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SECRET LOVE  作者: 雨音れいん
SECRET LOVE
28/32

#26.Answer

これが最終話になります。

 初秋の宵。薄藍色のしじまに包まれて。大気の冷たさが微熱(ほて)った肌に心地好い。目の前にはオレのキスを拒まぬジョゼ。その手がオレを押し返してくることはない。二人とも秋の装いだった。オレはブルゾンにデニムというラフな格好。ジョゼは紺色のハイネックカーディガンのボタンを三つくらい開けて羽織り、衿元から見える白いボタンダウンシャツの衿は裏地が青いチェック柄で、ボタンは紺になっていた。それにベージュのパンツを合わせ、靴はウィングチップの革靴(オックスフォードシューズ)を履いている。どれもがさりげなく、彼の繊細さが窺える服装だ。ジョゼらしい……

 顔を離して彼の顔を見詰めると、閉じていた瞼を開けて彼も眼鏡越しにオレの顔を見詰めた。この日彼は黒いスクエアフレームの眼鏡をかけていた。その一対のレンズの奥にある蒼穹を水面に映したような青も、黄昏を映して宵の青に染まっていた。ゆるいボディパーマのかかったココア色の髪には漆黒の陰影が広がり、長い睫毛に縁取られた瞼が瞬きに合わせて蝶のように羽ばたく。少し厚めの下唇と鼻筋の通った鼻は青白く、闇に溶けてミステリアスに映る。どれもが繊細で精巧に造られた美術品のようだった。その全貌に闇がかかっても、光が差し込んでも、君は全てを味方にして輝く。この“絶景”を自分が手に入れられるなんて思わなかった。

 これは本当に現実なのか?

 オレは確かめるように、優しく彼の頬に触れた。滑らかな肌を指先が滑る。ジョゼは薄く唇を開けたまま少し目を細めた。

 ああ、なんて艶めかしい表情をするんだ、ジョゼ。そんな顔をされたら理性が崩壊してしまう……。ジョゼは瞳を逸らさずにオレを見詰めた。ああ、そんなにじっと見ないでくれ、ジョゼ。そんな綺麗な瞳で見詰められたら恥ずかしくなってしまう。オレはなんだか初恋の時みたいな照れ臭い気分になってきた。

 ああ、なんて

 なんて甘美な時間だろう……


 幸福の溜め息が唇から零れる。

「ジョゼ」

「ダリル」

 キスの合間に返ってくる名前(ことば)が堪らない。まるでそれが“愛してるよ”と言っているようで、まるで心が通じ合っているようで――堪らない。

 どうかこれが現実であってくれ。夢ではなく……

 いや、夢だとしてもオレは決して目を覚まさないぞ。このまま夢の中の住人になってやる。彼といられるなら、死んでもかまわない――


 あの日公園で再会してから、オレたちの関係は変わった。


『オレは人の家庭を壊すようなことはしたくないんだ』


 それは、遠慮しているようにも聞こえた。


『気付いてないの?』


 その後彼は、オレの手を振り払おうとはしなかった。彼は、オレの気持ちを受け取ってくれた。


「その前に約束してほしいことがあるんだ。

 まず一つ目は、オレとの関係を奥さんに絶対ばれないようにすること。そしてもう一つは、何があっても絶対奥さんとは別れないこと」

「わかった」

 オレはしっかりとそう答えた。この時オレはすべてを失ってもいいと思った。彼を手に入れる代償に何が起きても受け入れる覚悟を決めていた。ジョゼには別れるなと言われたが……



 そして今、彼の住む尖塔の前にある屋根付きの駐輪場の傍にいる。その屋根や自転車の影に隠れて。あの日を過ぎてから、仕事終わりの限られた時間にこんな風に彼と会っていた。“恋人”として。彼の職場はメイフィールド総合病院に戻ってしまっていたが、住んでいる所は同じなので今まで通り会うことができた。ちなみにジョゼを悩ませていたあのエドワード・ギールグッドは、移動させられて現在は他の病院にいるらしい。だからといってジョゼには向こうに戻ってほしくはなかったが、オレの意見ばかりを押し付けるわけにもいかないのでそれはよかったなと不本意ながらも言ってやるしかなかった。本当は仕事もプライベートもずっと一緒にいたかったが、こうして僅かな時間でも会って彼にキスできるようになっただけでも充分幸せだと自分に言い聞かせる。仕事が休みの日にでもゆっくり会いたいのが本音だが、それはジョゼが許してくれなかった。この関係を続けるには妻にばれないようにすることが絶対条件なのだ。とは言え……ジョゼにはああ言ってしまったが、あれはでまかせだった。オレたちの関係が妻にばれてないなんていうのは。そんな確信なんて実は全くなかった。


「最近、帰りが遅くない?」


「なんで?」


 今のところそんな探りは入れてこないが、いつそんなことを訊かれるかわからない。仮に今は気付いていないにしろ、彼女の中には以前できてしまったしこりが残っているだろう。それがいつ何をきっかけに症状を起こすかわからない。そうなった時にはもう末期(ておくれ)だ。すべてが壊れていくだろう。家庭も、彼との関係も。そしてオレは“すべてを失う”。考えただけでもそれは悪夢だ。だがオレは覚悟を決めてしまった。どちらにしろ止められないんだ。もう、この感情は……

 隠せない。

 封印の蓋を蹴破って出てきてしまったこの感情は、もうどこにも収まることはない。

「ダリル」

 不意に冷静な顔で言われてオレは我に返った。ジョゼの顔を正面に見据える。穏やかな二つの青い水面がオレを見詰めていた。

「話したいことがあるんだ」

「話したいこと?」

「ここで待ってて」

 言ってジョゼは尖塔の方へ歩いて行ってしまった。オレは一人取り残された気分でその場に立ち尽くし、彼が共同玄関の扉を開けてその背中が建物の奥に消えるのを茫然と眺めていた。

 話ってなんだ……? 思考が宙をさ迷う。急に耳が冴え、気にならなかった辺りの微かな物音までがはっきり聴こえてくる。そこに自分を感じなくなった。ふわりと顔を上げ、玄関にあった視線を上に向ける。ジョゼの部屋の大窓に目を止めた。カーテンが閉められ、外から中の様子は窺えない。

 数分ほどして共同玄関の扉が開いた。そこからジョゼが現れた。先程までは着ていなかった上着を羽織っている。品の良い細身で、スタンドカラーのグレーのコートを。

「?」

 その隣にもう一人――赤いキャリーバッグを持ったアビーがいた。フェイクレザーのブルゾンを羽織り、首からスヌードをかけ、ボトムはデニム地のショートパンツを合わせ、ムートンブーツを履いている。ジョゼの手元にも同じくキャリーバッグが。二人はそれをキャスターで転がしながら歩いてきた。そんな物を持って一体どこへ行くつもりなのか。オレの前まで来るとジョゼは、小声でアビーに何か伝えた。アビーは頷くこともなく、だが理解したように一人で門の方へ行くとそこで立ち止まった。

「なんであの()と……?」

 やっとそう吐き出して、オレは糾弾の目をジョゼと遠くにいるアビーに交互に向けた。ジョゼがオレの顔を見詰める。揺れない水面に映った二つの蒼穹がオレを見詰めている。彼の唇が沈黙の封印を解いた。


「彼女と別の地に移ることにした」


 ――静寂の空間を暗闇が黒く塗り潰す。


「そんな……なんで」

 次に“なんでだ!?”。唇がそう叫ぶ前に塞がれた。彼の唇に……ああ……なんで。オレは悦びと絶望の渦に巻かれて眩暈に襲われる。それは初めてのジョゼからのキスだった。

「今までありがとう、ダリル。君のことは一生忘れない」

「ジョゼ?……」

 困惑するオレに、ジョゼは目を細めてやわらかく微笑し

「じゃあ、元気でね」

 それだけを言い残して離れていく。オレの横を小さな足音とともに静かに通り過ぎて行った。

「待ってくれ!」

 掴もうと伸ばしたオレの手をすり抜け

「ジョゼ!」

 その声にも彼は足を止めてはくれなかった。足を早め、門の前で待っていたアビーと合流して路地に出て行ってしまう。二人の姿がその奥に消えた。


 ジョゼ……


 ――目の前から光りが消えた。


「ジョゼ……っ」

 歪んだ世界が後に広がる。

 きっとこれは悪夢なんだ! 固く目を瞑りそう願った。

 ほどなくしてそこに携帯電話の着信音が鳴り、オレははっとした。ジョゼからか!? そう思って鞄の中から携帯電話を取り出す。

 そしてオレは放心状態に陥った。それは――


  “【Jozeph】


  オレたちは永遠に友達だよ”



 ジョゼから送られてきたメールだった。

 これが君の出した答えなんだね。

 ジョゼ、君はやさしすぎて


 “残酷”だ。


 オレの愛を受け止めてくれたのは

 君のやさしさで

 だがそのやさしさで君は、オレと決別することを選んだ。

 追いかけていたら君は、またそのやさしさでオレの愛を受け止めてくれたかもしれない。

 だが何度追いかけても、何度愛を捧げても、結局君はこの結末を選ぶだろう。

 オレの“家族のために”。


 君は家庭の温もりを知らずに育った。その寂しさを知っていているから、自分のような思いを誰にもさせたくないと言っていた。だからオレとの関係を認めてくれた時は驚いた。その答えがこうだったっていうのか?

 だからってあんな……


「っ……!」

 熱いものが目に込み上げてきて、オレは顔面に掌を当てた。

 君からのキスは本当なら“ハッピーエンド”になるはずだったのに……

 それが最後だなんて


 最後の贈り物は残酷すぎた。

 あれが別れのキスだなんてあんまりだ。

 あんまりだ……!


「ジョゼ……っ」


 頭の中でエンディングテーマソングのようにジェイムス・ブラントの「 You’re Beautiful」が流れ出した。


 ジョゼ、君は美しかった。誰よりも。

 オレの思い出の中で君は永遠に美しい。

 さっきまで君はオレと抱き合っていた。

 さっきまでオレとキスしていた。

 さっきまでオレと――

 恋人同士だった。


 恋人だった。オレの

 この腕の中で……


「っっ……」

 それからオレは声を上げて泣いた。地面の上で膝を抱えて子供のように。

 そして彼は再び、オレの幻想の中に消えた。





――end――




 長い間今作にお付き合いいただき、ありがとうございました。いろいろ課題が残る結果になりましたが、無事最終話を迎えることができてほっとしています。本当はもっと泥沼になる予定でした。奥さんとジョゼがスーパーで遭遇するシーン(修羅場〜)とか、ダリルの勤務先の病院で小さい女の子の患者さんが窓から目撃したのかジョゼとのラブシーンを見たと指摘してくるシーンなども考えていましたが割愛しました。断しゃり〜。構成力がアップするドリンクでもあれば書けたんでしょうけど……(-.-)指→←指。(こういうのを言い訳と言う)

 アビーの存在を無視してる? 気のせいですよ。笑笑

 ではまた別の作品で。

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