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歌い手

 ブーッブーッブーッ


 スマホのアラームが鬱陶しい。

 枕元を手で探るが、スマホが見つからない。

 代わりに手が触れたのは、仕事用のカバンで、中からスマホを取り出すと、アラームを止めた。

 時刻は朝の七時。充電が二十二%。


―――ああ、充電しないで寝ちゃったんだ。


 まあ、いいか。今日土曜日だし。

 まだ寝ぼけた頭で考えて、目を閉じる。

 起きなきゃと思いながら、寝返りをうつ。服の感触がちょっと固いと思ったら、パジャマじゃない。


―――着替えもしてないし。メイク、落としたっけ?


 ぼんやりと開けた目に、見知らぬ部屋が映った。


―――!?


 かばっとベッドの上に起き上がる。


―――え?ここどこだっけ?


 確か、昨日は猫で逃げ回って、歌が聞こえて、シルヴィオさんが傘でご飯食べて、そのあとなんだっけ?

 いや、落ち着け、私。

 確か……ええと?

 夕食のあと、お茶をいただいて、シルヴィオさんが作った曲を聴いてて……。


 今が朝でベッドにいると言うことは、他人様の家でご馳走になった上に居眠りして、運んでもらったってことなんだろう。


―――それって人としてどーなの!?


 頭を抱えてる場合じゃない。とにかく起きよう。

 これ以上の恥の上塗りは避けたい。

 ベッド脇のカーテンを開けると、外は霧で真っ白だった。朝なのに薄暗いと思ったら、霧のせいか。

 改めて部屋の中を見回すと、夕食を食べたリビングではない。

 ベッドと本棚、クローゼットと小物入れ。家具は木製でそれぞれ美しい彫刻が施されていた。


―――鏡は……無いね


 シルヴィオさんが男性だから?それとも視力が低いのが当たり前のこの世界じゃ、最悪、鏡がないってことも……。

 そんなことを考えながら、私はカバンの中からメイク直し用に持っていた手鏡と、携帯ブラシを取り出した。髪がボブだと、寝癖なおしは必須だ。簡単に身支度を整えてから部屋を出る。

 部屋の扉をそっと開けると、そこはリビングだった。

 窓からの弱い光だけなので薄暗いが、歩くのには支障がない程度だ。

 シルヴィオさんはまだ寝ているのだろうか。見回しても姿はない。


 顔を洗いたかったので、昨夜使わせてもらった洗面台を借りる。リビングに戻ると、ピアノが目に入った。どんと大きなピアノは、まるで部屋の主のような存在感がある。

 もっと近くでよく見てみたくて近づくと、側にあるソファにシルヴィオさんが寝ていた。薄いブランケットがソファの下に落ちている。


―――ベッドを使ってしまって、申し訳なかったな。


 そんなことを口にすれば、また彼は何でそんなことを気にするのかと、少し怒って言うのかもしれない。

 ブランケットをそっとシルヴィオさんにかけ直す。少しだけ身動ぎをするシルヴィオさんに、起こしたかと身を固くしたが、まだ目は閉じていた。

 眠っていると、あどけない顔。

 ふわふわの茶色い髪。

 やわらかそうな大きな耳。

 ……長い睫毛。


―――寝顔をじっと見るのも失礼だよね。


 視線をシルヴィオさんからそらす。

 ふと、床に白い紙が落ちているのに気がついた。よく見れば、辺りに結構な枚数が散らばっている。

 音をたてないように、そっと拾い上げた。


―――楽譜……かな?


 よく知る五線譜とは違う。横に複数の線がうねりながら引いてある。所々に何かの印が書いてあって、出鱈目ではなく規則性があるのだとわかった。

 少しツヤツヤとしたインクで、触れるとぷくりと膨らんでいる。手書きのようだ。


 眠るシルヴィオさんをちらりと見る。

 シルヴィオさんが作曲した曲なのかもしれない。昨日、聴かせてもらった時は、楽譜を見ずに演奏をしていたから、楽譜は見ていない。

 好奇心がむくむくと、沸き上がる。


―――何とか譜読みできないかな。


 こっちの一本線が主旋律(メロディー)だとすると、その上の複雑な方が伴奏?で、主旋律の下が、もしかして歌詞かな。

 複雑な方は難しいが、一本線の方ならいけるかもしれない。

 このぐにぐにとした線が音の高さかな?音の長さは……ここで線が途切れてるから、線の長さだとして。この印はもしかして小節の区切だとか。


 うーん、昨日聴かせてもらったのとは、違う曲みたいだ。もっと明るい感じの曲……だと思う。

 音の高低はわかるけど、肝心の最初の基準になる音がわからないな。弾むような曲だし、Fdur(ヘ長調)Cdur(ハ長調)あたりだと思うんだけど。

 四苦八苦しながら見ているうちに、夢中になってしまったようだ。


「あ、そこ違います」


「うひゃあ!!」


 急に後ろから聞こえた声に、びっくりして大声をあげてしまう。

 振り返れば、シルヴィオさんがソファに身を起こしていた。

 どうやら、さっき、譜読みに夢中になりすぎて、声に出して歌ってしまっていたらしい。

 シルヴィオさんの耳がピンと立って、吃驚して固まった表情が、徐々に笑いに変わっていく。ツボに入ったのか、しまいにはお腹を抱えて爆笑するので、私の顔が羞恥で赤くなる。


「笑いすぎです」


 一通り笑って顔にかかる髪をかきあげると、シルヴィオさんが涙目で私を見る。


「君、きれいな声なんですね」


 さらりと言われて、どきっとする。


―――何だろう、寝起きだからかな?


 気だるげな仕草が何だか……いや、何でもない。


 シルヴィオさんは立ち上がると、するりと私の手から楽譜をとっていった。

 ピアノに楽譜を置き、蓋を開ける。昨夜と同じようにペダルを調整すると、片手で主旋律(メロディー)を弾き始めた。


 私は雑念を払って、シルヴィオさんの演奏に集中する。

 シルヴィオさんの左手の指が、楽譜を辿る。それに合わせて右手の指は、明るく華やかな旋律を奏でていった。

 自分でも驚いたが、さっきの譜読みはそこそこ正しかったようだ。概ね頭に描いた旋律と同じものをシルヴィオさんが奏でていく。


「ここは、こう……こうです」


―――ああ、この印が♯だったのね。


 わからなかった印の意味が、弾いてもらうことでわかる。あやふやだった部分がはっきりして、頭の中にメロディーが流れ始めた。


「ここから、弾いてもらっていいですか?」


 自分の譜読みとは違った部分を指して、もう一度弾いてもらう。

 わからなかったものがわかっていくのは、単純に面白かった。


「この初めから弾きます」


 シルヴィオさんが譜面の最初を指す。

 今度は、シルヴィオさんが伴奏を弾き、それに合わせて私が歌う。

 歌詞がわからないから『la()』だけだ。

 明るく、華やかな伴奏に歌を乗せる。

 読めるようになったばかりの譜面を、遅れないように集中して追った。


 一段目……二段目……


―――暗くてよく見えない。


 前に乗り出して、シルヴィオさんの背中越しに楽譜を指で追う。

 ふっと、伴奏が止まった。

 どこか間違えただろうか?それとも、腕で視界を遮ってしまっただろうか。

 座ってピアノを弾いていたシルヴィオさんと、視線が合う。


「……」


「私、どこか間違えました?」


 シルヴィオさんにいつもの笑顔がない。怒っているわけでは無さそうだが、何か言いたげに見えた。


「……いえ、ここから始めますね」


 シルヴィオさんは急にふっといつもの笑顔で笑うと、何事もなかったように続きを弾き始める。訝しく思ったが、私も楽譜に意識を戻した。

 その一枚の譜面は、曲の途中で終わっていた。


「続きは……」


 下に落ちている、紙のどれかだろう。

 私もシルヴィオさんも、それぞれ紙を拾い集める。


「リンカは歌の勉強をしていたんですか?」


「ええ、音大で声楽科を専攻していました。芽は出ませんでしたが」


 魔法が適当に翻訳してくれることを当てにして、さらっと話す。今は正直、この曲の続きが早く知りたい。

 手早く拾った紙をシルヴィオさんに渡す。


「これが一枚目、二枚目、三枚目は……」


「ああ、もう一枚こっちに落ちてます」


 ピアノの向こう側に落ちていた三枚目の楽譜を拾う。

 シルヴィオさんに渡しながら訊いてみた。


「この曲はシルヴィオさんが?」


「ええ、まだ、未完成ですが」


 四枚目、五枚目、六枚目。

 シルヴィオさんが揃った楽譜を確認する。どうやら、これで全部のようだ。


「最初からでいいですか?」


 ピアノの譜面台に楽譜を置いて、シルヴィオさんが私を振り返る。疑問形だが、完全にやる気満々だ。


「お願いします」


 私も他人のことは言えない。当然のように頷いた。

 久しぶりにきちんと歌が歌える。自分が、こんなにも歌を歌うことに飢えていたとは知らなかった。

 久しぶりに感じるこの高揚感を、手放したくない。


 シルヴィオさんの指が、楽譜の最初の部分に触れた。

 主旋律部分、それから伴奏部分にポゥッと緑色の光が点る。

 驚いて見ていると、シルヴィオさんの前奏に合わせて、音符の上を光が走り始めた。

 音楽を先導するような光に驚くが、楽譜が見やすくて助かる。

 Fdur(ヘ長調)。4分の4拍子。速度120。

 前奏が終わるのよりも少し早く、たっぷり息を吸う。

 最初にサビ。華やかに。軽やかに。


―――音、高いな。


 朝の起き抜けで声が出にくい。

 しかも、初見で歌うなんて久しぶりだ。少しでも気を抜けば、音を見失いそうになる。

 悔しく思いながら体勢を調整して、高い響きをキープしようとしてみる。

 集中して、余分な力は抜いて。


 歌っているうちに、少しこの楽譜に慣れてきた。

 ふと、違和感を感じて止める。


「今、何かおかしくありませんでしたか?」


 今の部分の楽譜を、指でなぞる。

 違和感の正体はすぐわかった。四拍子の曲なのに、一小節に三拍しかない。


「一拍足りませんね。休符いれますか?」


「いえ、ここは一拍長くしましょう」


 シルヴィオさんがペンを取り出し、修正する。

 だんだんシルヴィオさんも熱中してきたようで、時折楽譜に書き込みながら弾いている。

 私への要求も徐々に高度になってきた。


「そこはもう少し優しく」


「そう……そのまま。ここまで、スラーで」


「ここから、変えて。少しゆっくり(アンダンテ)で」


 タイミングを見て譜めくりもしながら、歌っていく。

 最初はぎこちなかったが二人で息を合わせていく。


「やっぱりここはもっと刻んだ方が」


「こうですか?」


「あ、そうですね。じゃあ、これで……」


 途中で何度か止めて、細かい修正を加えていった。

 そして6枚目。最後のページ。

 華やかな最後の盛り上がりと、柔らかな最後の一音。

 その余韻が消えると、私は感嘆のため息をついた。


「シルヴィオさんの曲は、明るくて、華やかで、歌っていて楽しいですね」


 もう一度、最初から歌いたいなと思う。

 全体の構成がわかったので、今度はもっとうまく歌えるだろう。

 久々に歌って少し浮かれていた私に、シルヴィオさんが曲の細かい調整を楽譜に書き込みながら、呟く。


「リンカは声はきれいですけど、残念って言われませんか?」


 責める口調ではない。

 ただ、そう思った……というだけの呟きだったが、私の浮かれた気分はすぅっと萎んでしまった。


「……よく言われます」


 本当に在学中にはよく言われた。


『声は綺麗なんだけど、何か物足りないのよね』

『歌がうまいだけで、印象に残らないんだなあ』

『上手いのよ?でも薄っぺらく感じるのよね』


 必死に勉強も練習もしたが、何が足りないのか、私にはわからなかった。わからないままなら、当然結果は出ない。

 シルヴィオさんは黙ってしまった私に、僕は歌う方は詳しくないんですがと、前置きをしながら助言してくれた。


「音がきちっとはまっていないんですよね。ときどき少しだけ外れて気持ち悪い」


「外れてました?」


「たとえば、こことか」


 シルヴィオさんが楽譜を指差す。


 ポーン


 シルヴィオさんのピアノの音に合わせて、慎重に発声する。

 シルヴィオさんを窺うと、首を傾げていた。


「うーん、単品なら大丈夫なんだけど……。ここからもう一度歌ってもらえますか?」


 少し前から、ワンフレーズを歌う。

 集中して聴いていたシルヴィオさんが、納得したように一つ頷いた。


「ああやっぱり、ピッチが落ちますね」


 シルヴィオさんがもう一度鍵盤を叩く。


「ここが、……このくらい下がってるんですよ」


 ポーーォォン


―――音が変わった!?


 シルヴィオさんが鍵盤を押さえたままペダルを動かすと、わずかに音が低くなる。一音とか半音ではなく、数ヘルツの域だ。


―――ピアノで音が変えられるのか……調律、どうしてるんだろう。


 つい、そんなことまで考えてしまったが、それよりも私の音の方だ。思い返してみても、先程この部分を歌ったときにはそんなことはなかったと思うのだが……。


「……私は気付きませんでした」


 悔しいが、正直に言う。

 シルヴィオさんは、遠くの海の音まで聞き取れるのだ。

 その耳の良さを考えれば、どちらが正しいのかは明白。私が気付けていないのだろう。

 音の違いを認識できないのは、致命的だ。何も直せない。

 シルヴィオさんも眉を寄せて、腕を組んだ。


「半音も違わないからこそ、僕はすごく気になります」


 数ヘルツの差は、歌う姿勢、首の角度、口を開けた形、発声するのが苦手な母音。そういうほんの僅かな違いで起こりうる。


 シンプルに言ってしまえば、発声に隙があるのだ。

 楽譜に気をとられた瞬間か、ブレスの瞬間か、はたまた音程の難しい部分で失敗しているのか……隙を失くすには、まずどこに隙があるのかを、自覚する必要がある。

 私は顔をあげて、シルヴィオさんを見た。


「シルヴィオさん、もう一度最初から歌わせてください。そして、私の歌のどこで音が嵌まっていないのか、教えて貰えませんか?」


 逐一、細かく、教えてもらう。

 そうすれば、どのタイミングで音がずれるのか、どこで気を抜いてしまっているのか、わかるはず。

 ただ、シルヴィオさんには、また一方的に負担をかけることになる。それなのに、シルヴィオさんは簡単なことのように笑って言った。


「いいですよ。その代わり、僕の曲が完成するまで、手伝って貰えませんか?」


「手伝い、ですか?」


 作曲で私に手伝えることがあるだろうか?

 私が首を傾げると、シルヴィオさんは楽譜に触れた。


「僕は駆け出しなので、なかなか僕の曲を歌ってくれる方がいないんです」


 確かに、まだ作曲家としての実績がないのなら、そうそう誰かに歌ってもらうことも出来ないだろう。プロはその声こそが商品なのだから。

 シルヴィオさんは楽譜から私の方へ視線を移すと、いつものように笑った。


「さっき、実際に歌ってみてもらって、イメージが変わったところもあるので、是非」


 何度も歌わせてもらえるのなら、私としても願ったり叶ったりだ。

 色々とお世話になりっぱなしなので、役にたてることがあるのも、素直にありがたい。


「わかりました。よろしくお願いします」


 まずは今の曲を最初からもう一回……というところで、またもや私のお腹の虫が鳴り響いた。

 真っ赤になる私に、シルヴィオさんが笑いをこらえて言う。


「まずは朝食にしましょうか」


 シルヴィオさんはキッチンへ向かおうとして、何かを思い出したように振り返った。


「おはようございます、リンカ」



あえて入れませんでしたが、このあとリンカもあわてて挨拶して、昨日寝てしまったお詫びもします。


主人公のターン、っぽくなったでしょうか。

彼女もまだ成長途中です。


また次回は、来週末にアップ予定です。

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