令和元年
「そうだ、明日カレーにしましょう。」
この祖母の一言で、ぼくの人生が決まった。
父は、生まれてきた子供の名前に悩んでいた。普通は生まれる前に決めるだろう。そんな常識は、この夫婦に限って通用しない。
能天気な母、京香とは対照的に、凝り性の父、大志。姓名判断やら風水やら色々な書物をかき集めて毎日書斎でうなっていた。
「初めてのわが子への最初のプレゼントだ。慎重にもなるさ。」
「サクッと決めればいいのに。」
そういって母は、産後の体を気遣うように台所で夕食の片づけをする父の後姿をボーと眺めていた。
「そうだ、明日カレーにしましょう。」
「あ、いいわね。」
カレーは父の好物だ。祖母としては父をねぎらって言ったつもりだったのだろう。母も同じ気持ちで賛同した。
が、それを聞いた父は後片付けもそこそこに
「じゃあ、これから行って来る。」
と言うなり、表へ出て行った。
「いってらっしゃい。」
てっきり、カレーの材料の買出しだと思った母たちは笑顔で見送った。
父が帰ると、母は思い出したように
「明日がこの子の名前の提出期限よね。」
と、父に語りかけた。
「ああ、だから今出してきた。」
父が出した紙には、
『令』
と書かれていた。
「明日香 令。令和の時代にぴったりだ。」
「あらやだ、一言ぐらい言ってくれればいいのに。」
「え?だって京香と母さんが、令にしようって。」
どうやら、父は祖母の
「あすカレー」
の一言を名前のことだと思ったらしい。
明日香家に婿入りした父にとって京香の母の一言は何よりも重い。