赤い魔女
間違って投稿してしまったので、8/25に書き直した分をUPしました
隣から聞こえた拍手に、息をのむ。慌てて振り返ると、隣に青年が立っていた。
いつの間にこんな近くにいたんだろう?白いブラウスに茶のジャケット、頭にはちょうど大きな耳の形に合うように作られた、柔らかそうな茶色の帽子。さっきの私のように一心に拍手をしている。どう見ても、私のことは目に入っていない。
気付かれないうちに、そっとその場から退こうと一歩下がる。別に音をたてたつもりはなかったのだけれど、パッと青年が私を見た。
若草色の瞳は、興奮で輝いていて、全く知らない言語でばーっと何かを喋り始める。
「ーーーーーー、ーー!ーーー!」
あまりの勢いに口を挟むこともできず、ポカンとする。
何を言っているかはまったくわからないけれど、さっきの演奏がどれだけ良かったかを熱く語っているのはわかった。
友人にもいた。コンサートが終わった後、気がすむまで語り続けるタイプだ。こういうタイプは、語り始めたら止まらない。
身ぶり手振りに、首が長い分首ふりも加わる。ついでに大きな耳もぴこぴこと動いていて、先程の歌をそれはもう全身で大絶賛していた。言葉はわからなくても、充分すぎるほど伝わってくる。
「ーー!ーーー、ーーーー!?」
何か、同意を求められている。求められても、私にはどうしようもない。
困って、結局私は正直に日本語で話した。
「……すいません、何を言っているか全くわかりません」
私の言葉を聞いて、青年は訝しげに目を細めた。
「ーーーーー ーーー?」
何か尋ねられている。
何となくだけど、言葉がわからないのか、とか。外国人なのかとか、言っている……様な気がした。雰囲気的に。
「私は、怪しいものではなくて」
通じないとは思いつつ訴えるが、内心は冷や汗だらだらだ。
青年からすれば、首が短く小さな耳の私はものすごく怪しいはず。
いきなり騒がれたり、人を呼ばれたり、暴力をふるわれたりしないだろうか。
青年は少し首をかしげると、私の言葉を止めるように、手をあげた。
「ーー」
今度は何だろう?
ちょっと待ってとか?雰囲気としてはそんな感じだけれど。
青年が、右手の中指の指輪を私に向けた。複雑な紋様が刻まれた幅広の指輪には、青年の瞳と同じ緑色の石が埋め込まれている。
青年の口からチリチリとした高音が聞こえると、ぶわっと指輪から私の方に緑色の模様が広がる。同時に、耳と喉に熱を感じて、小さく悲鳴をあげた。
すぐに光も熱も消えて、青年が一つ、息をついた。
「これで、もう言葉がわかると思うのですが」
青年の言葉が日本語に聞こえて、ものすごく驚いた。
私が、目を丸くするので、青年は少し訝しそうに、私を見る。
「驚かせてしまいましたか?言葉がわからない方は、入国の際に、皆さん受ける魔法の筈なんですが」
「ま、魔法?」
「そうですよ。僕も誰かにかけるのは初めてなものですから、うまくいくか不安でしたが、問題ないようですね。あなたの言葉もわかります」
人の良さそうな笑みを浮かべて、青年は帽子をとって軽く頭を下げる。明るい茶色のくせっ毛がふわりと揺れた。
「先程は初対面で名乗りもせず、大変失礼しました、お嬢さん。僕はシルヴィオ エル ロット」
彼からすれば、私の見た目はものすごく怪しいはずだ。それなのに、思いの外紳士的な態度をとってもらえたことに、少しほっとする。
「橋本凛歌です。シルヴィオさん。こちらこそ言葉がわかるようにしていただき、ありがとうございます」
「アシモトリンカ?変わった名前ですね」
「ハシモトです」
「アシ……違うな……サシ?いや……」
どうやら、こちらのヒトにとっては、言いにくい名前だったらしい。苦労しているシルヴィオさんに、申し訳なくなって、言い直した。
「どうぞ、リンカと呼んでください」
「リンカですね。よろしく」
少しほっとした様子のシルヴィオさんが、手を差し出す。この世界にも握手があるのかと、ちょっと意外に思いながらも、手を握った。
おや、とシルヴィオさんがまた首を傾げた。
「何か……」
すっとシルヴィオさんの顔が私に近づく。急なことに驚いて、後ろに仰け反るように下がると、逆に握手をしていた手を引かれた。
急に顔が近づいてきて、ピーンと金属を鳴らしたような高い小さな音がする。
若草色の瞳が細められて、私をじっと見つめる。
驚きと、薄れていた恐怖が甦って動けない。鼓動だけがどんどんと速く大きくなっていった。
ピーンという高音も、まるで耳鳴りのように大きくなって、シルヴィオさんの瞳が驚きに見開かれていく。
「その耳は……首も……」
今、初めて私の容姿が異なることに気付いたように、シルヴィオさんが呆然と呟いた。
―――シルヴィオさんはもしかして……
はっとして、確かめようと口を開いた私を遮るように、クスクスと上から笑い声が降ってくる。
「異世界人は、皆そんな耳と首なのよ。その子には、坊やの方が化け物に見えるのでしょう?」
ぎょっとして上を見上げれば、建物の窓のところに猫が座って、こちらを見下ろしている。
私が何か反応するよりも早く、シルヴィオさんが震える声で一言叫んだ。
「赤い魔女……!?」
シルヴィオさんの動揺に、猫は満足そうに笑う。
見れば、シルヴィオさんの顔色が真っ青だ。
「シルヴィオさん、あの猫を知っているんですか?」
驚いて尋ねる私に、我にかえったシルヴィオさんが私を背に庇う。
「赤い魔女は、この国を混乱に陥れた罪で処刑されたはずです。でも、あの声は間違いなく……」
「そう、私は死んだわ。でも戻ってきたの。約束が守られているか、確かめにね」
「約束?」
「あら、知らないの?私が死ぬ前に、どんな約束をしたのか」
シルヴィオさんの肩が震えている。その背に庇われている私も、背筋がヒヤリとした。何か猫の地雷を踏んだのだと、何もわからないなりに理解した。
「そうね、言えなかったのでしょうね」
無知な子を憐れむように言うと、猫の顔から笑みが消えた。
代わりに、女王ような威厳を纏った猫は、私たちに命令した。
「祈りなさい。平穏を望むなら。約束が守られていることをね」
私も、シルヴィオさんも一言も発することができない。
「リンカ」
猫の瞳が私に向けられる。
シルヴィオさんの背に庇われていても、畏怖に身がすくんだ。
「元の世界に戻りたい?」
戻りたい。
早く家に戻って、何もかも夢だったと思ってベットで寝たい。
切実にそう願った。けれど、何故かそれを口にしてはいけない気がした。
黙ったままの私の内心を見透かしたように、猫は頷く。
「その気になったら呼びなさい。私の眷属にしてあげるわ。……シルヴィオ」
猫は今度はシルヴィオさんに視線を向けた。シルヴィオさんの肩がビクッと震える。
「リンカをしばらく預けるわ。大事にするのよ」
一方的にいい放って、猫は再び姿を消した。