にとじ蓋といった感がフィットするように思われたのだった。

つまり、男にとって彼女はかけがえのない幸せな安息の時間を共有できる存在であり、気兼ねなく笑い合える唯一の存在であったのだ。一緒にいるだけで心が満たされたのだ。


少し眠ったのだろうか。

うっすら目を開くと、窓の外はすでにだいぶ暗くなりつつあった。

見えるやいなや背後へと流れてゆく車窓から見える景色は次第に宵闇の寂しい灰色の雪景色へと変化していった。

大きなため息が一つ出た。

何がしたいのだろう。何も解らない。


新幹線から在来線に乗り換えてさらに一時間。

ようやく着いた駅の前には果てなく広がる暗澹たる白い雪ばかりの景色があった。

幾千万の雪の結晶が闇のなか、風に乱れ舞っている。

想像以上の景色を前に、険しい面持ちのまま男は一寸立ち竦んでしまった。

しかしここにじっと佇んでいる訳にはいかない。

どだい、寒くてとてもじっとなどしておれないのだ。殺風景な駅前にバス停がある。けれども一日朝昼夕と三本のバスは既に終了しており、赤茶けたバス停留所のトタン屋根に雪が積もっているばかりであった。

バス停のトタン屋根に季節外れの風鈴がぶら下がっていて、雪風が吹雪くのに合わせてちりちりと心細く鈴の音を闇に響かせていた。

よし。行くしかない。

男は吹き荒れる吹雪のなかに歩き出した。

右手にはスマホの地図がある。左手には、唯一の手がかりである彼女から届いた年賀状がある。

とにかく歩いた。

もう、進むしかないのだ。何がしたいのだろう。何が欲しいのだろう。何を追い求めているのだろう。

何が何だかわからぬまま、ただひたすらに、狂気にも似た面持ちでもって歩き続けた。


雪で視界が遮られ、何度か道に迷ってしまった。一面真っ白な道路脇の田んぼに転落して、四つん這いで這い上がり、痛みと寒さに顔をしかめながら、気合いを、心のギアを入れなおす。

彼女の家が確かに一メートルずつ近付いてくる。

疲労もある。けれどもより心が重たく感ぜられた。

次第に重たくなる足どりを我と我が身でなんとか励まして、葉書の住所へ歩き出す。もうすぐだ。

雪と風が今までよりもさらに強く激しくビュンビュンと吹き付けてきて、幾度となくよろめきそうになった。

一時間ほど歩き続けて、次第に電信柱の住所が繋がりだしてきた。

酷く心が足が重たい。

行ってどうなる。意味ない。もういい、帰ろうか。

幾度となく呼びかけてくる心の声を振り払うためにがむしゃらに吹雪く雪道を歩き続けた。



あった。

表札と住所と年賀状を何度も見返して、間違いない。見上げた彼女の家は、真っ暗であった。

やっと探しだした彼女の実家は既に人の気配もなく、売り出し中という不動産屋の張り紙が門扉やら玄関やら窓やらに何枚も張り付けられて山から吹き下ろす吹雪にバタバタとはためいているばかりであった。



男は唇を噛み締めたまま、もう何処へも行けなかった。

吹雪は呆然と立ち尽くす男の頭に肩に背中に容赦なく雪を積もらせてゆく。

最早体の芯から冷たくなって寒さすら感じない。

激しい吹雪は残酷なようでいて、その時の男にとってはむしろ酷く懐かしくすらあった。

嵐のなかにこそ平穏があるとかいう詩がある。男の心がまさにそれであった。

もっともっと吹雪け。なにもかも真っ白になる位に。なにもかも。なにもかも。

今や男の心は吹き荒れる吹雪そのものであった。


ああ、戻りたい。

帰りたい。

何処に?

どうやって?

それは大変に尊い所なんだろうけれど。

今はもう届かない所なんだろうけれど。

解らない。

何も解らない。

果てなく吹き荒れる雪と風に男は真っ白になっていた。



踏切の向こう。

見つめあっていた。

間違いなく、互いに命がけだった。

あの時彼女は何を言おうとしていたのだろうか?


砂に書いた他愛ない言葉。

小さな波が来て、引き潮に消されてしまう砂に書いた一つ一つの文字のように、二人の思い出も年を経る毎に少しずつ薄れていってしまう。

だけれども、この事ばかりは、あの時の聞こえなかった彼女の言葉ばかりは今なお色褪せることなく、むしろ年々思い返されている。

なんだったのだろう。

今も心の片隅に一層色濃く絡み付いてずっと離れない。


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[一言] あああああめちゃくちゃ切ない…
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