#5.A miserable cry
修正しました。投稿直前に設定を変更したため、人物の行動が一部欠けていました。娘は何処へ? と思った方、すみませんm(__)m
「結構広い所に住んでるんだな」
「シェアだけどね」
ジョゼに案内されてやって来たのは、赤煉瓦色した建物だった。築五十年以上は経っているであろうその建物は、この辺りでは珍しくない物件だった。尖塔とアーチを描いた大窓が貴族の屋敷を思わせる。
ジョゼは専用駐車場に車を停め、オレは建物の前にある駐輪場の端に原付バイクを駐車した。
ジョゼと並んで建物の奥へと進む。玄関を入ると天井に吊るされたシャンデリアが出迎えた。この辺りに住む人間はこういうのを好む。小振りではあったが、これもアンティーク調に統一されている。鹿の首を剥製にした壁飾りは受け付けなかったが、吹き抜けの螺旋階段や植物を模倣した手摺の細工など、そう悪くはない造りだった。
ジョゼと並んでその階段を上る。
「ここだよ」
三階の一室の前でジョゼが足を止めた。彼がドアノッカーでドアを叩くと、間もなくして中から
「どうぞ」という若い女の声が返ってきた。しかしドアは開かず、ジョゼが自ら鍵を使ってドアを開ける。
「ただいま」
「うん……」
中にいたのは、ぶっきらぼうな女の子だった。長袖カットソーにデニムのミニスカートというラフな格好をしている。目の周りを囲み、付け睫毛や明るい色のグロスが自己主張の強さを窺わせる化粧をしていたが、表情はおとなしかった。ちらっとこっちを見て、すぐにまた視線を逸らす。どことなく怯えたような印象だった。
「あたし、出るね」
「アビー!」
ジョゼに答える間も与えず、彼女は小走りにロフトの上に行ってしまった。間もなくして降りてくると茶色いフェイクレザーのブルゾンを羽織り、バッグを斜めがけにした外出する時の格好になっていた。
「今晩は別の所に泊まるから!」
彼女はまるで逃げるようにそう言い捨てて、部屋から出ていった。
「あの子とシェアなのか?」
息つく暇もなく、一陣の風のように去っていった出来事に出遅れたオレは、やっと質問した。するとジョゼは「うん」と苦笑してオレを奥に促し、玄関のドアを閉めた。
部屋の中央には黒い革張りの古そうなソファーが置かれ、向かい側に旧式で分厚いテレビを乗せた棚が構えていた。片隅には金の装飾が施された白いアンティーク調の電話があり、アーチを描く大窓を飾るカーテンは、赤ワイン色したベロア生地だった。
「中までアンティークな式調に徹底されてるだろ? ここの家主が外から見える物までそうしないと気が済まない人なんだ。まぁ、そこがわりと気に入ってるんだけどね」
オレはただただ関心したように頷く。
「ところでさっきの子、何歳なんだ?」
促されたソファーに身を沈めて、オレはまた質問した。ジョゼは奥から客用の食器を取ってくる。
「十八歳だよ」
動きながら言い、ジョゼはガラステーブルの上に大皿とグラスを二つ置いた。レジ袋から取り出したつまみをその大皿に移す。
「十八……?」
随分若い年齢だ。そんな年頃の娘と、どうしてジョゼが……
「いつからあの子と住んでるんだ?」
逸る気持ちを抑え、穏やかな口調でオレは詮索する。
「先にこれでいい?」
「ああ」
ジョゼは缶ビールの中身をグラスに注ぎ、自分もソファーに腰を下ろした。リモコンを手に取り、テレビのスイッチを入れる。
「先週の日曜からルームメイトになったんだ。本当は一人で借りたんだけど、事情ができて……」
「事情?」
「うん」
ジョゼは静かに頷き、つまみのナッツを一粒口に入れた後、ビールを飲んでから語り始めた。
「あの子、DVの被害者なんだ」
「DV?」
「ああ、彼女は前ここの二階の部屋で男と同棲していて、その男から暴力を受けていたらしんだ。たまたまここに越して来る前、物件を見に来たオレが通り掛かってその現場を発見した。部屋から飛び出した彼女を凄い形相で怒り狂った男が掴まえようとしていた。そんな光景を実際に目にしたのはその時が初めてだったが、彼女の顔にできた生々しい紫のあざや鼻血を見れば一目瞭然だった。だけど彼女はすぐに「助けて」とは言わなかった。目や表情だけでそれをオレに示そうとして……
そういう被害者は仕返しを恐れるため、加害者の前では事実を話せないことを聞いていたので、オレは彼女もそうなんだと判断した。医者という立場を利用して、彼女をそれとなく理由を付けて連れ出し、男から引き離した。そしてすぐに通報し、男は警察に連れて行かれた。同行を余儀なくされると分かっていた彼女には事前に、事実が語れないのなら黙秘するようにと説得した。そして事情聴取を終えて帰宅した時、彼女は晴々としていた。彼女は勇気を出して事実を有りのままに話してきたと言っていた。
だが、その男がいつまた彼女を襲いに来るか分からない。仕返しに来るかもしれない。オレは彼女を見守ることにした。そしてこの部屋で同居することにしたんだ」
オレは納得できなかった。怪訝そうに眉を潜め、落ち度を指摘した。
「同じ建物の中で移動しても意味がないんじゃないか?」
するとジョゼは
「確かにな」と苦笑してから続けた。
「すぐに引っ越し先が見付かれば良かったんだけど、まだ見付かってないんだ。彼女の場合アルバイトはしてるけど、それでは収入が少ないし、離れた土地に引っ越したとしても、一人でいる以上は永久に怯えて暮らさなくてはならなくなる。それなら落ち着くまでは側で見守ってあげようと思ったんだ」
「……」
オレはそれ以上追及することができなくなってしまった。ジョゼは純粋にあの子のことを考えている。思い付きのようで、実際には深い意味が込められているのだ。
彼は優しすぎる。学生時代の“あの子”の時と同じだ。ジョゼはまた“迷える魂”に巡り逢ってしまったのだろうか。
それがまたジョゼにとっての天使なら――……
「駄目だ!」
「ダリル?」
咄嗟に出てしまったオレの鋭い声に驚き、ジョゼは目を丸めた。
オレは射るような鋭い眼差しでジョゼを見据え、弾丸のようにまくし立てる。
「あの子が可哀相だというのは分かった。だが、だからといって、お前がそこまでしてやる必要なんかないだろ? お前はもっと自分のことを大事にするべきだ。そんなことをしていたら、恋人だって作れないじゃないか。あの子のために、その時間も浪費するのか? だいたいお前は分かってない、どれだけ自分に価値があるのか。――もっと自覚しろ!」
「ダリル……」
「あの子のことを心配するのもいいが、度が過ぎるぞ。もっと自分のために生きろよ!」
「ダリル」
「あの子のために自分の人生を無駄にするな! もうここは出たほうがいい。ああ、そうだ絶対出るべきだ! あの子だってお前がいなくなったら親元にでも帰るなり、どうにかするだろう。あの子とは離れたほうがいい。オレはお前の親友として忠告してるんだぞ? お前は……」
「ダリル――――――っっ!」
その声が一蹴した。聴いたこともない大声だった。ジョゼからこんな声を聴くなんて思いもしなかった。
オレは呆気に取られると同時に冷静さを取り戻していた。その怒声を聴いて、客観的に声を荒げていた自分のことを見詰め直したことで目が覚めたのだ。
オレは何をあんなに興奮していたのか――それが滑稽に思えてくる。
「どうしたんだ、落ち着けよ。何をそんなに向きになってる?」
声を通常の音量に戻してジョゼが言った。
そうだ、オレは向きになっていた。ジョゼに説教するつもりが、本当はあの子と引き離したいだけだった。
「気分が悪くなった。帰る……」
「何言ってんだよ、飲んだばかりだぞ? どうやって帰るつもりだ!」
「歩いて帰る」
「歩いて帰れる距離じゃないだろ……」
ジョゼは首を傾げ、やれやれと大きな溜め息を吐いた。
「分かった、じゃあ今タクシー呼ぶから」
そう言い、携帯端末を操作して耳に当てる。その隙にオレが出て行こうとすると
「待てって!」ともう片方の手でオレの腕を掴み、引き戻した。その手が力強かった。酔いが回っていたオレは引っ張られた方向によろめく。
「おっと、しっかり立って」
ジョゼは自分が酒に強くないのに、酔った身体でオレを支えてくれた。もう片方の手で、用件を済ませた端末を耳から下ろす。
「十分ぐらいで着くって、……荷物はこれだけ?」
「うん」
オレは鈍い返事を返し、ジョゼは
「来るまで座ってよう」とオレをソファーに座らせた。それからオレは思考の中に浮遊していた塊を声に出した。
「お前……あの子のことが好きのか?」
ジョゼはすぐに答えなかった。紙にくるまれたカットチーズを一粒食べてから言う。
「何で?」
「……っ!」
曖昧なその返事に、オレは苛立ちを露にした。
「年頃の女の子と二人きりで住んだりして……おかしなことにならないのか!?」
興奮して、声を荒げる。そんなオレをジョゼは唖然とした顔で見詰め、すっかり困惑していた。苦笑しながら答える。
「そんなこと有り得ないよ。オレは女性を敬遠しているし、あの子だって心に傷を負っていて、そんな気持ちにはなれないだろう」
「ああ――……っっ!」
まるで分かっちゃいない。オレは頭を抱えて呻いた。
「お前は何も分かってないんだなぁ? 人は苦しい時ほど、他人の優しさに弱くなるんだぞ。今の彼女には、お前が天使か神に見えるだろう。そのうちそれが恋愛感情に変わる可能性だってある。相手がお前なら尚更な!」
オレは大切な友に向けて、熱意を込めて忠告するが、それは自分が恐れている危機感でしかなかった。それを聞いたジョゼは困ったのを通り越して失笑する。
「そういうこともあるのかもしれないけど、オレ達の場合は有り得ないよ。そんなの、向こうが嫌だって言うだろうし」
丁度その時クラクションが鳴った。ジョゼがソファーから立ち上がり、アーチを描いた大窓から外の様子を見下ろす。
「タクシーが来たみたいだから行こう」
少し酔いが覚めていたオレは上着を羽織り、鞄を手に取った。ジョゼも部屋の奥から取ってきた上着をさっと羽織ると、先導して玄関へ向かった。
建物を出て停まっていたタクシーにジョゼが声をかける。それからドアを開けてオレを乗せた。
「家は何処?」
「大丈夫だよ!」
「送っていかなくても平気?」
「だから大丈夫だって!」
ジョゼの親切な対応がわずらわしくて、オレは声を荒げた。ジョゼは
「心配だなぁ」と呟きつつ、ドアを閉めて送り出した。
タクシーがテラスドハウスの自宅前に到着すると、闇に溶けていた家の窓がぱっと点灯した。車のエンジン音に気付いたのだろうか。寝ている所を起こしてしまったのかもしれない。だとしたら悪いことをしたなと思いながら、支払いを済ませてタクシーを降りた。冷気に包まれた漆黒の闇に、ざくっざくっという足音が鮮明に響く。同時に上着の衣擦れの音が混ざり、存在を誇示しているようだった。それから玄関の鍵穴に鍵を差し込み、右に捻ってドアを開けた。
妻は出迎えなかったが、玄関に灯が点っていた。
「メーガン……?」
妻の名を呼んだが返事はなかった。オレは物音を立てないように気を付けながら寝室のある奥へと進み、その戸をそっと開ける。
そこにスタンドライトの黄色い灯に、ぼうっと照らされた妻の寝姿があった。娘のルーシェを抱いて安らかに目を閉じている。ダブルベッドの端に身を寄せて、半分の空き場所を残していた。軽く開いた唇から零れる吐息が一定のリズムを刻む。
オレは何を考えてたんだ……?
彼女は申し分のない妻だ。こんなにもかわいい娘も産んでくれて。
それなのにオレは、そんな彼女を哀しませるようなことをしようとしていた。
「っ……!」
オレは妻の腕の中からそっと娘を取り上げ、そのまま抱き抱えてベビーベッドまで運んだ。寝かし付けてから妻の眠るベッドに戻る。そして掛け布団をずらし、彼女の上に覆い被さった。
「ん……?」
妻は朦朧とした意識の中で呻いた。それから瞼を軽く開け、空ろな目でなまめかしい声を漏らす。
「あなた、帰ってきたの……?」
「……」
オレは何も答えなかった。ただ無心になり、上着とその下のシャツを脱いで乱暴に放り投げる。
「どうしたの……?」
片手でパジャマ越しに妻の胸をまさぐりながら、もう片方の手では履いていたズボンのベルトを外していた。指先が胸の先端を捕らえ、妻が喘ぐ。
抑えることができなかった。自分に対する怒りと溢れ出す激情が行き場を失い、鋭い矢となって妻の隙間を突く。攻撃的なその侵入に、妻は忠実に応えてくれた。突き出される乱暴な連打は
血迷い、獣と化した男の――哀れな咆哮だった。
――to be contined――