子孫
「この辺りのはずなんですが……」
シルヴィオさんの案内で、住宅街を早足で歩く。
辺りの家々は、それぞれ壁の色が違う。こんな場合だけれど、カラフルで綺麗だと思っていたら、この壁の色が表札の代わりなっているらしい。青い壁に白い扉の家を探してくださいと言われて、キョロキョロと見回す。
気付けば太陽は傾き始めていた。カラフルな世界は少しずつオレンジ色に染まり始めている。人を訪ねるにはギリギリの時間帯だろう。
シルヴィオさんの耳がくっと、右手に向いた。ほぼ同時に、こちらに呼び掛ける声。
「こっちです!」
オリンドさんだった。
手には図書館で貸し出してもらったのだろう、例の雑誌を持っている。
「あの家でしょう。ピコット通りの165、青い壁と白いドアの家」
オリンドさんのところへ駆け寄ると、指差す先に確かに青い壁と白いドアの家がある。
シルヴィオさんが頷く。
「ええ、その家の向かいだそうです」
「青い家が目的地じゃなかったんですか!?」
「すみません。ちょっと遠回りな情報しか手に入らなかったもので」
思わずといった感じで突っ込むオリンドさんに、シルヴィオさんが苦笑いをする。遠回りな情報って?とは思うが、今は時間が惜しい。
青い家の向かいは、小さなオレンジの壁に赤い扉の家だった。
玄関前の短い階段を上り、オリンドさんが呼び鈴らしきものを鳴らした。
「どちら様?」
扉から顔を出したのは、まだ若い女の人。私たちを見て不思議そうに首をかしげると、三つ編みにした鮮やかな赤い髪が揺れた。
オリンドさんが、例の雑誌を見せて名乗る。
「突然すみません。この記事のことで、ぜひお話を伺いたくて……この記事のAさんはこちらにお住まいですか?」
女性は数度、記憶をたどるように目をしばたいた。
お宅を間違えたかとちょっとドキッとしたが、心当たりがあったらしい。ああと頷き、家の中へと声をかける。
「おばあちゃん、お客様」
私たちの方を見ると、どうぞと中へと招き入れてくれた。
中に入ると、すぐ正面に階段と短い廊下。いくつか扉が並ぶ中、奥の方の扉を開けて、何か話している。
この家を見つけたあたりから、頭痛や早く動かなければという強迫観念が急速に弱まっていた。それだけでもだいぶ体が楽になって、少しだけ息をつく。
代わりに心臓がばくばくと早鐘を打ち始めた。
―――緊張している。
それは私なのか、カッサンドラなのか。
どうか指輪が見つかりますように。
私は左胸にそっと手を置いた。
「大丈夫ですか?」
シルヴィオさんが心配そうに私の顔をのぞき込む。そう言う彼の方こそ、少しその顔色が悪いように見えた。
無理もないと思う。昨夜から今までずっと私やカッサンドラに振り回されているのだから。
「平気です。頭痛もおさまってきましたし」
「そうですか?」
シルヴィオさんが私の額に手をあてる。熱は下がっているようですが……と、それでも納得してなさそうな表情をしていた。
「ちょっと、見せつけないでもらえますか?」
そういえば、こんな風に熱を測るなんて家族以外であんまりない。オリンドさんにじとっとした目で見られて、急に意識をしてしまった。
隣でシルヴィオさんは、そういうわけじゃないですよと笑っているが、気付かれないようにこっそり距離をとる。
「どうぞ、祖母がお会いするそうです」
先程の女性に呼ばれて、はっとして前を向く。
祖母。記事にあったAさんだろう。
良かった。急に訪ねてきた私たちと、すんなり会ってくれるか心配していたんだけれど、杞憂だったらしい。ほっとして、お邪魔させてもらう。
そこは、夏の香りのする部屋だった。
天井近くに吊るされたハーブらしき草花が、爽やかな香りを漂わせている。
部屋の窓からは、霧の少し残る風が夕焼けの気配を運んできた。
居心地のよさそうなその部屋の、今は火のない暖炉の側に、おばあさんが安楽椅子に座っている。
「こんにちは」
少しだけかすれた声。白く染まった髪。緑の瞳は穏やかな色でこちらを見ているが、恐らくほぼ見えていないのだろう。視線は少しだけ私からずれていた。
私達は突然の訪問の非礼をお詫びして、名乗る。
オザンナ マンノーイアと名乗ったそのおばあさんは、シルヴィオさんに耳を向け、ゆっくりとオリンドさん、私に耳を移す。
「突然押し掛けてしまって申し訳ありません」
勧められた椅子に三人並んで座る。
家族が多いのだろうか、大きなテーブルだった。私達が並んで座っても余裕がある。
安楽椅子に座るオザンナさんとは少し遠いが、お歳を召しているとはいえ、耳の良さは健在なようだ。会話に全く支障がない。
先程の女性、たぶんお孫さんだろう、がキッチンでお湯を沸かす音と、カチャカチャと茶器の用意をする音が響いていた。
オリンドさんが、ここのことは例の記事を書いた女性記者に聞いたのだと話す。
ここでは、オリンドさんが主に話すと打ち合わせてある。役所の観光課という職業柄、こうした話をするのに慣れているからということでお願いした。
疑うわけではないけれど、まだオザンナさんが本当にサヴィーノさんの妹の子孫にあたるのかも確認していない。指輪の行方を尋ねる前に、サヴィーノについて話を訊くことになっている。
「実は前から赤い魔女に興味がありまして、サヴィーノ レゴリーニさんについても調べていたんですよ。その途中でこの記事を見つけたんです。このAさんというのは、貴女のことで間違いありませんか?」
「そうよ。サヴィーノについて調べてくれる人は少ないから、貴方のような人がいてくれるのは、嬉しいわ」
「彼は、赤い魔女の処刑後の資料が極端に少なくて……病死とはいっても、一体何の病気で亡くなったのかすら、よくわかっていませんよね」
「……そうね。私の祖先は彼の妹なんだけれど、彼女ですら、亡くなった時のことを知らなかったと伝わっているわ」
「妹……サマンサさんですね。サヴィーノさんは首都で病によって亡くなったと聞いています。サマンサさんは、じゃあ、彼を看取ることができなかったのですか?」
「当時、彼女はとても怒っていたらしいわ」
オザンナさんは悲しげに頷いて、目を伏せた。
きっかけは、この街にいたサマンサさんにサヴィーノさんから遺言めいた手紙が届いたことだった。ちょうど恋人だったカッサンドラが処刑されたばかりで、心配になったサマンサさんは首都まで訪ねて行ったそうだ。けれど、着いたときにはもう亡くなっていたのだという。
首都までどのくらいの距離か知らないけれど、私たちのように魔法陣で転移できた訳がない。
自転車は使えたんだろうか?
使えなかったら、移動手段は徒歩か馬。自分の住む町を出て違う町まで行くなんて、きっと並大抵のことじゃないはず。
それなのに、着いたら亡くなっていたなんて……。
しかもサヴィーノの借りていた部屋は、最高機関の魔法使いに封鎖されてしまって中に入れてもらえなかったらしい。遺体も勝手に埋葬されていたという。
……酷い話。
妹さんが怒るのも当然だ。
「サマンサは、最後のお別れすらできなかったそうよ。手元には……何も残らなかったと聞いているわ」
一気に語り終えて、オザンナさんが大きなため息をついた。
沈黙が落ちる。
日が傾いて、急にひんやりとした風が窓から入り込んできた。
高齢のオザンナさんには、こんなに話をするのは負担なのかもしれない。お茶の用意をしていたお孫さんが窓を閉め、心配そうにオザンナさんの小さな肩に薄手のショールをかける。
「おばあちゃん、あまり無理しないで」
「いいのよ。私ももう長くないし、遺せるものは遺しておきたいの。フィナもそこに座って。よく私の話を覚えておいて」
お孫さんは、まだ心配そうに頷いた。皆の前にお茶を置くと、何かあればすぐに支えられる位置に椅子を用意する。
逆に私たちの方が恐縮してしまう。そんな負担をかけるつもりは無かったし、かけたくない。
オリンドさんが手をあげて、話の続きをしようとするオザンナさんを止める。
「あの、本当に無理をなさらず。今日いきなり来た私たちに、ここまで話して頂いて感謝しています。続きは日を改めても構いませんので」
「いいえ、私が聴いて欲しいのよ」
オザンナさんの意思は固いようだった。
見れば、お孫さんも頷いている。
話をして貰えるのは、こちらとしては有り難い。私達は続きを聴くことにした。
「サヴィーノは、カッサンドラが発明した、まだ世に出ていない魔法陣を持っていたの。サヴィーノの死後、最高機関が開発したとして世に広まっていたったのだと、サマンサは生前、悔しそうに話していたそうよ」
「まさか、最高機関が魔法陣を手に入れるために……サヴィーノさんを殺した、と?」
「サマンサはそう思っていたみたいね。けれど、何も証拠はなかったわ」
サヴィーノさんが親族に見送られることもなく、最高機関によって埋葬されてしまったのなら……。
私は思わず口を挟んでしまった。
「じゃあ、サヴィーノさんの指輪はその時に一緒に埋葬されてしまったのですか?」
オザンナさんは、少し意外そうに眉を上げた。その耳がくっとこちらを向く。
「指輪?……どうしてそんなことを気にするのかしら?」
……何となく、含みのある言い方だった。
私達は顔を見合わせる。詳しい事情を話すべきか否か。
オザンナさんは、初対面の私達にここまで話してくれたのだ。こちらも話すべきだと思う。
私が頷くと、シルヴィオさんとオリンドさんもわかったというように頷いた。オリンドさんに代わって、私が口を開く。
「実は……サヴィーノさんの指輪を、カッサンドラが探しているんです」
オザンナさんの瞳が、驚きに見開かれる。
お孫さんまでが顔色を変えて、椅子から腰を浮かした。
「何ですって」
「戻ってきたんです。赤い魔女が」
次回は、また来週末に更新予定です。




