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魔法の都

「では、参りましょう」


 そう言って、シルヴィオさんは胸ポケットから、ペンのようなものを取り出した。

 それを振ると、パッと大きく広がって、傘を逆さまにしたような形になる。淡い緑色に光る傘は、地面から少しだけ浮いていた。


「これも魔法ですか?」


 驚く私を、シルヴィオさんが手を引いて逆さま傘に乗せてくれる。

 傘の内側は、底の丸い部分が上げ底のように平らになっていた。ふわふわとしているのかと思いきや、思ったよりしっかりと安定感がある。


「自転車といいます。リンカの世界には無いのですか?」


「……自転車、ですか」


 うん、ネーミングが違和感満載。

 不思議な魔法のアイテムよりも、どうして名前がそうなったのかの方を問い質したい。


「同じ名前で、全く別の物ならあるんですが……」


 微妙な顔になってしまった私に、シルヴィオさんの方が少々慌て出す。


「全く別の物ですか?おかしいな、やっぱり失敗してしまったのかもしれません」


「え?」


「僕が君にかけた翻訳の魔法のことですよ。本来なら、同じ用途の物は、同じ名前で聞こえるはずなんです」


 ということは、この逆さま傘は、自転車と同じ用途で使われているのだろうか。

 確かに、移動手段のようだし、こちらで気軽に使っているものなら、自転車と同じ用途と言えなくもない……かなぁ?


―――翻訳の魔法。便利だけど、気を付けないと細かい齟齬が出てきてしまうかも。


 よく頭に留めておくことにして、シルヴィオさんにうなずいて見せる。


「大丈夫です。見た目は違いますが、用途は日常的な移動手段なんですよね?」


「はい。もし、何か不都合があるようなら言ってください」


「わかりました」


「じゃあ、行きますよ」


 逆さま傘……もとい自転車のT字型の柄の部分を、シルヴィオさんと半分ずつ握る。シルヴィオさんの指輪がまた緑に光ると、ふわりと浮き上がった。

 すーっと建物の上まで浮かぶと、目の前に美しい夜景が広がる。


「わぁ……」


 たくさんの建物が複雑に組み合わさった町並みは、遠くまで見渡すことができた。

 それぞれの建物の屋上には、色とりどりの灯りが見えるが、ネオンのようにきつい光ではない。優しい灯りがとても美しかった。やわらかな街の灯りは、星を邪魔することもなく、街明かりも星空も綺麗に見える。

 遠くには不思議な水色に光る月が輝いていた。


「綺麗ですね」


 幻想的な夜景に感嘆のため息をつく。


「そうですか?気にしたことはありませんでしたが、そんなに喜んでもらえると誇らしいですね」


 シルヴィオさんが笑って自転車の柄を動かすと、それに合わせて自転車が移動していく。

 驚いたことにほとんど揺れないし、傘のおかげで真下は見えない。速度もそれこそ自転車と同じくらいなので、怖いとは思わなかった。


 建ち並ぶ建物のすぐ上には、淡く光る白い線がまるで川のように流れている。街の上を縦横に流れるそこを、逆さま傘……もとい自転車に乗った人影が、ぽつぽつと見えた。

 私たちの近くを行くその白い光の流れの一筋に、シルヴィオさんが自転車をのせる。すると、流れにのって、自転車がひとりでに移動し始めた。


―――自転車というより、小舟(ゴンドラ)みたい。


 大学の卒業旅行で行ったヴェネツィアを思い出す。街中を流れる水路と小舟の群れが、ちょうどこんな感じだった。


―――あれは浮いたりしていないけど。


 夜景を楽しんでいると、街の向こうに灯りが途切れた部分が見えてくる。

 心地よい風が吹いてくるその中に、少しだけ潮の香りも混ざっていた。


「あっちの暗い方は海ですか?」


 私が指さす先で、塗り潰したように暗い海を、水色の月の光が照らしていた。

 まるで、絵本の中の情景のようで、とても綺麗だ。


「えぇ、そうですが……リンカは随分目がいいんですね。ここから海が見えるんですか?」


「シルヴィオさんには見えないんですか?」


「ここからでは見えませんよ。波の音が聞こえるので、海があるのはわかります」


 シルヴィオさんの耳がくりくりっと動いて、海の方を向いた。


「波の音ですか?ここから?」


 私も耳はいい方だと思うが、こんなに遠くからでは波の音なんて全く聞こえない。

 驚く私に、シルヴィオさんは首を傾げた。


「そもそも、景色というものを、あまり気にしたことがありませんね」


 そういえば、私の耳や首が自分とは違うことに、シルヴィオさんは随分顔を近付けないと見えないようだった。

 この世界では、平均的な視力があまりよくないのかもしれない。

 だとしたら、彼らの大きな耳や何度か聞こえた高音、あれはもしかして……。


「リンカ、少し寄り道しますね。この時間ですし、あそこで夕食を買ってから帰りましょう」


 シルヴィオさんが、近くの屋上の灯りを指さした。

 お腹はもうぺこぺこだ。魅力的な提案に、私はさっさと思考を放棄して頷いた。




 夕食を買ってシルヴィオさんの家に着いたときには、私のしていた腕時計で午前二時をまわっていた。この世界に来たときは、たぶん七時くらいだったので、かれこれ五時間以上たっている。お腹も空いたが、かなり眠い。


 案内された家は小さな3階建ての建物だった。

 屋上で自転車を降りて、階段を下る。最上階の短い廊下。薄暗い中で浮かび上がるように鮮やかな緑の扉がシルヴィオさんの家だそうだ。

 他に扉は無いので、ワンフロアで一部屋、ということだろう。


―――紳士的だし、立ち居振舞いもきれいだし……実は、シルヴィオさんてお坊っちゃまだったりとか。


 建物は小さいから、ワンフロアといってもそれほど広くはない。こちらの普通はわからないし、下手な憶測はやめておこう。


「ここが僕の部屋です」


 シルヴィオさんが円いメダルのようなものをドアの窪みにはめた。かちゃりと音がして、鍵が開いたことがわかる。

 どうぞとシルヴィオさんが扉を開ける。促されるまま中にはいると、部屋の中は明るかった。火でもない、電気でもない。間接照明のような光が壁の要所から部屋を照らしていた。

 よく見ると、驚いたことに漆喰のような壁の一部が光っている。

 木と漆喰のような白い塗り壁でできた部屋の真ん中には、大きなピアノのようなものが置いてあった。その周りには、たくさんの紙が散らばっている。


「散らかっていてすみません。そこで手を洗えますから、どうぞ」


 示された洗面台は、ちょっとアンティークな感じの陶器のものだけど、見知ったものと変わりなかった。手を洗ってから戻れば、こちらへどうぞとシルヴィオさんの声がする。

 入ってきた扉の右手には簡素なキッチンがあって、シルヴィオさんがテーブルの上の雑多な物をどかしている。

 キッチンの引き出しからスプーンとフォークを取り出してテーブルに並べると、私に椅子を引いてくれた。


「どうぞ」


 自転車に乗り降りする時といい、され慣れていないことをされると戸惑ってしまう。

 さも当たり前の様にされると、断るのも申し訳ない。こちらでは、これが普通なんだろうか。


「あ……ありがとうございます」


 少し挙動不審になりながら、椅子に座る。

 目の前には、寄り道して買ったスープと、紙に包まれた丸いパン。

 お腹がまた盛大な音をたてた。


―――だってお昼食べてから何も食べてないし!今もう二時だし!


 心の中で自己弁護をしてみても、恥ずかしいことは変わらない。赤くなった顔で、シルヴィオさんを伺う。

 しっかり聞こえたらしいシルヴィオさんが、クスクスと笑いながら私の向かいに座った。


「なにはともあれ、いただきましょうか」


 物凄く食いしん坊だと思われたかもしれない。

 とはいえ、ここで否定したとしても説得力が無さすぎる。私は赤い顔のまま、手を合わせていただきますと言った。

 シルヴィオさんは少しそれに不思議そうな顔をしたけれど、すぐに両手を組んで、一言二言何か呟くとスプーンを手に取った。


 スープは、お持ち帰り用の保温ポットのような形の陶器に入っているので、まだ温かい。フワッと食欲をそそるいい香りがするが、中にはどろっとした緑色のスープが入っていた。

 ちょっと躊躇ってしまう見た目だが、シルヴィオさんが普通に食べ始めるのを見て、私も思いきって一口食べてみる。


「……おいしい」


 色々な野菜が入った、ポタージュのような食感のスープだった。家庭料理のような素朴な感じで、毎日食べても飽きないタイプの味。

 私がどんどん食べ進めていくのを見て、シルヴィオさんが安心したように笑った。


「あの店のスープはおいしいでしょう?」


「とっても」


 スープを買ったのは行きつけのお店なんだと、シルヴィオさんが、楽しそうに語る。どおりでお店の人とも親しそうだったし、おまけにパンも付けてくれた。

 おいしい食事は、気持ちをほっこりさせてくれる。いつの間にか、他愛ない話で盛り上がっていた。


「ところで、あそこにあるのはピアノですか?」


 私は、後ろにある大きなピアノらしきものを指す。この家に入ったとき、最初に目についたものだ。


「そうですよ。リンカの世界にもあるんですね」


「はい。シルヴィオさんも弾かれるんですか?」


 この家の中心は、明らかにあのピアノだった。まずピアノがあって、それに合わせて家具を置いたように見える。

 弾けるのかというよりは、どのくらい上手いのかと思って訊いたのだが、返答は予想外のものだった。


「弾けますけど、どちらかというと作曲に使いますね」


「作曲!?シルヴィオさん、作曲家なんですか?」


「まだ駆け出しですが」


 少し照れたように、シルヴィオさんが頭をかく。

 そういえば出会った時、演奏のことを熱く語っていた。けれど、まさか作品を作る方だったとは。


「シルヴィオさんが作った曲、聴いてみたいです」


「喜んで。まだ先生以外に聴いてくれる人もいないので、ぜひ感想を教えてください」


 食事を終えると後片付けを手伝い、お茶を頂いた。

 紅茶とカモミールティーをブレンドしたような風味のお茶で、おいしい。


「じゃあ、先日作った新作なんですけど」


 そう言って、ピアノの前に座るシルヴィオさんに、驚いた。

 今、午前3時前だ。私の時計でだけど。


「今から弾いて大丈夫ですか?下の階に住んでる方のご迷惑じゃ?」


「確かに安普請ですが、部屋の中の音が漏れるような欠陥住宅じゃありません。大丈夫ですよ」


―――部屋の音が漏れると欠陥住宅なんだ……。


 考えてみれば、耳のいいこちらのヒト達にとって、生活音が漏れるというのは、とんでもないことなのかもしれない。


「じゃあ、お願いします」


 私は、いそいそとピアノのそばに置いてあったソファに座った。

 正直、異世界の音楽には興味津々だ。

 見た感じ、ピアノも元の世界のものとは少し違う。

 大まかな形はピアノのそれだけれど、ペダルが多くて、全部で5つある。どうやって弾くのか、どんな音がするのか、とても楽しみだった。


 シルヴィオさんが、ピアノの蓋を開ける。

 鍵盤が見えるが、白と黒の他に赤と緑の鍵盤もあって、少し驚いた。

 シルヴィオさんがペダルを少し調整し、ゆっくりと弾き始める。


 夜想曲だろうか、穏やかな優しい調べにほっとする。

 たぶん、ピアノのハンマーや弦の材質が違う。もしかしたら形も違うかもしれない。

 ピアノは鍵盤楽器だけれど、中身を見れば、鍵盤に連なるハンマーが弦を叩いて音を出す『打楽器』だ。けれど、まるで弦楽器のような滑らかできれいな音がする。


―――ああ、でも、そんなことはどうでもよくなるくらい綺麗だな。


 猫に出会って、異世界に来て、初めて見るものばかりで、ずっと強ばっていた心がほどけていくようだ。

 私は目を閉じて、シルヴィオさんの演奏に身を委ねた。



次回は主人公のターン、の予定です。

また来週末に更新します。

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