受け継いできたもの
「戻ってきたんです。赤い魔女が」
「そんな……三百年も経っているんですよ。一体、どうやって戻ってくるって言うんですか!?」
お孫さんの言葉に頷く。そう、例え処刑されていなかったとしても、三百年も生きていられるわけがない。
「猫になって、です」
「……猫?」
「処刑された後、異世界に猫として生まれ変わったそうです」
ポカンとお孫さんが口を開けた。
色々と許容量を突破したらしく、そのまま浮かしかけていた腰をストンと下ろした。腰が抜けてしまったのかもしれない。
この上、まだとんでもない話をするのは気が引けるけれど、話さなければ進まない。
自分が猫に異世界から連れてこられたこと。
赤い魔女の眷属になったこと。
サヴィーノの指輪を捜すよう命令されたこと。
話を聞き終わった二人の目には、戸惑いが広がっていた。
「……それを、信じろって言うんですか?」
お孫さんの揺れる瞳には信じられないという思いが、ありありと籠っている。けれど、私もこれといって証拠を持っているわけじゃなかった。
問われて言葉に詰まる私の代わりに、シルヴィオさんが落ち着いた声で弁護してくれる。
「証拠はありません。でも、彼女の耳や首を見てもらえれば、異世界から来たことがわかると思います」
この世界のヒトとは明らかに違う、私の小さな耳と、短い首。
言われて気づいたのだろう。お孫さんの方が私を見て、ギクリとしたのがわかった。
シルヴィオさんは静かに、しかしはっきりと告げる。
「異世界転移の魔法陣、それに人体転移の魔法陣まで使うあの猫を、僕たちは赤い魔女だと信じています」
言い切るシルヴィオさんを、頭ごなしに否定することもできないのだろう。お孫さんが少し怯んだ。
それでも何か直接的な確証が欲しかったのかもしれない。お孫さんの手をしっかり握って、オザンナさんが震える声をあげた。
「歌は……歌は聞いたの?カッサンドラの歌を」
「いえ、彼女は猫の姿です。魔法は扱えても、歌を歌うことはできません」
「…………そう」
証拠もなければ、明確に否定する材料もない。判断のしようがないと言いたげに、オザンナさんとお孫さんが顔を見合わせた。
信じたいけれど、信じられない。そんな気持ちが伝わってくる。
―――ああ、待っていてもらえたんだな。
こんな場合だけど、少しほっとした。
このヒトたちは、ずっとカッサンドラやサヴィーノのことを語り継いで、本当に戻ってくるかもわからないカッサンドラを待っていてくれたのだ。
三百年かかったけれど、カッサンドラは戻ってきた。それを待ってくれているヒトがいてくれて、素直に良かったと思う。
だからこそ、二人に何か信じられるようなものを出してあげたかった。
カッサンドラも何か合言葉になるようなこととか、証拠になるようなものをくれれば良かったのに。
そう思ったけれど、本人がここにいないことには、どうしようもない。
それにたぶん、二人はサヴィーノさんの指輪について何か知っている。さっきサヴィーノさんの指輪のことを訊いた時のオザンナさんの反応からして、そうなのだと思う。
それを話してもらうためにも何か、カッサンドラが戻ってきたと確信できるもの。
カッサンドラの描いた魔法陣は置いてきてしまったし、あったとしても比較する指輪もない。私の手持ちのものは、異世界から来たという証明になっても、カッサンドラとの関わりがあるものではないし…………。
………………。
迷った末、私は誠心誠意――つまり無策――でいくことにした。
「私がカッサンドラの眷属になったとき、最初に命令されたのが指輪を探すことでした。でもきっと、本当に探したかったのは、サヴィーノさんの消息だったんです」
その後、カッサンドラから伝わってきた、あの焼けるような焦燥感。知ることを怖れるほど、知りたかったこと。
カッサンドラのためにも、彼女を待っていた二人のためにも、なんとか信じてほしかった。だからこそ、真っ直ぐに二人を見て訴える。
「お願いです。何か知っているなら、どうか教えてもらえませんか?」
その時、突然ガンと殴られたような頭痛に襲われた。
目の前がチカチカするほどの痛みに、取り繕うこともできない。堪らず、頭を抱えて呻いた。
「リンカ!?」
ガタンと椅子の倒れる音がした。
シルヴィオさんが倒れこみそうになる私を支えながら、必死に訴える。
「リンカは赤い魔女の眷属です。このまま命令を果たせなければ、命に関わります。お願いです。指輪について何か知っているのなら、教えてください!」
ああ、またシルヴィオさんに心配をかけている。
大丈夫だと言いたくても、痛みでまともな言葉にならない。それでも何とか顔を上げた。
痛みにぼやける視界に、驚く二人の顔がおぼろげに見えた。
「……おばあちゃん、あの人、目が赤い…………カッサンドラの魔力と同じ色」
呆然と呟くお孫さんの声に、オザンナさんの目が見開かれた。
震える手を私に向かって伸ばす。
「眷属……ああ、本当に、カッサンドラの眷属なのね」
泣き崩れてしまったオザンナさんをお孫さんが支える。
背をさするその瞳にも涙があった。
「サヴィーノは……サヴィーノの指輪はここにあるの」
オザンナさんをとにかく落ち着かせ、その後は寝室で休んでもらうことになった。
私の方も、指輪があると聞いてから、嘘のように頭痛が引いた。それどころか、ずっと伝わってきていたカッサンドラの感情が何だか遠い。うまく言えないけれど、嫌な予感がする。何か良くないことが起こるような気がして、落ち着かない。
窓の外を見れば、もうすっかり暗かった。
冷めてしまったお茶を下げると、ルフィナと名乗ったお孫さんはテーブルの上に小さな箱を置いた。
その手で大事そうに蓋を開ける。中には古びた緑の石の指輪が光っていた。
「これが?」
「ええ、サヴィーノの指輪です」
「妹が兄から亡くなる前に手紙をもらったんです。自分に何かあったら指輪を預かって欲しいと。そして、カッサンドラは必ず戻るから、その時は渡して欲しいと」
まるで遺言のようなその手紙が、サマンサが首都に向かうきっかけになった。
ところが、首都についてみれば部屋は封鎖。役所に問い合わせれば病死したので埋葬したとだけ伝えられた。私物もなにもかも受けとれず、渡されたのは指輪ただ一つ。
それからずっと、サヴィーノの言葉を信じて、代々指輪を守り継いで来たらしい。
オリンドさんが、思わずという感じで呟いた。
「三百年……ですよ?十年二十年ならともかく、三百年。サヴィーノの遺言があったからといって、それだけで指輪を守ってこれたんですか?」
ともすれば失礼とも受け取れるその言葉に、ルフィナさんは怒るふうでもなく頷いた。
「私は、十七代目の護り手になるはずでした」
そう言うと、大事そうに……名残惜しそうに指輪を撫でる。
十七代。
一言で言ってしまえばそれだけだけど、途方もない話だ。
私のいた世界で三百年前といえば、モーツァルトだってまだ産まれていない。バッハとかヴィヴァルディとかそんな時代だったはずだ。日本だってまだ江戸時代の中頃だろうか。
その頃から現代まで、どうして小さな指輪を受け継いでこられたのか、そんな疑問が顔に出ていたのだろう。ルフィナさんが困ったように笑った。
「あなた方には、話しておいた方がいいんでしょうね」
一つ、深呼吸。
そして緊張した面持ちで、一息に言い放った。
「実は、私達はサマンサの子孫ではないんです」
「え?」
「私達はサヴィーノとカッサンドラの子の子孫です」
今度は、私達がポカンとする番だった。
二人には子供はいなかった、はずだ。少なくとも、どの資料にもそんなことは全く書かれていなかった。
他言無用と言い置いて、ルフィナさんが語ったのは、それこそ信じがたい話だった。
カッサンドラが身籠ったのは、彼女の発明で世の中が混乱し始めた頃だったのだという。
混乱を抑えるためという名目で音楽活動を控え、妊娠を隠して子供を守ろうとした。けれど、カッサンドラは最高機関から首都に呼び出されてしまう。
カッサンドラもサヴィーノも、何とか理由をつけて呼び出しを引き延ばし続けたらしい。そして……この街で出産した。
カッサンドラは、サヴィーノさんではなく、その妹に産まれたばかりの赤ん坊を託した。
カッサンドラの子がいるとわかれば、その子がどんな扱いを受けるかわからない。当時はそんな危うい状況だったのだという。
カッサンドラと仲の良かったサマンサは、その子を自分の子として育てた。
それから、カッサンドラは首都で処刑され、サヴィーノも亡くなった。
最初は、本当の父親の唯一の形見として。
それからは、自分達のルーツの唯一の証拠として。
そして、いつかカッサンドラが戻ってきた時のための目印として。
指輪を代々受け継いできたのだという。
長い話を終えて緊張がとけたのか、ルフィナさんがふっとため息をついた。
「カッサンドラは、ここには来ないのですか?」
会いたいのだろう。そんなことくらいは私にもわかる。
だからこそ、安易に頷くことはできなかった。
「わかりません。でもこの指輪を渡して、必ずここに来るように伝えます」
本当は、この指輪はカッサンドラ本人に渡したいだろう。
私が持っていくことにためらいはあるけれど、もうカッサンドラの心はここから離れてしまっている。遠くなってしまった、カッサンドラの感情。嫌な予感が強くなる。
ルフィナさんはよろしくお願いしますと頭を下げて、私たちを送り出してくれた。
次回はまた来週末に更新します。




