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異世界転移の魔法陣

 異世界転移の魔法陣が完成していないとしたら、それは国の最高機関でも私を元の世界に戻せないと言うことだろうか。

 頭が真っ白になってしまった私の前で、白い猫(カッサンドラ)は呟いている。


「それにしても、三百年……思ったよりも時間が経っているわね」


 この猫は、元の世界に戻りたければ自分の眷属になれと言っていた。もう他に、方法はないんだろうか。

 私が諦めかけている横で、それでもシルヴィオさんは引き下がらなかった。


「その完成した魔法陣を教えてもらうわけにはいきませんか?」


 猫も、そして私も、驚いた。

 さすがにそれは教えてくれないだろうと、私でも思う。

 (カッサンドラ)は驚きの表情をすぐに消して、面白そうに目を輝かせた。


「あらあら、それはさすがにこの食事代としては高すぎるのじゃなくて?」


 言外に、それ相応のものを出せるのかと問われて、シルヴィオさんが言葉に詰まる。

 けれど、私は頭を必死に動かす。せっかくシルヴィオさんが作ってくれた糸口だ。何か言わなければ。何でもいいから、何か……何か出てこい!


「生活費」


 苦し紛れに口をついて出た言葉は、それだった。

 とはいえ、頭にポンと浮かんだ単語を言っただけだ。その先の言葉を、必死になって考える。


「ここのご飯代。……それに昨夜はシルヴィオさんが家に泊めてくれたのよ。あなたが私を勝手にこの世界につれてきたのだから、私の分のご飯代と生活費分くらいは、教えてくれてもいいじゃない」


 何とか捻り出したけど、我ながらとんでもないぼったくりだ。

 そんなものが、国の最高機関ですら解明不可な魔法陣の代金になる訳がない。だけど、何か手がかりだけでも。


 私の内心を知ってか知らずか、にんまりと猫が笑う。


「あなた、結構言うのね」


 いえいえ、もう冷や汗だらだらです。

 とは心の中に押し込んで、外側は当然の要求と見えるように一生懸命取り繕う。さっき食事を要求した(カッサンドラ)のように、ふてぶてしく、ふてぶてしく。

 自己暗示万歳。なんとか平静を保ってにっこり笑って見せる。

 猫はクスクス笑いながら一つ頷いた。


「いいでしょう、あなたの生活費分よ。異世界転移の魔法陣を完成させただけじゃ足りないわ。別に位置指定の魔法陣がいるの」


―――ヒントどころか、ハードル上がってる!?


 ちらりとシルヴィオさんを見るが、その表情からして位置指定の魔法陣の方は知ってる……という都合の良い話はなさそうだ。


「元の世界に戻りたいでしょう?どうするリンカ。私の眷属になる?」


 猫が微笑みを浮かべて一見優しげに、親切そうに提案してくる。でも実際は、猫が捉えた獲物をなぶるのと変わらない。

 舌なめずりするような猫の瞳に射竦められて、手が震える。


 国の最高機関でさえ当てにできないなら、他に当てにできるヒトはいないだろう。

 もうこの猫に頼むしか手がないのかもしれない。

 幸い、帰さないと言われているわけではないのだ。眷属になると言ってしまえば、帰れるのなら……。


「眷属には、なりません」


 シルヴィオさんだった。

 ピンと立てられた耳と若草色の瞳は、(カッサンドラ)ではなく、まっすぐに私に向けられている。そのどちらもが、やめておいた方がいいと無言で訴えていた。


『眷属は主人の命令に従い、主人を守ります。契約解除まで』


 昨夜のシルヴィオさんの言葉を思い出す。

 そうだ、いくら帰れるからって眷属になんてなったら何を命令されるかわからない。

 けれど、ここで断ったら元の世界には帰れないかもしれない。


―――あれ?


 ふと、自分の思考に違和感があった。


 それを私の迷いを見てとったのか、やけに愉しげな猫は私の不安を煽る。


「断っていいのかしら?帰れなかったら困るのはリンカよ」


 猫に言われて、シルヴィオさんの方が痛いような、辛そうな顔をする。

 それを見やり、猫が私へ優しげに微笑んだ。


「ねえリンカ。帰りたいなら、帰りたいと言っていいの」


 帰りたい?


 私、元の世界に……


「帰りたくありません」


 今度はシルヴィオさんではない。私の声だ。

 シルヴィオさんや猫が驚いた顔をして私を見ている。

 けれど、一番驚いているのは私だ。すとんと出てきた言葉に、私の方が驚いた。


 猫の声が、初めて焦りを含む。


「何をいっているの?昨日は帰りたそうにしていたでしょう」


 そう、昨日はもっと切実に帰りたかった。

 けれど、私は今朝知ってしまったのだ。自分が、どれだけ歌に飢えていたのか。


「私はこの世界で、もっと歌を上手く歌えるようになりたい。だからまだ帰らないわ」


 馬鹿だろう。いったい誰がこんな理由で、仕事や友人や家族を捨てようと言うのか。

 理性が最後の抵抗をする。

 けれど私はもう、答えを出してしまった。


 むくむくと私の理性を押し退けて沸き上がってきているのは、どす黒いほど強い悔しさだ。今まで諦めて、理性で蓋をしてきた私の夢だったもの。


 私は(カッサンドラ)を真っ直ぐに見て言った。


「あなた、私の歌を下手だと言ったじゃない。悔しいの。残念な歌だといわれるのは、もう嫌」


 帰る方法なんて、後でいい。

 帰ったところで前と変わらないなら、帰らなくていい。


「だから私はこの世界で、あなたよりも上手くなってみせる」


 私の宣言に、シルヴィオさんが固まってしまっている。

 (カッサンドラ)は一瞬の沈黙の後、哄笑を上げた。


「私よりも上手くなるですって?いい度胸ね。後悔しても知らないわよ」


 今、帰る方が後悔する。それだけは確信できた。



 私達がガレットを食べ終えた頃、シルヴィオさんの胸ポケットが緑色に光った。同時にリーーンと金属を鳴らしたような、高い音が微かに響く。

 シルヴィオさんが胸ポケットから取り出したのは、役所で持たされたカードだった。そこには、緑色の文字が光っている。


 役所からの連絡だろう。

 もう上のヒトに連絡がついたのだろうか。それとも、断られたのだろうか。

 シルヴィオさんの表情からはわからなかった。


「そろそろ、行きましょうか」


 シルヴィオさんがガレットの包みを片付ける。

 まだ帰らないと決めたとはいえ、いずれ帰ることを諦めた訳ではない。最高機関のヒトに会えるならそれに越したことはないのだけれど……。


 (カッサンドラ)が、何を思ったかガレットの包み紙をとった。

 爪で何かを器用に描いていく。インクも何もついていなかったが、紋様が赤く光った。光が消えると、そこに魔法陣が描かれている。


「持っていきなさい」


 猫の脚が私にその紙を差し出した。

 これは?と問うと、白い猫は珍しく茶目っ気のある瞳で言った。


「私の存在を疑われたら出すといいわ。ご飯代と生活費のおまけよ」


 誰に疑われたら、というのだろう。

 この猫には、何もかも見透かされている気がする。役所に行って赤い魔女(カッサンドラ)のことを通報して疑われたことも、最高機関へ元の世界へ帰る便宜をお願いしたことも。

 なんとなく告げ口をした気分で、後ろめたい。


「……あなたが一緒に来てくれれば、誰も疑わないわ」


 来ないだろうと思っていたが、訊いてみる。

 猫は怒るでもなく、器用に首を竦めて見せた。


「ぞっとしないわね。私を処刑したのは、最高機関の魔法使い達よ?」


 その答えに、やはり見透かされていたと確信して、ため息をついた。

 それにしても、あっけらかんと断られたものだ。処刑されたことを、恨みには思っていないのだろうか。


 色々ともやもやした気持ちは残っていたが……結局、私は魔法陣を受け取った。

 席を立とうとした私を遮り、シルヴィオさんが手を上げた。


「最後にもう一つだけ」


 猫は黙って首を傾げた。

 言ってみなさいと言う意味だと解釈したのか、シルヴィオさんが続ける。


「約束とは、なんですか?」


 シルヴィオさんが尋ねた途端、すぅっと辺りの気温が下がった気がした。


「坊やは知らなくていいの」


 その冷たい声にゾッとする。先程までの、どこか気安いほどの雰囲気は一瞬にして消えてしまった。

 二人とも、猫の迫力に圧されて声もでない。この猫に逆らってはいけないと、本能が警告をする。


 息をすることもままならないほどの圧力にさらされながら、私は祈った。

 いったいどんな約束なのかわからない。けれど、約束が守られていますように。


―――破られていたら、本当に何が起こるかわからない。


 私達がそれ以上、詮索する気を失くしたのを見て、猫は黙って席を立った。



 店を出ると猫はごちそうさまと言って、白い霧の中に姿を消した。

 なんとなく取り残された気分で、猫の消えた方を見つめる。

 何だかとても気力を消耗してしまった昼食だった。食べたガレットの味さえ、覚えていない。


 シルヴィオさんも大きく伸びをすると、盛大に息をついた。

 私の鞄を見て、眉と耳を下げる。


「赤い魔女の魔法陣ですか。リンカさんの食事代と生活費としても、大変なものをもらってしまいましたね」


 三百年前、この国を混乱に陥れた原因。赤い魔女の魔法陣。

 魔力さえ流さなければ危険はないからとシルヴィオさんに言われ、私が鞄にしまってある。


―――見た目、ただのガレットの包みなんだけどね。


 完全に危険物扱いである。



「リンカ、手を出してください」


 シルヴィオさんに言われて、首を傾げた。

 失礼とシルヴィオさんが私を少し店の前からずらした。そこで私の右手を取るので、ようやくさっき猫に引っ掛かれてしまったことを思い出した。

 少しだけ血が出ていたが、もう止まっている。手の甲に、チリチリとした痛みだけが残っていた。

 私はそれを見ながら、少しぼーっとしてしまっていた。色々とありすぎて、思考がまだオーバーヒート気味だ。

 シルヴィオさんが、私の手に残った血をハンカチで拭ってくれる。


「さっきは驚きました。まさか、元の世界に帰らないと言うなんて」


 確かに、普通に考えたらあり得ないだろう。残してきたものが色々ある。仕事とか、家族とか、友達とか。

 けれど、自覚してしまった『帰りたくない』という気持ちは、ますます私の中で大きくなっている。


「……呆れますよね。歌が上手くなるために、生まれた世界に帰らないなんて」


「呆れるなんて、とんでもない」


 大袈裟なと思うほど首をふって否定すると、シルヴィオさんは、私の手に指輪をかざした。

 リーンと高い音がして、緑色の紋様が傷口を照らす。


「けれど、その……無理をしていませんか?」


 私は消えていく傷口を眺めながら、いいえと呟いた。


「シルヴィオさんは、私の歌の指導をしてくれると約束してくれましたよね。元の世界に戻ったところで、こんなに信頼できる耳をもった人が私を指導してくれるなんてあり得ないんです」


 それだけではない。

 昨夜聴いた素晴らしい歌。

 ここののヒト達の耳の良さ。

 音楽を一番大事にしているという街。

 せっかく異世界に来たのだから、ぜひ他の歌も聴いてみたい。


「それに、シルヴィオさんの作った曲、好きです。あれを歌わせてくれるなら、私としては願ってもないことですから」


 手の甲の傷はあっという間に消えてしまった。もう傷跡も残っていない。便利なものだなと思う。

 私はお礼を言おうと顔を上げた。すると、申し訳なさそうな顔をしているシルヴィオさんと目が合った。耳も力なく垂れている。


「……僕は余計なことをしてしまったのかもしれません」


「そんな、余計なことなんて。むしろ、私はシルヴィオさんに助けてもらってばかりじゃないですか」


 それでも、シルヴィオさんの顔は晴れない。

 シルヴィオさんが申し訳なく思うことなんて何もないのに。あるのは、私の方だ。いや、もしかして、余計なことってそっちの方かと思い直す。


「あの、大丈夫ですよ、シルヴィオさん。ここへの滞在が長くなりそうなら、ちゃんと自分で部屋を探しますから、心配しないでください」


 シルヴィオさんが痛いような、悲しいような笑みを浮かべた。


「君は、赤い魔女には堂々と要求するのに、何故僕にはそんなに遠慮するんですか?」


「それは……当然です。お世話になってますから」


「そんなに畏まらなくてもいいんですよ」


 シルヴィオさんが心配そうに眉を寄せる。

 私はまた、何か失敗してしまったのだろう。

 こちらの考え方に、まだ慣れないことを申し訳なく思う。シルヴィオさんにそんな顔をさせたいわけではないのに。


「行きましょう。最高機関の魔法使いに会えるそうですよ」


 暗くなってしまった雰囲気を切り替えるように、私の手をとってシルヴィオさんが歩きだす。


「あの、手を……」


 離してくださいと言うと、シルヴィオさんは首を傾げた。そして、今度はいつもの屈託のない笑みを浮かべる。


「このままでお願いします。君は、危なっかしいですから」


 そう言われてしまうと、私には返す言葉もない。

 言い様のない気持ちを抱えたまま、私は役所に着くまで手を繋いでいったのだった。



また次回は来週末、更新予定です。

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