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SECRET LOVE  作者: 雨音れいん
SECRET LOVE
21/32

#20. Continuation of “Lie”

「何故あんなことを言ったんだ!?」

 帰りのタクシーの中でオレは激昂した。レストランでジョゼと別れるまでずっと抑えていた憤りをそこで一気に吐き出す。ジョゼに対して、彼を愚弄するような質疑を繰り返した妻の態度が許せなかった。

「あれじゃあ、ジョゼを侮辱しているみたいじゃないか!」

 後部座席に座っている妻に向かって怒りをぶつけると

「そう?」

 と悪びれもせずに妻は言った。つんと顎を突き上げてそっぽを向く有様だ。

「……っ!」

 横目でそれを見たオレは、話しにならないと呆れて溜め息を吐き、かぶりを振って前に向き直った。

 以降息が詰まるような終止無言の走行ドライブが続いた。





 タクシーが自宅のアパートの門前で停車すると、オレは素早く支払いを済ませて下車した。まだ乗っていた妻には構わず一人で歩きだし、門を潜る。そのまま足早に自宅の玄関に進み、ポケットからキーホルダーを取り出して自宅の鍵を鍵穴に差し込んだ。後から妻が歩いて来る気配がしたがオレは気にかけず、彼女も声をかけてこなかった。

 ドアを開けるとオレは室内に突き進んだ。原付バイクのキーとヘルメットをウォールハンガーからひったくるように取る。持っていたナイロン製のバッグに加え、片手にキー、小脇にヘルメットを抱えて玄関に向かう。

「どこ行くの?」

 妻が言った。立ち止まらずにオレはその横を通り過ぎた。

「ちょっと走ってくる」

 ぶっきらぼうな顔と声で言う。

「どこへ? まさか“あの人” の所へ行くんじゃないでしょうね!?」

 危惧を抱いた妻の怒声が耳を聾した。脳内にまで響いたその不快さにオレは顔をしかめた。

「……“あいつ”の所にはいかない。ただ走ってくるだけだ」

 苛立つ気持ちを抑え込んで言った。

 すると妻はこれ以上言ったら怒り出すと察したのか反論を辞め、声が混じった溜め息だけ漏らした。

 オレはそれ以上何も言う気になれず、黙ってドアを開けて玄関の外に出た。憤りを著すかのように肩を怒らせて、家から延びる石畳の上を闊歩していく。バイクガレージに着くと、そこに停めてあった自家用の原付バイクのハンドルを持って転がす。シートに跨がってヘルメットを被り、エンジンをふかすと門を抜けて自宅のテラスドハウスを後にした。


 ジョゼに妻の非礼をメールで詫びるべきか――走行してまもなくそのことが気にかかった。しかしそうすると余計、彼にとって触れて欲しくない傷口を撫でることになってしまう気がした。


 ジョゼ、ごめん。妻は本当はあんなことを言う女性じゃなかったんだ。

 あんな風にさせたのは……

 きっと彼女は何かに追い詰められていた。だからあんな言い方を。

 悪いのは彼女じゃない。

 悪いのは、彼女の心を狂わせたオレなんだ。

 全てオレのせいだ。

 オレが悪いんだ。


 頭の中で活字にして言い表せない謝罪の言葉が羅列した。ジョゼはきっと“気にしてないから”そう言うだろう。

 本当の意味も知らずに。


 本当の意味はオレがジョゼ(君)を愛してしまい

 妻がそれを感知して君を傷付けた


 そのことの謝罪なんだ。

 妻は勘違いなんかしていない。

 敏感にそれを感じ取ってしまっただけだ。

 

 真意をこの口から吐き出したい。だが、怖くてそれはできそうもない……

 オレは途中で停車してバッグの中から携帯電話を取り出した。そしてただ短く不器用に、謝罪の言葉を述べたメールをジョゼの携帯電話に送信した。



 原付きバイクが唸りをあげる。オレは無心でスロットルを思い切り回していた。車体が大気を裂いて路面を迸り、景色が横に流れていく。そのスピードに乗って、そのまま信号も障害物も関係なく突き進みたい衝動が押し寄せた。澄んだ空の蒼さと子供たちのはしゃぎ声。散歩している老夫婦。そんなよくある休日の平穏な風景の中にいて狂気しているオレは、異物のような存在に思えた。続く住宅地の道路を減速せず、エンジンの咆哮をあげて走っていく。

 が、その勢いは通りを歩く親子連れを前方に見出した時消えた。両親と手を繋ぎながら無邪気な顔で高らかに歌を歌う子供と親たちの背中を見たら、自然とそうしていた。

 あれは天使だったのかもしれない。

 我に返ったオレは、暴走行為を思いとどまらせてくれたことを最後に見た親子連れにそっと感謝した。



 気が付けばオレは通勤路を走っているようだった。しかし勤め先の病院に用はない。じゃあ、なんのために……?

 ふと甘い薫りが鼻をくすぐった気がした。甘い木苺の薫り。これはジョゼが食べていたフランボワーズマカロンの薫りだ。

 オレは原付バイクをある店に向かって走らせた。駅の側にあるカフェサロンだ。通りかかってもオレは入ったことがなかった店だったが、ジョゼに誘われてから何度か通っていた。マカロンの種類が豊富で若者や通勤途中の会社員などが、コーヒーと軽い食事を取りに訪れている。ジョゼはここのマカロンが好きだった。この前彼が食べていたマカロンが脳裏に浮かぶ。それが急に自分も食べてみたくなった。彼と同じマカロンが欲しい。

 フランボワーズマカロンが……






 帰宅するとオレはバイクガレージに原付きバイクを停め、携帯を開いた。受信が一件あった。


【Jozeph】


“気にしてないよ”


 文はその言葉で始まり、後に励ましの言葉が添えられていた。


 やっぱり……

 思ったとおりのジョゼの返事だった。本当は傷付いたはずなのに、優しいな……抱き締めたくなる。

 その愛おしさに、思わずオレは目がとろけたようになっていた。だが、その気持ちを振り払い、表情を普通に戻してから自宅へと進む。テラスドハウスの一室。その玄関のドアを開け、ヘルメットとキーを置き場所に戻し、バッグと紙袋を持ってリビングに入った。そこにソファに座った妻の姿があった。彼女は親指を唇に当てて浮かない表情をしていたが、オレの存在に気付くと目を瞠って顔を上げた。しかし言葉は交わされず、というよりオレがそれを望まず、無視して奥の部屋に足を向けた。その時、紙袋がカサカサと悪戯に音をたてた。

「どうしたの、その袋? カフェサロン(ル・シャルル・ジャン・ピエール・フランス)のじゃない~!?」

 さっそくケーキ好きな妻が好奇心を覗かせ、食いついてきた。こういう切替えの早さはまさに天才的だと感服する。たった今まで悲観に暮れてたんじゃなかったのか……? とても付いていけない。

「珍しいじゃない、あなたが甘い物を買ってくるなんて?」

「オレだって甘い物が食べたい時があるんだ!」

「……」

 オレは吐き捨てるように言い放ち、闊歩して書斎に向かった。乱暴に閉めた扉が派手に鳴り、後から自己嫌悪のようなものが胸に込み上げてきた。

「はぁ……」

 机の椅子に座って深い溜息を吐く。


  何をやってるんだオレは……


 机に置いた紙袋の中に手を伸ばした。

 艶やかなピンク色。香ばしく、豊かに膨らんだ丸い二枚の生地。その間に挟まれた薄いピンク色の木苺が混ざったコンフィチュール――これをジョゼが食べていた。その焼き菓子マカロンをかじりながら、オレは恥ずかしさを覚えていた。

 一人でこんなことをして

 オレは子供みたいだな……

 仄かに甘酸っぱい木苺の馨りがするマカロンを目の前にかざし、角度を変えて眺めながらオレは失笑した。

 机に突っ伏して半ば瞼を閉じ、意識と視線が虚空を彷徨う。音階の掴めない大気の呼吸だけが微かに響く静寂の中に、置き時計が刻む秒針の規則的な音が冴え渡って聴こえた。しばらくこうして、静かに時が過ぎるのを待つことにした。

 波風を立てずにこの日が無事に終わってくれることを願い……







「?……」

 寝室のカーテンを通過した朝の陽光が室内を照らし出し、閉じた瞼の内側にまで光を届ける頃、小さな物音に気付いてオレは目を覚ました。

「メーガン?」

 ベッドに横臥したまま首だけ傾けると、前方に人影がぼんやりと見えた。半身を起こしヘッドボードの上から眼鏡を取ると、それをかけてから見直した。するとドレッサーに向かって念入りに化粧を施している妻の姿があった。彼女はふだん、用もないのに朝から化粧などしなかった。それが鏡を覗き込んで、マスカラやらアイライナーやらを丹念に塗り込んでいる。その姿はまるで美術品を施工する職人のようだった。

「何をしているんだ!?」

 その奇行を不審に思い、と同時にその後ろ姿を見て、オレは何か不可解な脅威すら感じて叫んだ。

 妻が振り向く。

「“あの人”より綺麗になるためよ!」

 その声と目付きが凶器のように鋭く迸った。

「“あの人”?……ジョゼのことか?」

「そうよ! あなたの“愛しいジョゼ”!」

「……」

 悪意がたっぷりと込められた妻の挑発的な口振りに、オレは額に手を当ててうんざりとした渋面を浮かべた。朝から何を言い出すんだ、と。

「男と張り合ってどうする……」

 軽く呆れた口調でそう返す。

「男なのにあんなに綺麗なのよ!? お化粧もしてないのに……私なんか、いくらお化粧してもあんな風にはなれない!」

「確かにあいつは美形だが、君とは性別も違えば骨格も違うんだ。比べるのが間違ってるだろ?」

「そうよ、骨格が違うわ! 彼は輪郭がシャープで顎も弛んでない。それに比べて私なんか、出産してから4キロも体重が増えて顔が真ん丸だわ。男の彼より顔が大きくなってる!」

「あいつは特別顔が小さいんだ」

 それは本当のことだったが、妻はしらけた目でフォローしたオレを見据え、皮肉を込めて言った。

「あなたよりもね」

「……~~」

 そんなに気にすることだろうか。そりゃあ、出会った頃より多少ふっくらしたかもしれないが……

「今でも君は充分魅力的だよ」

「おだてないで!」

 ぴしゃりと妻に言い換えされて、オレは軽く首を引っ込めた。オレも顔は小さいほうだが、これ以上のフォローはしないことにした。言ったところでまた論破されるだけだろう。

 妻は鏡に向かい、さらにアイライナーを書き足した。

「あなたはああいう顔が好きなんでしょ? 確かに彼は顔もスタイルも良くて、奇跡みたいに美形だわ。物腰も柔らかくて人付き合いが苦手だなんて嘘みたい。そうよ、きっとそれは嘘ね。あれで人に好かれないはずがないわ。彼は嘘を付いてる。それかあの笑顔が偽物なんだわ。私、ああいう人って嫌い! 笑顔で愛想良く振舞ってるけど、心の奥では何を考えているのかわからないタイプ。そういう人って苦手! 彼が笑う度に虫酸が走ったわ」

 そう言って妻は怪訝そうに顔を歪めて身震いした。

 そんなに……

 オレはそれを見て愕然としてしまった。妻の反応は過剰で大袈裟な芝居染みている気もしたが、そんなに嫌うなんて、と。

 ジョゼのことを嫌う女を初めて見た。

 もちろん妻がジョゼに対して良い印象を持っていなかったことは知っていたが、会えば彼女のその見方が変わるかもしれないと思っていたのだ。それがこうなるとは……

 これでは悪影響を与えてしまっただけのようだった。

 それから妻は自身の中で何かに納得したように数回頷いた。

「彼、あの顔を使ってさぞかしたくさんの女を誑かしてきたんでしょうね」

「……?」

「きっとそう、だから結婚しないんだわ」

 刺のある妻の言葉に嫌悪して、オレは眉間に皺を寄せた。

「まだ、遊びたいからよ!」

 妻も顔を歪め、憎しみを込めてそう言い放った。

「メーガン!」

 オレはベッドから勢いよく立ち上がり、親友を侮辱された怒りにいきりたった。固く握り締めた拳に爪を食い込ませ、飛び掛かるような勢いで妻を見据える。

「何よ、殴りたければ殴ればいいじゃない!」

「……っ」

 妻は怯まず、目を充血させていた。その目がしんの強さを物語り、自分より大きな敵から我が子を守ろうとしている動物の雌の姿を連想させた。“家庭”という巣穴を守る。

 それを見てオレは、憤りを腹の中に納めて強制的に拳を降ろした。

「もうやめよう……こんな言い争いは馬鹿げてる」

 頭を横に垂れて脱力した声で言った。

「馬鹿げてるですって!?」

 妻が再び激昴した。

「何が馬鹿げてるって言うのよ!」

 声を荒げる妻に対して、オレはその興奮を沈めるように冷静な声で言った。

「君はありもしない妄想を膨らませて、オレの親友に嫉妬しているだけだ。馬鹿げてるよ」

「……っっ!」

 反駁に目を剥く妻。

「だからもうやめよう。こんな争いは馬鹿げてる。これ以上君と争いなんかしたくない」

 低声で言い終えると、牙を剥いていた攻撃的な妻は姿を換え、いつしか気力とともに肩の力を落とした。

 ほどなくその肩が小さく震えた。

「……」

 静かにオレは歩み寄り、ドレッサーの前で落胆する妻の肩に腕を回した。自らその腕の中に納まろうとする妻。オレは凭れかかる彼女の頭上に自分の顎を乗せ、静かにゆっくりとした呼吸を始めた。妻の温もりと啜り泣きがそれと重なる。

「何も心配しなくていい。何も心配するようなことはしていないから」

「……本……当?」

「ああ」

 オレはずるい。偽りの言葉を躊躇うこともなく口にしていた。慟哭する妻を抱き締めながら――

 別のことを思い。


 もう後戻りはできない。

 最後まで妻を騙し続けよう。



  それが“優しさ”だと思うから……





――to be contined――   

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