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決着②

 飛行機が役所へとめり込んでいくのが、妙にゆっくりと見えた。

 悲鳴も上げられず見つめる私の前で、飛行機は止まることなく、爆発もすることもなく、尾翼まで突き抜け…………。


 消えた。


 一体何が……。


 頭が現実についていかない。

 暗くても、遠目でも、見間違えるはずがない。確かに飛行機は役所にぶつかったはずだった。


「やっぱり……あれはあなたの作った幻影だったんですね」


 固まる私とは違い、シルヴィオさんが冷静に呟いた。

 カッサンドラは意外そうに眉を上げ、シルヴィオさんを見る。


「まさか、坊やに見破られていたとは思わなかったわ」


「確信があった訳ではありません。ただ、あなたが幻影を使って各地で混乱を引き起こしているという話を、聞いていましたから」


―――あ。


 言われて思い出した。昨夜、オリンドさんからそう連絡があったと、私も聞いた。

 カッサンドラが悪戯が成功した子供のように笑う。


「いくらなんでも、あんな大きな異世界転移の魔法陣なんて描けないもの」


「あれだけ大きな幻影を、誰もが本物と思い込むほどの精度で作るというのも信じられませんよ」


 どうしたらあんな音までつけられるんですかと、呆れたような、シルヴィオさんのため息が落ちる。

 私はもう一度、何事もなく建つ役所の大きな影を見る。

 じゃあ、本当にあの飛行機は………幻。

 当然、誰も乗っていない。

 爆発もしない。

 ようやく頭に現実が浸透してくる。


「じゃあ、さっきのもう二度と歌うなって…………」


「そうね、ちょっとした嫌がらせかしら?あなたがあんまり思い通りにならないのだもの」


 おかしそうに笑うカッサンドラの瞳には、穏やかそうに見えてもまだ先程と同じ光が灯っていた。とても言葉通りには受け取れない。


「…………本当に?」


 そう尋ねると、カッサンドラはゆっくりと、先程と同じ薄い笑みを浮かべた。


「あなたが中途半端にこそこそと歌っているのを聴くのは、我慢ならないというのは、本当よ。このまま、あなたが二度と歌わないというなら、それはそれでいいのだけれど」


 やっぱり……私の歌に怒っていたんじゃないか。それに、思っていた通り、以前から私の歌を聴いていたのだ。

 思わずため息が落ちる。

 私がこっそりと人目を避けて歌っているのを、下手な歌にそれで満足してしまっているのを、歌えない猫の姿で、どんな想いで見ていたのか。今は理解できる。


「だから、私をこの世界に連れてきたのね」


 カッサンドラがこの世界に戻った目的は、サヴィーノさんとの約束のためというのも本当だろう。

 でも、私の歌をどうにかしようとしたのも、きっと本当。

 カッサンドラが薄い笑みで頷く。


「そうしたらあなた、私よりも上手く歌えるようになるそうだし?それならそれで、お手並み拝見してもいいと思ったの」


 カッサンドラの瞳は、また物騒に光っている。やれるものならやってみなさいと言葉より雄弁に物語っていた。できないのなら、本当に二度と歌うなと言外に言われている気がする。


 なんだかもう怒りを通り越して、何も出てこない。

 とにかく誰も死なない。

 私がカッサンドラより歌が上手くなれば良い。

 そういうことらしい。

 最後の一つがものすごく大変ではあるけれど、そこを目指すことに異論があるはずもなく……。

 …………気が抜けた。

 足が勝手にへなへなと力を失って、その場にペタリと座り込む。

 頭の片隅の、妙に冷静な部分が呟いた。


 ああ、腰が抜けるってこういうことか。


「リンカ、大丈夫ですか?」


 驚いたシルヴィオさんが駆け寄ってくる。手を貸してくれるが、驚くほど足に力が入らない。

 いろいろな感情が振り切って、頭がぼーっとしていた。

 シルヴィオさんがカッサンドラに目を向ける。


「絶対にリンカに悪いようにしないという、約束だったはずですが」


 悪いようにはしてないでしょう、とカッサンドラは首をすくめる。


「その子が腰を抜かしたのは、不可抗力ね」


 どういうこと?

 視線で問う私にシルヴィオさんが教えてくれる。


 私とカッサンドラが話している間、シルヴィオさんにだけ聞こえるように、カッサンドラが思念を飛ばしたらしい。

 曰く、悪いようにはしないから、そこで見ているようにと。出来ないなら、今すぐ私をあちらの世界に帰すと脅された。私が望んでも、今度は帰ってこられないとも。


「……それは、本当ですか?」


 慎重に訊かれて頷く。もうカッサンドラの魔力が残っていないから、あの魔法陣を起動させることも出来ないだろう。

 シルヴィオさんは少し瞳を揺らしたが、一度目を閉じるとカッサンドラに向き直った。


「それで、これで気は済んだのですか?」


「ええ、サヴィーノにも、大概で許しておけと言われたし、このくらいにしておいてあげる」


「サヴィーノに?」


「指輪に仕掛けがしてあったのよ。……あいつの周到さに感謝することね」


 じゃあ、それがなければ、どうするつもりだったのだろう。

 ぼんやりと考えるが、ろくなことにならないのは確かだ。サヴィーノさんには本当に感謝だ。カッサンドラをその場にいないのに止められるその偉業、最早サヴィーノ様と称えたいくらい。

 ともかく、約束を破った報復、三百年前を越える混乱、それはもう果たされたと思っていいらしい。

 シルヴィオさんはどう考えたのか、カッサンドラの言葉に一つ頷いただけで、話を変えた。


「これから、どうされるつもりですか」


「向こうの世界に戻るわ。ここで捕まって、また処刑されてもつまらないから。おそらく、もうここには戻れないでしょうね」


 確かに、これだけの混乱を起こして、博物館から指輪やら衣装やらを盗んで……となれば追われることになるんだろう。向こうにいけば安全だというのはわかる。

 けれど、オザンナさん達はどうなるのだろう。

 カッサンドラだって、故郷を捨てることになるんじゃないだろうか。

 そう思って、何となく街に視線を向けた。その先にちらりと動く影。向こうの屋上に誰かいる?

 ヒヤリとしたものが、背を走る。思わず体を固くした。

 よく考えたら、轟音でカッサンドラが探知されるのを妨害していた飛行機はもう無いのだ。

 自分の心臓の音が、大きく波打った。

 気付いたことを悟られないように、ゆっくりと視線を巡らす。


「凛歌もよ。今度こそ向こうに帰ってもらうわ」


「待ってください、それは……」


「坊やが心配しなくても、向こうで私がしっかり歌を仕込んであげるわよ」


 二人の会話が頭を素通りしていく。

 明るい月の光の下、さっと横切っていく黒い人影。

 私の正面、カッサンドラの向こうの建物の屋上にも。シルヴィオさんにの向こう、右側の建物の屋上にもいる。

 視線を向けられないけど、多分私の後ろ側にもいるんだろう。

 影のようなものがさっと動くのを捉えられるだけで、全部で何人いるかもわからない。けど、いつの間にか私達は囲まれていた。


「リンカは自分の意思でここに戻ってきたのに、ですか?」


「今回の件で最高機関が凛歌に目をつけていたらどうするの?最悪の場合、サヴィーノの二の舞よ」


 この世界では視覚を重視しない。だからこそ影たちも、私が見えているとは思っていないのだろう。静かに静かに、私達を逃がさないように輪が作られていく。

 口の中がカラカラに乾いていた。

 できるだけ小さな声で、警告を込めて囁いた。


「……シルヴィオさん」


 僅かに震えた声に、シルヴィオさんがハッとして私を振り返る。カッサンドラが耳をそばだてた。

 その向こうで、影達にも緊張が張りつめた。

 影達が構えたのは、映画や舞台では見慣れたシルエット。それらが音もなくしなる。月明かりに鈍く光るそれが、まっすぐこちらに向けられたのがわかった。

 とっさに声がでない。代わりに体が動いてくれた。カッサンドラにしがみつくように伏せる。


 タタタン


 同時に何かが周りに刺さる音。

 カッサンドラにしがみついたまま、視線だけ向ければ、少し離れたところに弓矢が刺さっていた。

 ひゅっと喉が鳴って、今更手が震えてくる。


「大丈夫ですか!?」


 シルヴィオさんの声に、頷く。

 けど、私の下から微かな呻き声がした。


「カッサンドラ!?」


 見ればカッサンドラが右腕を抑えて、顔をしかめている。

 傷口を確かめようと伸ばした手が届く前に、冷たい事務的な声が響いた。


「邪魔をされるなら、あなたも罪に問われますよ。リンカ」


 聞き覚えのある声だった。

 カッサンドラの向こうの屋上に、すらりと立つ人影。

 月光に銀に光る髪。

 カッサンドラが痛みを堪えながらも、笑う。


「思ったよりも早かったわね……ミケーラ」


「あれを消した後に、悠長にこんなところでお喋りしていることの方が信じられませんわ」


 まあ、お陰で逃げられない程度の包囲は用意できましたけど。と、ミケーラさんが腕を上げた。

 ざっと周りの屋上に弓を構えた人影が並ぶ。その切っ先は私やシルヴィオさんにも向けられている。

 ……今度は伏せても避けられない。

 思わず側のカッサンドラの服を掴む。


「魔力じゃ私に敵わないから、兵士で囲めばなんとかなると?随分となめられたものね」


 私の手をそっと外し、カッサンドラがゆっくりと立ち上がる。

 五つの指輪が、また光を放ち始めた。あの威圧的な魔力がカッサンドラからあふれでてくる。


「最初の一射で仕留められなかったことを、後悔なさい」


 怪我をしているとはいえ、赤い魔女の迫力と威圧感だ。囲んでいる影達に動揺が走る。

 けれど、私には見えていた。カッサンドラの右腕が震えている。あふれでる魔力も、これまでよりずっと弱々しい。

 そのカッサンドラを庇うように前に立ったのは、シルヴィオさんだった。


次回で終了予定です。

年内にもう一度更新します。

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