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それから……

 その後はあっという間だった。

 兵士たちがミケーラさんを取り囲んだと思ったら、ジュッという火が消える時のような音と共に青い魔力の光が消え、ミケーラさんが拘束された。

 兵士達の長なのだろう、軽くシルヴィオさんに敬礼をすると、また連絡する旨だけ告げてミケーラさんを連行していってしまった。


 魔法も武器も使わないで、みんな追い払っちゃった…………。

 一部始終を見ていたというのに、信じられない。

 私達三人だけになった屋上で、私は安堵のというよりは感嘆のため息をついた。


「これで、一息つけますね」


 シルヴィオさんが、いつも通りに笑う。

 私の返す笑顔が、いつもと同じに見えるかどうか、少し不安になった。

 あまりにも、さっきのシルヴィオさんが凄すぎて怖いと思ってしまったのは事実で……助けてもらったのに、申し訳ない気分になる。


「そうだカッサンドラ、腕の怪我……」


 振り返れば、カッサンドラはもう自分で治癒の魔法をかけていた。さすがは赤い魔女。赤い光を放つ魔方陣の中で、あっという間に傷口が塞がり、消えた。もう一度手を振ると、今度は別の魔方陣が破れたドレスを繕っていく。

 カッサンドラが、私の視線に眉をあげて自慢げに笑う。


「言ったでしょう?大丈夫だって」


 大丈夫?とんでもない。月明かりの中でさえ、顔色が悪いとわかるのに。指輪探しやら復讐やらで国中を駆け回って、ちゃんと食事も睡眠もとってなかったんじゃないだろうか。

 よく見れば、目の下に隈ができているようにも見えるし………。


「何か……痩せ我慢してない?」


「痩せ我慢?したことないわね」


 相変わらずのカッサンドラにため息をついて、私は鞄からパックに入ったサンドイッチを取り出す。


「食べる?」


 明らかにカッサンドラの目が輝いた。

 やっぱりお腹空かせてたのか。家で傷みやすいものを使いきろうとした時に、思い付いて作っておいて良かった。

 トマトときゅうりとレタス、それに玉子サラダ。簡単で定番の具だけど、一応、向こうで猫に食べさせてもいいものを検索して、猫仕様の薄味にしてある。さすがに猫缶を持ってきても食べてくれないだろうしね。

 マグに入れたお茶も持ってきたので渡すと、そちらも嬉々として受けとった。


「美味しそうですね」


 ぐう~と音がして隣を見れば、お腹を押さえたシルヴィオさん。


「シルヴィオさんも食べてなかったんですか?」


「避難やら何やらで、食べ損ねてしまいました」


 面目なさそうに耳を下げるシルヴィオさんに、笑ってもう一パック取り出した。…………うん、今度は大丈夫。普通に笑えてる気がする。

 家にあった材料でできたのはこれで全部だ。平らげてもらえれば私も助かる。

 でも、マグが一つしかないので、コップが足りない。どうしようかと思っていたら、シルヴィオさんが出してくれた。避難の時に支給された非常用のものらしい。中身はもう飲んでしまったからと、例によって魔法で小さくなっていたコップを三つ取り出す。

 そこらにあった木箱をぱぱっとはたくと、シルヴィオさんが三人分の座る場所を用意してくれた。

 さっと拭いたコップにお茶を注いで座る。なぜか私が真ん中だ。


「あなたの分のサンドイッチは?」


「私はまだそんなにお腹空いてないから……」


 私が手を振ると、両側から一つずつ差し出された。

 なんだか昨日のランチとは、立場が逆になっている。苦笑してお礼をいうと、二人もいただきますと言って食べ始めた。


「それで、これからどうしようかしら?さっきまでとは前提が随分変わっちゃったわね」


 ちらりとカッサンドラがシルヴィオの方を見やる。シルヴィオさんはしれっとサンドイッチを食べながら言う。


「お二人とも晴れて無罪放免です。ここに残ればいいじゃありませんか」


 住居なら提供しますよといわれても、そうはいかないだろう。シルヴィオさんの負担が大きすぎる。

 かといって、向こうに戻ってもうここに来られないのも、色々とやり残したことが多すぎた。


「そういえば、シルヴィオさん、あれ、どういうことですか?特殊芸能の移民受け入れ試験って……」


「あれはオリンドから話が出たんですよ」


 昨夜、オリンドさんから連絡を受けたときに提案されたらしい。私が歌えるなら、不法入国者として扱われるより、その方がいいだろうと。音楽関係で有能なら、かなり厚待遇で移住できるらしい。

 今朝、私が帰ってしまった後、もし戻って来ることがあれば、今度はその形にすれば不法入国にならないからと、オリンドさんと色々詰めてくれていたようだ。


「その試験って、今の私で受かるような内容なんですか?」


「それは、準備期間もありますから」


 にこりとシルヴィオさんが笑う。さっき、兵士達に見せたのと同じ笑顔だ。

 …………相当難しいのね。

 どうやら、さっきの『私はもう不法入国者じゃない』云々は、多分にはったりが入っていたらしい。

 さてどうしたものか。サンドイッチを囓りながらカッサンドラを見ると、もう一つ目を食べ終えて二つ目にとりかかっていた。


「指輪を返したら、もう異世界転移の魔法も使えなくなっちゃうの?」


「正直、一つもない状態だと厳しいわね。帰るつもりなら、指輪を返す前になさい」


 シルヴィオさんは何も言わずに、サンドイッチを食べている。でも耳はしっかりこちらを向いているから、話を聴いているのはわかった。


「カッサンドラは?もう追われる心配がないなら、ここに残るの?」


「…………あなた、私達の話、聞いてなかったの?」


「途中から囲まれてるって気づいて、それどころじゃなかったんだもの」


 聞いたかもしれないけど、頭の中を素通りしていったと思う。

 カッサンドラはシルヴィオさんへちらりと視線を向けた。フッと笑った気がしたのは気のせいだろうか。

 サンドイッチを食べる手を止めると、私にきちんと向き直る。


「あなたが本気で歌をやるなら、向こうで私が歌の指導をしてあげてもいいって言ってたのよ」


「本当に!?」


「その代わり、私の食事と寝床はあなたが用意なさい」


「そのくらいなら、いくらでも!」


 何そのおいしい話!?

 普通なら月一回、一時間のボイトレで数万円は飛んでいく。食事と寝床くらいならお安いご用だ。むしろ、そんなに安くて申し訳ないくらい!

 思わずカッサンドラに向かって身を乗り出したその瞬間、強い力でぐっと引き戻される。カッサンドラの愉しそうな顔が視界から消え、視線が夜空を(よぎ)る。ぽすんと背に当たったのはシルヴィオさんの胸だ。覚えのあるハーブの香りが、ふわりと舞う。


「リンカ?僕との約束、覚えていますか?」


 耳をくすぐる低い声に、心臓が音をたてた。やんわりと肩と腕を抑えられて、逃げ出すこともできず、こくこくと頷く。

 もちろん、ちゃんと覚えている。歌を見てもらうことも、シルヴィオさんが作った曲を歌うことも、自転車に乗せてもらったお礼も。どれも破るつもりも無いけれど、カッサンドラの非常に魅力的すぎる誘いに抗えない。抗いたくない。

 だって、カッサンドラの歌の指導だよ?経験や発声法もさることながら、あの超絶技巧。是非コツとか練習法とか教えてもらいたい。

 助けを求めてカッサンドラを見ても、面白そうに頬杖をついてこちらを眺めているだけ。抜け出すどころか、シルヴィオさんの腕の力が少し強くなった。


「…………特殊芸能の移民として登録されれば、住居の補助も出ます。こちらで僕との約束を果たしつつ、カッサンドラの指導を受ければ良いのでは?」


 …………それはいいかもしれない。試験に合格できればだけど。

 そうすると、カッサンドラが指輪を返せば元の世界に戻れないが、それ以外は全部丸く収まる。

 私がこちらに住む場所を他に見つけられれば、シルヴィオさんの負担も大きくなりすぎない。カッサンドラはこの世界を捨てずに済むし、そうなれば子孫であるオザンナさんに会う機会も作ることができる。

 私の家族や会社には、もうメールも送ってある。思い付く限りの準備はしてきた。

 カッサンドラよりも上手くなるという目標を叶えるには、音楽のレベルの高いこちらの世界の方が、都合がいいことは確かだ。

 ――――決断、するべきなのかもしれない。


『私と帰りなさい』


 傾きかけた私の心を読んだ様に、カッサンドラが思念を飛ばしてきた。

 シルヴィオさんには聞こえてないようだ。


『気付いてないでしょう?この坊や、私の指輪を取り上げてあなたが帰れないようにした上で、私やあなたがここにいられるようにお膳立てしてるのよ』


 …………え?

 思いもよらない言葉に、思考が凍る。


『この街の人間は音楽好きではあるけど、元は根っからの商人なの。交渉上手で、自分の利益になる様にことを運ぼうとするわ』


 カッサンドラの言葉に、背筋が冷えていく。先程の兵士たちのように、私も知らずにシルヴィオさんの話にのまれているのかもしれない。

 私の顔色が変わったのに気づいたのだろう。

 シルヴィオさんが私を肩と腕を抑えたまま、カッサンドラに釘を刺す。


「カッサンドラ?何か余計なことをリンカに吹き込んでませんか?」


「あら、怖い。ミケーラの次は私を排除するつもりかしら?……坊やもこの街の男よね」


 シルヴィオさんと話しながら、カッサンドラはまったく違う内容の思念を私に飛ばしてくる。


『あなた、たった二日で随分坊やに気に入られたのね。男のあしらいかたも知らないあなたが残れば、今夜あたりおいしく頂かれちゃうんじゃないかしら』


―――!?


 思わずびくりとしてしまったのを、シルヴィオさんに気付かれてしまっただろうか。肩と腕を掴んでいる手を、どうしても意識してしまう。背中に感じる体温も。

 シルヴィオさんのあの若草色の瞳がすぐ横にあると思うと、怖くて振り返れない。

 震えそうになる体に力を込める。

 心臓が早鐘のように鳴っていた。


 …………あれ?


 シルヴィオさんの腕が緩んだ。

 躊躇うように。窺うように。

 私が望めば、抜け出せるように。


 ああ―――もう1つ、約束があった。


 シルヴィオさんは、私が嫌がることはしないと約束してくれた。私はそれを信じると決めたはずだ。

 間違えちゃいけない。シルヴィオさんは、私やカッサンドラを守ろうとしてくれていた。私を帰らせないようにしたのだって、私がここに戻ってきた意思を尊重してくれたのかもしれない。


 落ち着け。

 私は自分に言い聞かせて、一つ深呼吸する。

 状況に流されて、私にとっての最善、私の望みを見失っちゃ駄目だ。

 私は自分を鼓舞して、シルヴィオさんに体ごと向き直る。自然と腕から抜け出したけれど、今度は正面から若草色の瞳と向き合うことになる。つい目をそらしたくなるのを堪えて、顔を上げた。


「…………シルヴィオさんは、普段、お仕事とかあるんですか?」


「は?え……えぇ、僕はまだ作曲家と言っても駆け出しですから。先生の所に行って、主に雑務や先生の演奏会の手伝いですね」


「毎日……ですか?」


「平日はほぼ。演奏会があれば、週末も駆り出されますが」


 知らなかった……。

 そう、シルヴィオさんにだって普段の生活があったはずだ。

 これまで全く気を回していなかったことを、今さらながら悔やんだ。


「じゃあ、昨日や今日も、本当は忙しかったんじゃ」


「いえ、この二日間は週末ですから、休みです。演奏会も入っていませんでしたし」


「こちらは一週間って何日ですか?」


「7日よ」


 これはカッサンドラが答えてくれる。

 時間軸が一緒だと思ったら、一週間の単位も同じらしい。


 私は、決断した。

 シルヴィオさんはどこか緊張した面持ちで、私が何を言い出すのか待っている。

 ……怖くない。大丈夫。


「私、向こうの世界に帰ります」

あまりに長いので、分割しました。

続きはまた明日更新します。


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