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SECRET LOVE  作者: 雨音れいん
SECRET LOVE
19/32

#18.A bet

 ジョゼに会いたい気持ちを朝から抑えていたオレは、禁断症状を起こしていた。午前の勤務を終えると同時に院内を夢遊病者のように徘徊する。

 オレは何をしているんだ?……

 気が付くと電話ボックスの中にいた。そこから白亜の建物の角が見える。病院の裏玄関だ。敷地の両脇に並列する喬木。門の前を通る一車線の道路。その道路を挟んで反対側にオレのいる電話ボックスはあった。

 病院の前を遮る物は何もなかった。“人一人”として。

 オレは無意識の動作で電話のボタンを押していた。呼び出し音が聞こえてくると、その音と自分の鼓動が重なった。

 それがふと途切れた。

 声が聴ける――

《どうしたの? なんで公衆電話から……》

 電話に出たジョゼは困惑していた。かけたオレも少し戸惑い気味だった。

「多分、今日だけだから」

 オレは電話の本体に腕を預け、だらりと手だけ垂らした。

「ジョゼ」

《何?》

 どんな服を着ている?

「今日も手術オペ入ってるのか?」

《うん。午後に肩の脱臼のがね》

「そっか、頑張ってな」

《ありがとう》

 今笑ったのか。

 顔が見たい。

「ジョゼ」

《ん?》

 声が遠く感じる。

 君の姿が見えないと不安だ。どこにいるんだジョゼ。会って話がしたい。

 いや、駄目だ!

 今会ったら君を思いきり抱き締めてしまう。

 痺れるほど――そうしたい。

 こんなのは残酷だ。二つ身体が欲しい。

 もうひとつ自分の身体があれば、オレはどちらも愛し続ける自信がある。妻――家族も

 ジョゼも。

 その愛を維持することができるのに。

「ジョゼ……結婚なんてしないほうがいい」

 ふとそんな言葉が口から零れ出た。無意識でもない。だが、心の中で自答するような声だった。

《どうしたの? 奥さんと喧嘩でもしたの?》

 当然のようなジョゼの反応と心配する声。

「気にしないでくれ。多分独り言だから」

 オレは白衣のポケットから取り出した携帯を無心で開いたり閉じたりしながら言った。

《気にしないでくれって……そんなこと言われたら気になるじゃないか?》

「……」

《何かやっちゃったの?》

「ああ。いや、疑われてるんだ」

《疑われてる?……》

「うん、オレが浮気してるんじゃないかって」

《それで実際どうなの?》

「してない」

《だったらはっきりそう言えばいいじゃないか》

「言ったよ。でも信じてもらえなかった」

《だったら信じてもらえるまで言い続けなきゃ》

「分かってるよ。だが、その疑われてる相手が……」

《相手が?……まさか》

 そう、そのまさかだ。心の中でオレは回答を促した。

《まさか、本当は浮気してるのか?》

 は?……

 思わずオレは失笑してしまいそうになった。なんとか笑いを噛み殺して

「違う」と答え、冷静さを装う。

 ジョゼにはやはりこんな発想は浮かばないのだろう。オレは言ってしまうことにした。

「その相手と思われてるのは、実は“お前”なんだ」

《どういうこと?》

 その問いかけはすぐには出てこなかった。無理もない。ショックが大きすぎたのだろう。電話の向こうで言葉を失っているジョゼに、オレは今朝あったことを全部話して聞かせた。妻ともめたことの経緯をありのままに。またどこかで見られているかもしれないということも。

《どうしてそんな風に見えたんだろう……》

 くぐもったその声から、電話の向こうで頭を抱えて苦悩するジョゼの姿が目に浮かんだ。

《直接会えないかなぁ、奥さんと。会って話せばわかってもらえる気がするんだけど》

 ジョゼに会ったら妻はどんな反応を示すだろう。取り乱すだろうか。

 それとも看過してくれるだろうか。かけてみるか……

 頭の片隅にある思考が過ぎった。これに成功すれば、妻はもう余計な詮索などしてこないかもしれない。一度信じさせてしまえばこっちのものだ。

 それは悪魔の囁きだった。オレは妻を騙そうとしていたのだ。

「分かった。じゃあ、今晩妻に話してみるよ」

 そう言って、二言三言会話してから通話を終えた。







「メーガン、話があるんだ」

 夜勤務先の病院から帰宅すると、すぐにオレは妻に話を持ち掛けた。彼女はキッチンに立って夕飯を作っている最中だった。

「今、夕飯の支度をしてるから、後でいい?」

 彼女は作業しながら顔を軽くこちらに向けて言った。訝る様子はなかった。オレは書斎に行って鞄や荷物を置き、ついでにベビーベッドで眠る娘の顔も覗いてから食卓に着いた。肉や香辛料やらの香ばしい夕餉の匂いが食欲を刺激した。今晩は妻が得意な鶏腿肉のハーブ焼きだ。手の込んだ特別な感じがする料理だが、度々彼女は苦もなくこれを作っていた。この日も特に意味があって作ったわけではないだろう。それ以外に卓上に並んだ品目を見てそう思った。その中に特に変わったものは存在していなかった。ガラス製の皿に盛られたキウイとブロッコリーのサラダ。オニオングラタンスープなどが並んでいた。

「ちょっとチキン食べてみて、今日のはしょっぱくなっちゃったかもしれないの」

 妻に促されて、オレはアルミホイルで持ち手をくるんだチキンをかじった。

「どう?」

 ある程度咀嚼してからオレは答える。

「丁度良い」

 いつもの味だった。数種類のハーブの柔らかな香りが口内に広がる。

「そう、良かったぁ」

 妻は安堵の笑みを浮かべたが、オレはぽつりと付け足した。

「でも少し味が濃いかな」

「やっぱり」

 妻が嘆息混じりにそう呟き、がっかりとしてしまったのでオレは言い直した。

「大丈夫だよ。塩味が利いてて美味いから」

「駄目よ~、塩分を取り過ぎてあなたが成人病にでもなったりしたら困るわ」

「大丈夫だって、ふだん君が食事に気を使ってくれてるからこれくらい」

「う~ん……」

 妻は子供みたいに唇を曲げた。それがおかしかったオレは軽く笑った。


 なんでもない日常の風景。

 とりとめもない会話の一コマ。

 普通の世界“Ordinaly world”


 これからオレ達はどこへ行くのだろう。どんな道を辿るのだろう。どんな運命が待ち受け、どんな結末を迎えるのだろう。

 それはこんななんでもない普通の世界なんだろうか。

 オレは今、あまりにも非現実的な世界へと繋がっている扉の前に立っている。その向こうにどれだけ道が続いているのかも分からない。開けた途端真っ逆様に転落していくかもしれない。光の差さない絶望の淵へと。


 オレはその扉のノブに手をかけた。それを捻って扉を開けた時、住む世界が変わる。

 どんな世界か……



 料理を終えた妻がようやく食卓に着いた。オレの向かいの席に腰を降ろす。彼女はコップに入れたジンジャーエールを飲んだ。ゆっくりと喉を湿らせるように。


 今ならまだ間に合う。

 言わずに済ませることができる。

 扉を開けなければ……


「話って何?」

 妻の問いが先だった。

 無情の鍵。それが鍵穴に差し込まれた。

 妻もその扉を開く権利を持っていた。

 いや、最初から彼女が鍵を持っていて、彼女はいつでもその扉を開けられたのかもしれない。だがルールとして、オレに許可なく開かなかっただけなのかもしれなかった。

「ああ」

 オレは舌で少し唇を湿らせてから言葉を紡いだ。

「今度“ジョゼ”に会ってくれないか?」

 それを聞いた妻は口に運びかけたフォークを宙に浮かせたまま停止した。こちらに向けた双眸が感情を表さない無機質なガラス玉となってオレの顔を見詰める。

「会ってどうするの?」

 やはりそうきたか。オレは腫れ物に触れるように、相手を刺激しないようにと慎重に言葉を選んだ。

「会って君と話がしたいそうなんだ。“ジョゼ”が」

 曖昧な表現。あくまでもオレから誘っていないと仄めかす。夫婦間の問題を既にジョゼが知っているとなればオレが肩を持ってもらっていると思われてしまう。そうなれば余計に事態は悪化する。妻が聞く耳を持たなくなってしまう可能性があるのだ。

「……」

 妻は訝るようにオレを見た。

「今度の日曜に会えないかって」

 怪しい間を空けまいとしてオレは言った。

「な、いいだろ?」

 声を弾ませて。

「そうね……」

 妻はオレの顔を見詰めながら唸った。

「……」

 オレは極力、表情が深刻にならないように努めた。これは大事な交渉だ。

「いいわ、日曜で」

 妻がそう言って交渉が成立した。


――to be contined――

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