黄昏に染まる猫
最初はホラーっぽいかもしれませんが、すぐにファンタジーになります。
基本、怖い展開はありませんので、ホラーが苦手な方もどうぞ。
そこに、猫がいた。
ブロック塀の上から、香箱座りでこちらを見下ろしている。
元は何色だろうか、黄昏に染まる毛並みが血の色のようだ。
先ほど聞こえた「下手な歌」という声はこの猫が発したのだろうか。
―――まさか。
だが、目が合っても逃げもせず、目をそらすことも無い猫に
―――そうかもしれない。
という、思いが湧き上がってくる。
ニタリ
猫が嗤った。
ぞっとして思わず後退る。その瞬間。
轟
横手から、一陣の風が吹きぬけた。
振り返れば、猫と同じ色の夕日が沈むところだった。
赤い光と黒い夜が交じり合う。
先ほどまで歩いていた住宅街の路の先は、夕陽に飲み込まれたように途切れていた。
シャラン
鈴のような音が遠くから響いてくる。
シンバル。鈴。ドラム。横笛…
お囃子というには西洋的な祭り独特のリズム。
途切れた道の先に目を凝らせば、昏く赤い光の中、踊るように音楽を奏でてゆらぐ影。みるみるうちに近づいてくるそれは、極彩色のパレードだった。
―――カーニバル?
昔、テレビで見たイタリアの祭りを思い出す。それぞれ違う楽器を手に、大きな仮面をつけて軽やかに踊る、道化師の様なパレード。それらが人なのか、それとも別の何かなのかもわからない。
何もわからないまま、迫り来る極彩色と大音響に飲み込まれる。
目の前を通りすぎていく、奇妙な仮面。
煌めく楽器。
黄や赤や青の衣装。
怒濤のようなそのパレードはあっという間に過ぎ去った。
あまりのことに目がチカチカする。大きな音を聞いた後に特有の頭が痺れた感覚。頭が働かない。
「……何?今の」
掠れた自分の声がやけに遠くに聞こえた。
振り返ってみても、暗くて何も見えない。が、さっきの不気味なパレードがいないことに、少しだけ安堵した。
ため息をついて、自分の身の回りを確認する。
肩のショルダーバックは無事だった。腕も問題なく動くし、今朝と同じ藤色の半袖にグレーのパンツ、ストッキングも破れた様子はない。黒のパンプスにも変な汚れは無いし、脚も動く。どこにも傷めたところはなさそうだ。
まだはっきりしない頭に手をやって考える。
えっと、今日は久々に仕事を定時であがって、電車に乗って、駅からここまで歩いてきて……夕焼けがあんまり綺麗で、誰もいないのを良いことに小さな声で歌っていた。
そこまで考えてはっとする。
誰もいないと思っていたのに、すぐ近くから「下手な歌」と聞こえて、猫がいて……。
私は赤い猫がいた塀の上を見上げる。
けれどそこには、猫はおろか、塀すらなかった。
あったのは壁で、見上げれば上の方に小窓があって、わずかに明かりが漏れている。いつの間にか、灯りが必要なほどの夜になっていた。
私はふらふらとその壁に手をつく。
漆喰だかモルタルだかわからないが、こんな壁の家はうちの近所にはなかった。
「ここ、どこ?」
少しは暗さに慣れた目で、恐る恐る辺りを見回す。
そこは、どこか見知らぬ路地裏に見えた。3階建てくらいだろうか、それほど高くはない建物と建物の間、両手を広げたくらいの幅の道。足下は年季の入った石畳。
右を見れば、先に行くほど暗くて不気味な道。左を見れば、少し先で広い道に出るのだろう。街頭の灯りと行き交う人の影とざわめきが聞こえてくる。
どちらにしろ、全く見覚えのない場所だ。
いつも通りの帰り道だったはずなのに、こんなことがあり得るんだろうか。
落ち着け、と自分に言い聞かせ、目を閉じて深呼吸。
―――どうしよう。
どちらかに行くなら、暗い右よりは、明るい左の方なのだが。一歩、踏み出すにも勇気がいった。
バックをしっかり抱えて、恐る恐る左の雑踏の方へと足を進める。慣れない石畳の感触が嫌な予感を掻き立てる。
「これで、向こうには異世界がどーんとか広がってたら、嫌だからね」
緊張に耐えきれず、誰にともなく呟く。
小説や漫画だとありがちなパターンで珍しくも何ともないが、現実とはかけ離れすぎている。
路地裏から出る少し手前、灯りが届かないギリギリのところから、そっと広い道の方を窺った。
街灯が明るく道を照らし、石畳がつやつやと光っている。広い通りを多くのヒトが行き交っているのが見えた。
―――ひっ!
私は息をのんで路地裏に戻ると、壁を背に震える息を吐いた。
背中に、冷たい汗が吹き出てくる。
―――嫌だからねって言ったのに!!
心の中で絶叫して、もう一度通りの方へと目を向けた。
誰も私に気付いていないようだ。
先程と同じように行き交うヒト達は、映画の衣装のような、西洋風の時代錯誤な服装だった。そこまでは、まだいい。いや、全く良くはないが、あえていいとする。
だが、その首の長さは何なのだろう。キリンやろくろ首のような長さではないが、どう考えても拳一つ二つ分くらいは長い。それにあの大きな耳。福耳なんてものじゃない。まるでコウモリの耳のように大きく、開いている。
その他は普通の人間と変わらなかったから、余計に異様に見えた。
壁に背を預けたまま、一歩も動けない。
恐ろしくて、明るい通りへ出ることも、暗い路地裏の奥に行くこともできなかった。
―――どうしてこんなことに
24歳にもなって、恐怖で泣くことになるなど、思ってもいなかった。誰にも見つからないように、声を圧し殺していると、すぐ近くから艶やかな女性の声がした。
「あら、まだこんなところにいたの?」
慌てて顔をあげれば、そこに、あの猫がいた。
一人称で書いたら、主人公が誰だか全くわかりませんでした。
次回は主人公の自己紹介もしたいと思います。




