閑話休題
オザンナさんの家を出たときには、すでに日は暮れていた。
すっかり霧の晴れた空を見上げれば、明るい星が一つ二つ輝き始めている。
夕飯の支度を始めたのだろう、魚を焼く香ばしい匂い。向こうからは、お肉を煮込む食欲をそそる香り。
そこかしこから漂ってくる香りに、ぐーきゅーと、三人三様にお腹がなった。
そこから程近い、オリンドさんおすすめの店。
店内はちょっとおしゃれで、でも堅苦しくはない雰囲気だった。女性受けが良いのか、客席にはカップルが目立つ。まだ満席ではないのだけれど、これから本格的に混み合うのだろう。店員さんはもう忙しそうに立ち働いていた。
オリンドさんに勧められ注文したのは、大きめのお肉と野菜がごろごろしているシチューだ。
見た目にビーフシチューかと思って食べたら、ビーフじゃない。ポークともチキンとも違う。
でも、癖も臭みもなくてホロッとほどける柔らかいお肉だ。すごく美味しい。
なんのお肉かちょっと気になったけど、今は食欲の方が優先だった。しばらく無言でパクパクと食べてしまう。
皆のお腹が少し落ち着いた頃。
オリンドさんが、ところでと私に目を向けた。
「アシモトさんは歌をやってるんですか?」
橋本ですと訂正しようかちょっと迷う。けれど『は』という発音はどうも皆、苦手なようだ。まあいいかとスルーすることにした。
そうですよと頷くと。
「やっぱり。綺麗な声なので、そうだと思いました」
今度、是非聴かせてくださいとまで言われて、曖昧に微笑む。
正直、耳のいいこの世界のヒトに聴かせられるほど、上手くないのだ。まだ。
「そうですね、機会があれば」
曖昧な日本語万歳。
無難な返しをしておいて、練習を頑張ろうと心に決める。
「オリンドさんは何か楽器とかやってらっしゃるんですか?」
「俺はサックスをやってます」
話をそらすのと興味本位で訊けば、あっさりと教えてくれた。
サックス。金管楽器だ。
あまり金属のものをこの世界では見ないけど、こちらの金属の加工技術ってどのくらいなんだろう?
私の知るサックスとは形が違うんだろうか?
ピアノみたいに、音にも違いがあるのかもしれない。
「あ、興味あります?今度、聴きにきません?」
いいんですか?と言う前に、シルヴィオさんが『そういえば』と口を挟む。
シルヴィオさんがこんな風に会話に入ってくるのは珍しい。今日一日見てる限りでも、聞き上手なヒトなのに。
「演奏といえば、赤い魔女の歌、まだ聴いたことがありませんでしたよね?部屋に録音がありますから、帰ったら一緒に聴きませんか?」
「それなら、うちのコレクションの方が…………と、すみません」
赤い魔女については、負けたくないらしい。オリンドさんが食い気味に赤い魔女のコレクション自慢を始めようとした時、胸のポケットが光る。同時にリーーンと金属を鳴らしたような、高い音が微かに響いた。
オリンドさんがポケットから木のカードを取り出すと、昼間のシルヴィオさんものと同じように、文字が光っていた。違うのは光の色だけ。オリンドさんの指輪と同じ金色だった。
さっと目を通し、オリンドさんがあちゃーと声をあげる。
「役所からです。至急戻れって……こんな時間に何かあったかな?」
役所という言葉に、私の方が真っ青になってしまう。
確か、オリンドさんは仕事を放り出して私達に付き合ってくれていたはずだ。どう考えても滅茶苦茶怒られる。
それどころか……減俸?謹慎?クビとかまではいかないよね?
「私のせいで、仕事を抜けてきてしまったんですよね。すみません。怒られるんじゃありませんか?」
なんなら私も一緒に行って、私が連れ出したって証言してもいい。
慌てる私とは対称的に、オリンドさんは大して焦りもしない。カードをしまうと、手を振った。
「ああ、そっちは大丈夫ですよ。でも、何かあったのかもしれないんで、一度戻ります」
「大丈夫なんですか!?」
良かったけど、ビックリだ。
……本当に大丈夫なのかな?
私に気を遣って……という雰囲気ではないけど。
そう思ってる間にオリンドさんは普通に食事を再開していた。
今、気付いたけど、オリンドさんって食べ方綺麗だな。
……いや、そうじゃなく。
「あの……役所に戻らなくて大丈夫ですか?」
「え?戻りますよ。…………いくらなんでも、食事中に席を立ったりしませんから」
念のためにって感じで付け加えられて、私の方が当惑してしまう。
私なら、食事中に会社から至急の呼び出しがかかったら、大急ぎで食べちゃうか、諦めて残して行くかの二択だ。
「でも、至急……なんですよね?」
「それでも食事はゆっくりとりますよ。……ですよね?」
同意を求められ、シルヴィオさんが頷く。
仕事とはいえ、食事中に席を立つのは、ちょっと引かれるくらい非常識らしい。
「人生で大切なのは、音楽と恋と、美味しい食事ですから」
二人にそう諭されて、私も笑う。
こんなところまで、この世界は私の知る常識と違う。
それでも……そういうのも、いいなと思った。
食事が終わると支払いである。
またシルヴィオさんに頼ることになって恐縮していると、オリンドさんが不思議そうにしていた。
「シルヴィオさんが持つって言ってるんですから、そこは気にしなくていいんじゃないですかね」
シルヴィオさんも同意して、何度もそう言ってるんですけどねと、逆に困った顔をされてしまった。
「なんなら、ここは俺が持ちましょうか?作曲家程じゃなくても、俺もそこそこ稼いでるんですよ」
作曲家ってそんなに稼げる職業なのだろうか。
有名作曲家ならともかく、シルヴィオさんはまだ駆け出しだと言っていた。私が大学のときの作曲学科の友人は、それだけじゃ食べていけないからって色々なことに手を出していた記憶がある。
けれど、オリンドさんはとんでもないと手を振る。
「稼げますよ、駆け出しだって。国からも街からも補助が出てるはずですし、新人の曲でも投資の意味も込めて買う人もそれなりにいますしね。音楽の花形は演奏者や指揮者ですけど、稼げるのは作曲家ですから」
それだけ、優れた楽曲が創作されるのが大切だと思われているのだろうか。
それとも新しい曲に常に皆、飢えてるとか?
この世界ならありそう…………友人が聞いたら、泣いて喜ぶな。
そんなことを考えていたら、後ろからピンと音がした。
「補助がなくても、リンカを養うくらいの稼ぎはありますよ。失礼な」
私達がしゃべっている間に、シルヴィオさんがさらっと会計を済ませてしまったらしい。
慌ててお礼を言うけど、内心は動揺していた。
今、さらっと私を養うって…………どうしてそんな話に……。
ああ、そうか、昼間に私がまだこの世界に残るなんて言ったからか。
あのときは勢いで言ってしまって、生活のことまで考えていなかった。でも、まだ帰らないし帰れないのは確かだ。
とてもそこまで、シルヴィオさんに負担をかけるわけにはいかない。最悪、役所で言われた通り、不法入国者の収容所とか。何とか考えないと。
「リンカ?行きますよ」
考え込んでいたら、二人とも店を出ようとしていた。慌てて後を追う。
「では、俺は仕事に戻りますんで。アシモトさんはこれからどうするんですか?」
三人で屋上に出ると、オリンドさんが少し名残惜しそうに訊いてくる。
これから……私は少し考えてから口を開く。
「私は……何とか指輪をカッサンドラに渡さないと。でも今は、かなり遠くにいるんです。どうしたらいいのか……」
「カッサンドラがこの街に来るのを、待った方がいいと思いますよ」
シルヴィオさんが言うには、この街にも赤い魔女の指輪があるらしい。
カッサンドラが今、自分の五つの指輪を集めているなら、必ずこの街にも来るはずだという。確かに、国中を転移の魔方陣で飛び回る彼女を追うより、来るとわかっているところで待つ方がいいのかもしれない。
指輪はこの街の公立博物館のメイン展示物だと、オリンドさんが誇らしそうに教えてくれた。
「じゃあ、これからその博物館に……」
「リンカはこれから僕の部屋で赤い魔女の演奏録音を聴くんですよね。ほら、行きますよ」
博物館の場所を尋ねようとした私の腕を、シルヴィオさんが引っ張る。
ポンと逆さま傘を広げると、そのまま私を乗せて浮かび上がった。
「え?あの、シルヴィオさん?」
「ああ、オリンド、赤い魔女の関係で何か情報があったら、僕にも連絡お願いします」
それだけ言い置いて、さっさと専用レーンの白い光へ向かう。
オリンドさんを置いていってよかったんだろうか?気になって振り返れば、オリンドさんが愚痴る声が遠く聴こえた。
「えぇ?ちょっと、おいしいとこ取りし過ぎじゃないですか?」
次回はまた来週末更新予定です。




