赤い魔女の伝記
「どうしたんですか!?」
シルヴィオさんが戻ってくるなり、抱えてたものを机に置くと駆け寄って来てくれた。
それも当然かもしれない。
激しい頭痛で椅子にたどり着く前に倒れて、そこから動けなくなってしまっていたのだから。
「本……を……」
早く指輪を探さなきゃいけないという強迫観念が、頭痛と共に襲ってくる。
資料を探すために図書館に来たのだから、探してるうちに入るだろうと思っていたんだけれど、甘かったらしい。
指輪を見つける前に、この頭痛だけで死ぬかもしれない。
私の状況を見てとると、シルヴィオさんが本を一冊、渡してくれた。なんとか床に座る形で身を起こし、本を広げると少し頭痛が引いた気がする。
……が、そこに書いてある文字が読めない。
「……痛」
読めないと認識したとたん、これだ。
シルヴィオさんが私の手をとり、本の最初の文字に触れさせる。意図がわからず見上げると、心配と焦りにこわばった顔。大きな耳が、小刻みに震えていた。
「大丈夫です。ここに魔力を」
私が触れると、ぽうっと文字が赤く光る。
光が文字を辿って流れていくと同時に、日本語の文章を読んだときのように、文章が頭の中に浮かんできた。
「……読めます」
そう意識すれば、頭痛がすっと引いていった。
ほっと安堵のため息が、二人分落ちる。
隣から、良かったと呟く声。
「紙とインクに、魔法陣が使われているんです」
文字を指でなぞったりしながら魔力を流すことで、読む速度を遅くしたり、早めたり止めたりできると実演してくれる。
少し前から読み直すことも、飛ばして好きなところから読み始めることもできることに驚いた。
不思議で、便利だ。
そうこうしているうちにも頭痛がぶり返してきた。
余計なことを考えていないで、早く探せということだろう。
少し顔をしかめた私に、シルヴィオさんが心配そうに私の額に手を当てた。
ものすごくヒヤっとした感触にびっくりして、目を瞬く。
「ひどい熱じゃありませんか」
少し休んでくださいと、本を取り上げられる。すると頭をガンと殴られたような痛みに襲われた。
「……っ!……大丈夫です。本を読んでいた方が楽なので」
痛みを表に出さないように咄嗟に堪えたのだが、シルヴィオさんの顔を見る限り失敗したようだ。
へにょりと耳を垂らして本を私の手に戻すと、ひょいと私を本ごと抱き上げた。
「わっ」
「床の上だと冷えます。せめて椅子に座ってください」
すとんと椅子の上に下ろされて、シルヴィオさんを見上げる。
心配と気遣いの混じる微笑みに、何も言えなくなる。
こんなに大事になってしまっているのに、嫌な顔もせずに手助けしてくれる。それが嬉しいというよりも、どうしても申し訳ないという思いの方が強い。
けれど『ごめんなさい』と言ったら、また耳をへにょんとさせてしまうかもしれない。結局、言えずに、なんとか別の言葉を捻り出した。
「……ありがとう、ございます」
「いいんですよ。さあ、探しましょう」
俯いた私を労るように、ぽんと頭を撫でられて、却って胸が痛んだ。
戻って来たオリンドさんと三人で、片っ端から本に目を、もとい耳を通していく。
紙とインクに魔法陣を組み込むのは最近の技術らしく、私が読める本は比較的新しいものばかりだ。
他の二人には古い本をお願いしていた。何しろ三百年前の出来事の資料なので、古い本は本当に古い。気を付けて扱わないと壊れてしまいそうなものまであった。
並んだ資料の中には、本ではなくて音声のみの記録もある。見た目はただの小さな石板で、これは早送りや巻き戻しができない。閲覧にものすごく時間がかかるそうなので、とりあえず後回しだ。
私が読んでいる『赤い魔女の伝記』と題された本には、カッサンドラが産まれた時から、処刑されるまでの一生が丁寧に書かれていた。
全部読んでいる時間はないので、とばしとばし読んでいく。
カッサンドラは幼い頃から歌の才能に頭角を表し……
音楽学校在籍中に出場した数々のコンクールで入賞……
卒業後は本格的に演奏活動を開始。それを支えたのがサヴィーノである。
―――あった。サヴィーノ。
サヴィーノは、自由奔放だったカッサンドラの、マネジメントを行っていた。繁忙なスケジュールをこなすために、次々と魔法陣を発明していたカッサンドラを諌める役目もしていたようだ。
サヴィーノが諫めても、カッサンドラの発明は止まらない。一夜で何本もの演奏会に出るために、カッサンドラは自転車と専用レーンを発明したらしい。他にも、出来立ての食べ物を届けてもらうために物体転移の魔法陣などなど……。自分の欲求を満たすために、どんどん魔法陣を作っている。
―――なんと言うか……サヴィーノさん、頑張れ。
つい、見ず知らずのサヴィーノに『さん』までつけてしまう。
何でこんなに親近感がわくのかと思えば、私の知るあの猫と三百年前の赤い魔女とが重なるからだと気付いた。
なんと言うか、書かれているエピソードの何もかも、あの猫ならやりそうなのだ。いつものヒトを見下した瞳で、ゆらりと白い尻尾を揺らしながら……。
声だけで、シルヴィオさんがあの猫を赤い魔女だと判断したことを訝しく思っていたけれど、やっとわかった。
あの猫は赤い魔女だ。そして、そのことを、あの猫を知らない誰かに説明するのは、ひどく難しい。
本は、やがて起きた混乱の時代へと進む。
混乱が深まると、首都へ審議のために呼ばれるカッサンドラ。その時にサヴィーノさんとも離れることになった。
サヴィーノさんも首都に赴き、面会を求めたようだけれど叶わず、やがてカッサンドラは処刑。赤い魔女の名だけが残る。
最初は処刑なんて話はなかったようだ。
むしろ『魔法陣の開発より音楽だけに専念させろ』という意見が大半だったらしい。
便利な発明よりも優れた音楽が優先。私のいた世界なら逆だと思う。音楽重視のこの世界らしい。
けれど、そうした世論をそれを一変させたのが、異世界転移の禁呪を使ったという噂だった。曰く、これまでの発明は、全て異世界から持ってきたものだったと。どうやらそれは神への冒涜。つまりこの世界の宗教的に、アウトとされたらしい。
今でこそ、その噂の真偽は議論されているようだけど、当時は最高機関の魔法使いが事実だと審議で証言している。
指輪についての記述は、赤い魔女の五つの指輪が今は国内各所に保管されているということくらい。サヴィーノさんの指輪の行方については、予想はしていたけど欠片もない。
サヴィーノさん自身についても、その後は失意のあまり病死したとだけ。
他の本も調べてみたが、サヴィーノさんについては、似たり寄ったりの記述しかない。
せいぜいわかったのは、亡くなったのは首都だということくらい。恋人だった二人には子供もいなかったようだし、カッサンドラは一人っ子。一体だれが、サヴィーノさんの指輪を遺しておくだろうか。
―――もし、指輪が遺体とともに埋葬されてしまっていたら……。
墓荒し。
そんな嫌な予感はとりあえず振り払って、さらに読み進めていく。
読み終えた本を置いてもう一冊と手を伸ばす。そこにあと三冊しかないことに、ギクリとする。
手がかりはゼロ。
いよいよ皆に焦りが見え始めた頃。シルヴィオさんが顔をあげた。
「ここにサヴィーノの妹の記述があります」
オリンドさんと私が、その本を覗きこむ。
古い本だった。私には読めないけれど、シルヴィオさんが示すそこには、サヴィーノの妹が赤い魔女と交流があったことが書かれているという。
「妹の名前がスザンナ レゴリーニ」
妹なら、サヴィーノさんの指輪の行方を知っていた可能性は高い。ほんの僅かな可能性だけれど、妹さんの子孫を探せば、なにか知っているかもしれない。
僅かでも手がかりが見つかったことで、張り詰めていた雰囲気が少しだけ明るくなった。
「この名前で検索してみましょう。他の資料が見つかるかもしれません」
「じゃあ、俺が行ってきます。そろそろ一息つかないと、目が追い付かないですよ」
私たちの返事も聞かず、オリンドさんは逃げるように部屋を出ていってしまった。
最初に会った時も大量の書類を抱えて、疲れた顔をしていたのだ。無理もない。手伝ってもらえているだけで、本当に助かっている。
「シルヴィオさんも一息ついては?」
「まだ大丈夫ですよ。リンカこそ熱があるんですから、少しでも休憩を入れてください」
「大丈夫です。こういう調べものは慣れているので」
それに、休むとたぶん、またあの頭痛がくる。
シルヴィオさんもその可能性には気付いているのだろう。それでも言わずにいられなかったのか、ひどく気遣わしげな顔をしていた。でも、それ以上は言わず、再び本へ目を戻す。
しばらく、ページをめくる音だけが部屋に響く。
本に目を落としたまま、シルヴィオさんが誰に言うともなく呟いた。
「……どうして、赤い魔女はサヴィーノの指輪をリンカに探させようとしたのでしょうか」
カッサンドラだって、サヴィーノさんの指輪の行方なんて知らないだろう。全ては彼女が処刑された後に起こった話だ。
猫の姿では、こうして図書館で資料を探すことすらままならないから、誰か協力者が必要というのはわかるが、何故私だったのか。
私は文字が読めないし、この世界の常識も知らない。シルヴィオさんやオリンドさんに協力してもらえなければ、図書館に来ることすら出来なかっただろう。
「わかりません。……けど、ひよっとしたら私が何も知らないから、かもしれませんね」
本のページを繰る。
本が語るのは、私生活をあまり公にしたがらなかったという、カッサンドラの話だ。公私はきっちり分けるタイプなんだろう。
「眷属になってから、カッサンドラの気持ちとか居場所がぼんやり伝わってくるんです。だから、誰かに行動を先読みされてしまうのを恐れたのかもしれませんし、単に自分を知るヒトにしたくなかったのかもしれません」
ヒリヒリするような焦燥感があるのに、どこか他人事のようなこの感覚。焦っているのは私ではなく、カッサンドラなのだ。たぶん。
居場所の方も、向こうの方角がなんとなく気になるな~とか、遠いな~くらいの感覚が常にある。状況からして、その方向にカッサンドラがいるんだろう。と、思う。
感覚だけが頼りのただの推測だけど、そう外れてはいないと思うのだ。
「気持ちや居場所が伝わってくるんですか?」
「具体的なものではなくて、なんとなく、という感じなんですけど。眷属だからなんだと思うんですが……?」
「眷属の魔法陣は随分前に失われたものですから。詳しいことは、僕も知らないんです」
失われた魔法陣か……。
まあ、こんな人権完全無視な魔法だ。失われたなら、良かった。
「確かに、誰かに自分の気持ちが伝わってしまうような魔法なら、カッサンドラも使うのを嫌がりそうですが」
「ですね。それだけ、切羽詰まっているのかもしれません。今も、凄く焦っているのが伝わってきますから」
苦肉の策で異世界の人間である私を選んだのか、それともまた別の理由があるのか……わからないままだけれど。
カッサンドラが焦って……いや、何かを怖れているのはわかる。
こんな気持ちは覚えがある。音大の入試の合格発表の時だ。早く知りたいのに、知るのが怖いという気持ち。
強く望んでいるからこそ、相反する気持ちも強くなる。
きっと、カッサンドラにとって、サヴィーノの指輪を探すことは、サヴィーノを……恋人を捜すことなのだ。
その結果を知るのが怖くても、どうしても知りたい。
一冊、資料を読み終え、私は一つため息をついた。
ひどい目にあわされておいて、こんなことを思うのは、どうかしているのかもしれない。もしかしたら、眷属になったから、そう思うのかもしれない。
けれど……。
何とか早く、指輪を見つけて届けてあげたい。
そう思った。
少しして、オリンドさんが戻ってきた。
その手にはたった二冊の本しか無い。
「思った以上に、資料が少ないですね」
「もう一冊あるそうなんですが、そちらは閉架図書に入ってます。一応、申請はしてきましたけど、すぐには閲覧できませんね」
「ありがとうございました。まずはあるものから、確認していきましょう」
机に置かれた二冊の本。
一冊は古いものの、本格的な研究書のような本だった。
私はもう一冊、やけに軽い装丁の本をとる。雑誌のような……しかもオカルト系?
「これ……大丈夫なんでしょうか?」
表紙の見出しに触れれば、見出しが頭の中で踊る。
『恐怖!国立歌劇場の地下に未知の生物が!』
『のどかな町を襲ったドラゴン!その正体に迫る!』
……こっちにもあるんだ、こういう眉唾な本。
「数少ない資料ですし、確認してみない訳にもいかないでしょう」
まともそうな本は、私には読めない本だったので、オリンドさんにお任せした。
シルヴィオさんは少し休憩してもらって、私がオカルト雑誌を担当する。
目次を見れば『緊急提言!赤い魔女は必ず戻ってくる』の見出し。そこに魔力を少し込めると、該当のページが開く。
本当に便利なのだ。これ。
もとの世界でもこういう機能欲しい。電子書籍でもいいから。
そんなことを思いつつ、記事を読む。
いつか必ず赤い魔女が、三百年の時を越えてこの世界に舞い戻ると警告するおばあさんがいるという。
『一体何の目的か、再びこの国を混沌に陥れるためか、我々への復讐か』
長く思わせ振りな煽り文句。
その後に書かれていたのは、Aさん(仮名)は赤い魔女と親交があったスザンナ マンノーイアの子孫で……
―――ビンゴ!!
ガタンと椅子を蹴って立ち上がった私に、驚く二人の視線が集中する。
「これ!これ見て下さい」
二人に見やすいよう広げた雑誌には、赤い魔女が処刑前に必ず戻ると言い残していたと語るAさんの話が、おどろおどろしい文体で書かれていた。
「この雑誌、発行日は……半年前ですね」
シルヴィオさんが記事を書いた記者の名前を走り書きでメモする。
出版社の名前、住所も。
Aさんは高齢の女性のようだけれど、半年前の記事ならまだご健在の可能性が高い。
が、当然だけれど、本名や住所まではそこには書かれていなかった。
「この出版社に行ってきます」
「それなら俺も!」
「オリンドはここに残って下さい。ここの本を本棚に戻せるのも、後から連絡をとれるのも、君しかいないんです」
オリンドさんはシルヴィオさんの取り出した木製のカードに、渋々と魔力を登録する。
「すみませんが、ここはお願いします。住所がわかれば、連絡しますから」
「絶対ですよ!ここまで来て置いてきぼりは嫌ですから」
私とシルヴィオさんは、オリンドさんを置いて図書館を足早に出る。
シルヴィオさんの案内で、たどり着いた出版社は、大手出版社の軒を借りている小さな所だった。
二階にある編集室にお邪魔する。おどろおどろしい雑誌を作っているから、ちょっと身構えていたけれど、意外にも整理整頓された清潔感のある部屋。五、六人ほどが、どこか暇そうに机に向かっていた。
運の良いことに記事を書いた記者もいたので、話を聞かせてもらうことができた。
ヴァンナと名乗った記者は、私よりも若い女性だった。
あー、あの記事ねと快活に笑う。
ネタが無くて困ってたときに、近所のお婆さんから聞いた話を載せさせてもらったのだという。そのお婆さんがAさんらしい。
気さくなヴァンナさんに、思いきってAさんの住所と名前を訊いてみる。
「信頼第一。そうそう住所や名前なんて教えられないよ」
そう言われて、はいそうですかと引き下がる訳にもいかない。
私が何とか説得しようと、口を開く前にシルヴィオさんが後ろ手でそっと私を制した。
シルヴィオさんの耳が、ほんの一瞬私の方に向けられる。
何か、私を気にしている?
私がいたらまずいことでもあるのだろうか。よくわからないが、任せた方がいいのかもしれない。
「シルヴィオさん、私は先に出てますね」
そう言うと、ちょっとほっとした顔で送り出された。
……本当に何をするつもりなんだろう。
出版社を出たところで、私はシルヴィオさんが出てきたらすぐわかるように、建物の脇の道で待つことにした。
頭痛が襲ってくるが、今は待たないと情報が入らないからと念じると、さほどでもなくなった。
霧が少し晴れて、隙間から茜色の光が差してくる。腕時計を見れば、針は4時少し前を指していた。元の世界の時刻のままなのに、特にズレを感じない。そのまま使っているけど、何だか不思議な気分だ。
少し時間がかかるかと思えば、ものの五分もかからずシルヴィオさんが急ぎ足で出版社から出てくる。
声をかければ、満面の笑みで駆け寄ってきてくれた。
「住所、わかりましたよ」
「本当ですか!?」
「ええ、お名前までは教えてもらえなかったのですが、住所がわかれば何とかなるでしょう」
「ありがとうございます。それにしてもよく教えてもらえましたね」
どうやったんだろうと思ったけれど、そこは曖昧に濁されてしまった。
「頭痛は大丈夫ですか?」
「はい」
「では、これからすぐに行きましょう。図書館の向こうなので、戻るような形になりますが」
シルヴィオさんがオリンドさんに連絡を入れ、向こうで合流することになった。
そして、私達はサヴィーノさんの妹、その子孫のところへ向かった。
うまくいけば、また明日更新できるかもしれません。
うまくいかなければ、また来週末更新します。
シルヴィオはヴァンナに悪いことをしているわけではないのですが、一人称なので書きませんでした。
需要があればSSで書きますので、リクエストくださいませ。




