表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/27

赤い魔女の功績

 私は、シルヴィオさんと自転車で役所に向かっていた。

 赤い魔女が再び現れたと届け出ることと、私が元の世界に戻るために便宜を図ってもらうためだ。


「すごい霧ですね」


 もうすぐお昼だというのに、濃い霧が街を覆っている。私たちの通る白い光の道は霧の上を通っているので、海の方までよく見える。街の建物は霧の中から頭だけ出した状態で、まるで海に浮かぶ島のようだ。

 そこを行く自転車は、さしずめ霧の海に浮かぶ小舟だろうか。辺りには、昨日の夜よりもたくさんの、大小様々な自転車が行き交っている。


「この街は年中霧が出るんです。今の時期でしたら、夕方まではずっとこんな感じですよ」


 シルヴィオさんが、自転車を運転しながら教えてくれた。

 霧が多いからなのか、自転車で出入りするためか、通りすぎていく建物は皆、屋上にも出入り口がある。

 私たちの下を流れる白い流れを見下ろすと、光の粒が川のように流れていくのが見えた。


「シルヴィオさん、この白い光の流れは、なんて言うんですか?」


「これは、自転車専用レーンですよ」


 さらりと爽やかな笑顔で教えてくれるシルヴィオさんに、返す笑顔がちょっと引きつってしまう。


―――これまた違和感のある翻訳だなあ。


 とはいえ、理解はできる。

 だんだん、この微妙なズレが楽しくなってきた。


 下は濃い霧とはいえ、自転車の上は爽やかないい天気だ。日本よりは暑くないし、かすかに潮の香りのする風が心地いい。

 景色を楽しんでいる私とは対照的に、シルヴィオさんの表情は硬かった。

 どうしたのかと思っていると、辺りの自転車が途切れるのを見計らって、シルヴィオさんが低い声で呟いた。


「この専用レーンも、自転車も、もともとは赤い魔女(カッサンドラ)が発明したものなんです」


「え?」


 思いもよらない話に、私はシルヴィオさんを見上げる。

 シルヴィオさんの帽子から見える大きな耳が、辺りを警戒するように、ピンと立てられていた。


「それだけじゃありません、食物の保存や、物体の転移、他にもたくさんの発明を赤い魔女は遺しました」


 あまりにも多岐にわたる発明に、呆気にとられてしまう。

 シルヴィオさんは少し迷うように視線を揺らした。


「君はこの世界の人ではないし、話すかどうか迷ったのですが……」


 かなり言いにくい話らしい。私は黙ってシルヴィオさんが話し始めるのを待った。


「……僕たちが使う魔法の道具には、それぞれの機能を果たす魔法陣が組み込まれています。その魔法陣に僕たちが魔力を注ぎ込むことによって、動いているんです」


 つまり、元の世界で言えば機械の仕組みが魔法陣で、魔力が電気とかガスとか燃料の役割をしていると。

 頷いて先を促す私に、シルヴィオさんの表情は暗い。


「赤い魔女は、その魔法陣を考案する天才でした」


 魔法の世界で言うのもなんだけれど、科学者とか発明家のようなものだったってことなのかと思った私は、続くシルヴィオさんの言葉に目を剥いた。


「しかも、彼女は歌い手としても優秀だったんです。当時の批評家は彼女を絶賛し、今でも最高の演奏会と記録に残る演奏をし、数々の大舞台で歌っていました」


 シルヴィオさんは、辺りに自転車が少ないのを確認すると、私に顔を寄せて囁いた。


「昨夜、僕があの猫が赤い魔女だとすぐにわかったのも、彼女の歌声の記録をよく聴いていたからです。僕だけじゃなく、この街の者なら子供の頃から手本として聴いていますから、誰でもわかります」


 その録音の魔法陣も彼女の発明ですと、シルヴィオさんはまるで自嘲するように言う。

 かなり耳目を憚る話なのだろう。耳元で低く囁かれる声。そんな場合ではないのに、心臓が音をたてた。いけない。話の方に集中しなければ。


「発明家で、歌い手ですか?……なんだかちぐはぐな経歴ですね」


「この街で、一番大切にされているのは音楽です。何か本職を持ちつつ、音楽家としても活動するというのは珍しくありません」


 そこだけは誇らしげに言ったシルヴィオさんの顔が、前を向いた。ハンドルを操り、自転車をまた別のレーンに乗せていく。


「それでも、彼女のように、どちらでも成功する人というのは、なかなかいません」


 優秀な発明家で、優秀な歌い手。

 昨日は、赤い魔女(カッサンドラ)は処刑されたと言っていたけれど、むしろノーベル賞ものの偉人のようにしか聞こえない。


「どうしてそんな凄い人が処刑なんてことになってしまったんですか?」


「凄すぎたんです」


 シルヴィオさんは、重いため息と共に語ってくれた。



 赤い魔女(カッサンドラ)が自転車を発明するまでは、移動と言えば徒歩か馬だった。そんな時代に自転車ができ、自転車専用レーンを彼女が好き勝手に引いてしまった。


 その他にも様々な発明をする彼女の魔法陣を、ある人は高額で買い、ある人は無料でもらい、ある人は盗み……。

 魔法陣が様々な形で、なんの規制もなく広がっていったせいで、人々は大混乱に陥った。

 便利になる一方、悪用する人も出始め、とうとう人が命を落とす事態にまで発展してしまったのだ


 一方で、彼女は人気の歌い手でもあったことが、混乱に拍車をかけたらしい。


 彼女を擁護するヒト。

 拘束するべきだというヒト。


 国を二分する混乱の中、とうとう赤い魔女は捕らえられ、裁判にかけられたのだという。


「そうして、赤い魔女(カッサンドラ)は処刑されました」


 それは、この国の黒い歴史。

 シルヴィオさんが、あれほど話すのを躊躇うのもわかる気がした。


「あの時代、この国は彼女の才能についていけず、潰してしまった。……彼女が生きていたら、きっともっと素晴らしい音楽と偉大な発明に出会えたのに」


 悔しそうなシルヴィオさんに、昨夜の言葉が甦る。


『この国を混乱に陥れた罪で処刑された』


 混乱は、多くの画期的な発明のせいだったのか。

 それを罪として処刑してしまったなら、しかもそれを使って今繁栄しているなら……シルヴィオさんの昨夜の動揺も頷ける。


「この話は誰もが知っていますが、あまり話題にしません。赤い魔女は良くも悪くも、伝説の存在なんです。皆、憧れながらも恐れています」


 気付けば、周りに他の自転車はほとんどいなくなっていた。

 少しずつ人通りの少ない方へと移動していたので、話を聞かれないよう、かなり気を使ったのだと思う。


「どうして、私にこの話を教えてくれたんですか?」


「赤い魔女は昨夜、僕に君を預けると言いました。これからも君に関わってくるなら、知っておくべきだと思ったんです」


 シルヴィオさんは、ハンドルを持っていない方の手で私の肩を掴むと、私をまっすぐに見た。


「覚えておいてください。赤い魔女は僕たちを恨んでいても不思議ではありません。そして、彼女の魔力は膨大で、この国は彼女の発明した魔法陣に溢れています。何が起こるか、本当にわかりません」


 私は、ただ頷くことしかできなかった。

 事態は私の想像よりも遥かに大きく、完全に私の手に負える状況ではなくなっている。


「役所に行って、赤い魔女が戻ったことを届け出たら、どうなるんでしょう?」


 この国は、それこそ大混乱に陥ってしまうのではないか。

 そんな不安に駆られる私を、シルヴィオさんが安心させるように肩を軽く叩いてくれる。


「赤い魔女のことはともかく、リンカは無事に元の世界に戻ることを考えましょう」


 これからいく役所は、この街の魔法陣の管理をしているところだそうだ。そこには、国の最高機関のヒトも派遣されているので、私を元の世界に戻してもらえるようお願いするという。

あまりにも途方もない話のように思えたけれど、今はそれしか思い付かない。


 シルヴィオさんがあそこですと指差す先に、大きな宮殿のような建物が霧の海の上に浮かんでいた。

次回は、また来週更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ