凛歌の帰還
12/15 最後の部分を少し編集しました。
12/21 最後の部分を再度編集しました。
「ドラゴンだーー!」
呆然とする私の前で、たくさんのヒトがパニックを起こして大通りを駆けていく。
あちこちから悲鳴と怒号が聞こえる。幼い子の泣き声も。
「自転車は危ない、地下へ逃げろ」
「あんな化け物、一体どこから……」
「最高機関は何をしてるんだ!」
それらの悲鳴も怒号も泣き声も、雷のような轟音にかき消されていく。
見上げれば、白い大きな翼。彼等がドラゴンだというそれは、私には見慣れた飛行機だった。
尾翼に大手航空会社のマークも見える。間違いなく、元の世界のジャンボジェット機。だというのに、この世界の町並みに飛ぶ姿は、酷く歪で、異様な光景だった。
約束を破った代償。三百年前の混乱を超える混乱を。
最高機関の魔法使いと対峙した時、あの猫が言っていた。
……まさか、カッサンドラの目的はこれだったの?
指輪を五つ集めたのは、あれをこの世界に転移させるだけの力が必要だったからなのか。
でも、いくらなんでも飛んでる飛行機を異世界転移させるなんて、そんなこと……。
ふと、出る直前に表示された、速報の文字を思い出す。まさか……まさか飛行機が行方不明とか言わないよね?
確認しようにも、スマホは部屋へおいてきてしまった。
ああもう、あのときになんですぐ確認しなかったの!私!
私は急いで周りを見回す。
目についたのは、屋上に小さな屋台のようなものがある建物。そこに駆け込む。浮き足立っている店員さんが数人。軽い食事の出来るお店のようだ。
「すみません、屋上に上がらせて下さい!」
それだけ言うと、返事も待たずに階段を駆け上がる。
屋上はテラス風の座席になっていた。避難したのか、誰もいない。
目をつけた小さな屋台は、どうやらパントリーとして使っているようだ。幸い簡単な梯子がついていて、迷わずそれによじ登った。
風が吹く。
僅かにバランスを崩して座り込んだ。
高い。
たぶん五階くらいの高さしかないけど、周りに高い建物が無い分、すごく高く感じた。足が震える。怖い。
そこは屋上と同じように平らだったが、手すりまではない。屋上の端に建っているから、落ちたら地上までまっ逆さまだ。
飛行機の音が聞こえる。
しっかりしろ。
眷属でなくなってしまったから、カッサンドラがどこにいるのかわからない。けど、きっと飛行機が見えるところにいる。
震える足を叱咤して、立ち上がった。
視界がぐっと広がって、思った以上に遠くまで見渡せた。
恐怖が九割。爽快感が一割。
自転車に乗っていたときとは、また違う。建物がみんな同じような高さだから、夕陽に赤く染まる屋上の群れが、まるで赤い海のようだった。
カッサンドラが今もヒトの姿をしているなら、これなら見つけられるかもしれない。私は恐怖と戦いながら、必死に目を凝らす。
夕陽はもう、街の向こうに沈みつつある。暗くなってしまえば、見つけるのは難しいだろう。
焦りばかりが募って、私は飛行機を見上げた。
こんな低空飛行、空港の近くじゃないと見たことがない。
いつから飛んでるんだろう。燃料はまだ残っているのだろうか。後どのくらい飛んでいられる?
もし街中に墜落したら……。街中じゃなくても、あの一機に何百人の人が乗ってると思っているの、カッサンドラ!
……見つからない。
三百六十度、見える範囲はくまなく捜したつもりだけど、見落としたんだろうか。そもそもここから見える範囲にいるとも限らない。
どうする?どうしたらいいの?
呼吸がだんだん浅くなる。自分がパニックを起こしかけているのがわかった。
一度目を強く閉じて、大きく息を吐く。
目を開けると、もう一度、飛行機の動きを追った。
海の方に向かっていた機体は、海上より手前で左に旋回していた。街の上を大きな円を描くように飛んでいるように見える。
……どうして。
旋回したら、常に街の上空にいることになってしまう。街中に墜落するのは、パイロットも避けたいはず。どこか不時着できるところを探しているのだろうか?
それともまさか…………カッサンドラが操っている?
私は、飛行機が旋回する円の中心。街の中心部に視線を向ける。
私の背後から、夕陽が赤く街を照らす。
一つ一つ、集中して屋上をくまなく見ていった。それでも見つからないまま、とうとう日が落ちた。
視界がぐっと暗くなる。街に灯りは灯り始めるが、非常事態のせいか疎らだ。もう屋上の輪郭さえおぼろげで、カッサンドラがいてもわからない。
どうしよう?どうしたらいい?
周りを見ても、考えても、今度こそ何も思い付かない。
眷属でもない。赤い魔女の魔力も持たない。私独りじゃ何もできない。カッサンドラを見つけることすら。
あまりにも無力で泣けてくる。でも……。
私は涙を振り払って、飛行機を見上げる。
何がなんでも帰さなきゃ。あれを墜落させたら駄目。
もうこうなったら何でもいい。カッサンドラの気が引けること。私が出来ること。
選択肢は、一つしか思い浮かばなかった。
私の歌は一昨日から何も変わっていない。
また下手だと、残念だと言われてしまうかもしれない。
しかも今度は間違いなくこの辺りにいるヒト、みんなに聞かれてしまう。
だが、私はぐっと顔を上げた。
「怖くない」
歌う。
たとえ誰にどんな評価を下されても。
一昨日、カッサンドラと出会った、あの歌を。
私は大きく息を吸い込んだ。
カッサンドラ、聞こえる?
下手な歌でしょう?
聴いていられないでしょう?
嫌がらせしたくなるでしょう?
だからお願い。ここに来て、「下手な歌」って言ってよ!
歌が終わる。
沈黙が訪れる。
響く飛行機の音が大きくなる。高度が下がってきているのがわかった。
もう、止められないの?
心が折れるパキリという音が聞こえた気がした。堪えきれない嗚咽が漏れそうになった、そのとき。
「リンカ!!」
突然、後ろから抱き締められる。
ふわりと、ハーブの香りがした。
「……シルヴィオさん?」
「良かった……もう、二度と会えないかと……」
私を抱き締める力が強くなる。
昨夜はあれほど怖かったその腕に、温もりに、今はこんなにもほっとしている。
堪えていた涙が零れていった。
次回はまた来週末更新予定です。




