決着①
今回、更新にあたり前回、前々回の話の最後を少し編集しています。
確認しなくても読めますが、気になる方はお手数ですが前回、前々回の話のラストをお読みください。
「カッサンドラを捜していたら、君の歌が聴こえて……まさかと思いましたが、来て正解でした」
優しい声に、ますます涙が零れていく。
シルヴィオさんに会えて箍が緩んでしまったのか、涙が止まらない。
カッサンドラのこと。
飛行機のこと。
言いたいことも伝えなきゃならないこともたくさんあるのに。そのどれもが浮かんでは消えて、言葉にならない。
口から溢れるのは堪えきれない嗚咽ばかりで、情けなくなってくる。
泣き続ける私に、後ろから抱き締めるシルヴィオさんの、力のない声が聞こえた。
「申し訳ありません。そばにいたのに君を守れなくて……眷属にされてしまったときも、今朝も」
何を言うんだろうか。
いつもいつも、助けてもらっていた。守ってもらっていた。
返しきれないほどに思っているのに。
「そんっな、こと」
嗚咽にまぎれて、上手くしゃべれない。
代わりに大きく首を振るが、シルヴィオさんの声は晴れなかった。
「今も、リンカが戻ってきて良かったと……君のためを思えば、生まれた世界に戻った方が良いに決まっているのに」
後ろから聞こえる悔悟の言葉。
それなのにシルヴィオさんの手は、私をあやすように優しく撫でてくれる。
そんな風に私を甘やかさないで。
十分守ってもらっていると、戻ってきたことを良かったと言ってもらえて嬉しいのだと伝えたいのに、思うように言葉が出てこない。
悔しくて、余計にまた涙が溢れてくる。
「……っ、すみません。嫌がることはしないと約束したのに」
私がまた泣き出したのを、嫌がっていると受け取ったらしい。
離れていくその手を、咄嗟に掴んでいた。
「い、嫌じゃありません!」
振り返れば思いの外、近くにある若草色の瞳。
心臓が大きく音をたてた。
目を見開いたシルヴィオさんが笑う。昨夜の少し傷ついたものとは違う、嬉しそうな笑顔で。
昨夜は触れるのを止めた手で、私の涙を拭う。頬をなぞって、涙で張り付く髪を耳にかけて。
柔らかく深く、抱き締められた。
「……良かった」
耳許で聞こえる少し低いシルヴィオさんの声。
体の芯がゾクリとするような……。
もう、その手を止めてはくれないんだろうなと、ぼんやりと思った。
両頬を手で包まれて、顔を上向かされる。
若草色の瞳が、近づいてくる。澄んだ泉のように深い瞳。
綺麗だからと踏み込めば、あっと言う間に溺れてしまいそう。
「…………あ」
今さら、逃げ道を探して目が泳ぐ。その視界の端に、何かが光った。
深く、鮮やかな赤い光。
カッサンドラの魔力と同じ色。
思わずシルヴィオさんを押し退け、光を指差す。
「シルヴィオさん、あそこ!」
つい一歩踏み出して、その先が無いことに気が付いて、慌てて足を戻す。
そう、ここは屋上のさらに上の小屋の上。
シルヴィオさんの協力無しには、移動すらままならないことは、さっき痛感している。
振り返ると、シルヴィオさんが額を手で覆ってガックリしていた。
「あの…………ごめんなさい」
土壇場で逃げた自覚はある。
シルヴィオさんは力なく首を振ると、立ち上がって私の見ていた方へと目をやった。……耳はまだへたっとしてる。
「何か、見えたんですか?」
「あそこに赤い光が」
私の指差す先を、シルヴィオさんは目をすがめて見る。が、すぐに首を振った。
「僕には見えませんね……」
「赤い魔女の魔力と同じ色の光なんです。あそこにいるのかもしれません」
「それなら、僕でも感じとれると思うのですが」
シルヴィオさんが今度は目を閉じて、そちらに耳を広げる。目を閉じて、集中しているようだったが、何も感じとれなかったようだ。
首を振って、忌々しげに飛行機を見る。
「だめです。魔力もですが、あれの音が邪魔をして、向こうに人かいるのかもわかりません。一体なんでしょうね、あれは。ドラゴンと言う人もいますが、僕にはあれがとても生き物だとは思えません」
「飛行機です。私の世界の乗り物で、二百人くらいは乗っていると思います」
だから、できる限り早く、無事に帰したいのだと話す。
「リンカの世界の?まさか、いくらなんでも……」
驚き、何かを考え始めてしまったシルヴィオさんに、頭を下げる。
図々しいだろうか。でも、他に頼めるヒトもいない。
「シルヴィオさん、お願いです。私をあの光のところまで連れていってもらえませんか?」
少し何か考えている間があった。
それでも、わかりましたと言ってくれてほっとする。
シルヴィオさんは側に浮いたままだった自転車を引き寄せ、乗り込んだ。そして、私に向かって手を差し伸べる。
「その代わり、今回だけはあとでお礼をいただきます。それでも?」
「はい」
私が頷くと、すぐに自転車の上に引き上げられた。かなりの早さで私の指し示した方へ向かってくれる。
あまりにも真剣な顔で言われたので、勢いで「はい」と言ってしまったけど、良かったんだろうか。そんな考えが頭を過ったが、だからといって否という選択肢は私にはない。
飛行機を見上げる。
すっかり暗くなった空に、大きな翼の影。ライトが赤と緑の点滅を繰り返していた。
少し圧迫を感じるほど高度が低い。私でもそうなのだから、この世界のヒトは尚更だろう。中に乗っている人にとっても……。
私は雑多な思考を振り払う。今はまず、カッサンドラを止めなければ。
自転車から見下ろせば、もう街にはほとんどヒトがいなかった。
聞けば今朝、役所に避難勧告を出すよう、シルヴィオさんが呼び掛けていたそうだ。カッサンドラがこの街で何か事を起こすことをほのめかしていたこともあって、オリンドさんも協力してくれたらしい。
実際に飛行機が現れるまでは半信半疑だった街のヒトも、もう街の外へ避難したのだろう。
「いました!あそこです」
赤い五つの光の向こうに、カッサンドラの姿が見えた。
光っていたのは、カッサンドラの指輪のようだ。
狭い、物置のようになっている屋上の真ん中。仁王立ちしてこちらを睨んでいる。明らかに私たちを待っていたのだ。
私達が自転車から降りるのも待たず、カッサンドラがツカツカとこちらに来る。
「本当にどこまでも思い通りにならない子ね!なぜ戻ってきたの!?」
肉声ではなく、思念で怒鳴られる。
カッサンドラも見つかるのを警戒しているのだろう。私もここへの道すがら、シルヴィオさんから忠告されていた。
今、最高機関も兵士も、カッサンドラを血眼になって探している。飛行機の轟音で、音を使っての居場所の特定はできていないけれど、本人が声を出すようなことがあれば、すぐに見つかってしまうと言われた。
シルヴィオさんも私も、昨日の役所での件で、カッサンドラに関わる人間として目されている。うかつにカッサンドラの名を呼べば、察知されて取り囲まれる恐れがあるという。そうなれば、私もシルヴィオさんもどういう立場に置かれるかわからない。
「あなたこそ、私を勝手に連れてきて、勝手に帰しておいて、勝手なことばかり言わないで!あなたの思い通りに動くと思ったら大間違いよ!!」
カッサンドラも怒っているのかもしれないが、私だって怒っている。
「今すぐ、あの飛行機を私のいた世界に戻して!あれ一機に何百人が乗っていると思ってるの!?」
飛行機を指差し、一息に叫ぶ。けれどカッサンドラは何を言っているの?と眉を上げた。
「あれに何百人も乗ってるですって?」
「そうよ。あなたの復讐に私の世界の人を巻き込まないで!すぐに戻して!!」
カッサンドラが飛行機へ向けた視線を、ゆっくりと私に戻す。
その目に浮かんだ光を何と言うのか、私は知らない。けれど、その光に背筋が凍った。
カッサンドラの唇に、うっすらと笑みが浮かぶ。
「偉そうに、正義の味方のつもりかしら?」
凄絶な表情に怯みそうになる。けれど、私も一歩も退けない。
お腹に力を入れて、睨み返した。
それが気に障ったのか、カッサンドラが飛行機へと手を伸ばす。
「では、もう二度と歌を歌わないと約束しなさい。じゃなきゃ…………あれを役所に衝突させるわよ」
全身に鳥肌がたった。
カッサンドラの目は本気だ。
だとしたら、答えなんて一つしかない。
私の歌と数百人の命と、どちらが大切かなんてわかりきっている。
わかった、もう二度と歌わない。そう言おうと口を開く。なのに喉がつまったように言葉がでない。
愕然とした。
理屈では言うべきだとわかっているのに、心が拒否をしている。
カッサンドラは何も言わない私を見て、高らかに嗤う。
「わかったかしら?何百人の命と天秤にかけて、あなたは自分の歌の方が大事なのよ。巻き込まないでとはよく言ったものだわ」
一転、私に顔を近づけ、低い低い声で私を罵る。
否定することなど出来ないそれは、私の心を直接抉っていく。
「そんなに歌が大事なら、ちゃんと歌いなさいよ。人に聞かれないようにこそこそと歌うだなんて、何をやっているの?歌える身体と声を持っているのに、お笑い草だわ」
ああ、そうか。それで私を……。
私が何かを言う前に、身を翻したカッサンドラが腕を振った。
飛行機が角度を変える。遠目にもわかる。役所の大きな影に、飛行機が速度をあげて突っ込んでいく。
「やめて!お願い!!」
私は咄嗟にカッサンドラの腕にすがり付いた。
恥も外聞も何もなく、懇願する。
けれど、カッサンドラは、やけに静かな表情で、私を憐れむように見下した。
「諦めなさい」
次の瞬間。
私の目の前で、飛行機は役所へと突っ込んでいった。
次回はまた来週末更新予定です。




