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SECRET LOVE  作者: 雨音れいん
SECRET LOVE
18/32

#17.It comes out

あと数話でこの物語は終了です。最後までお付き合いよろしくお願いします:・(*>▽<*)ゞ・:

 八月のなかば。残暑がまだ続いていた。職場の病院内は冷房が利いていて涼しかったが、一歩外に出ると一瞬で全身が熱気に包まれる。

「……」

 仕事前に入ったトイレの水道で手を洗いながら、鏡に映るどこかやつれた自分に向かってオレは小さな溜息を吐いた。

 憂鬱な火曜。この日は最悪な朝で始まった。



 自宅を出る前。

 寝室のベッドの上で夢の中からオレを起こす妻。簡単な言葉を交わした後、パタパタとスリッパの音を響かせながら彼女はキッチンへと戻っていく。オレは洗面を済ませ外出着に着替えてから食卓に着いた。食前のコーヒーを飲んでいると調理台で作業をしていた妻が振り向き、盛り付けをしたサラダボウルとポタージュの入った皿を卓上に並べた。すでに置かれていたゆでたまごに加えて、カッテージチーズのフルーツサラダとスープが目の前に並んでテーブルがぱっと華やかになる。それからふと横でチンという音が鳴り、妻が作り置きしていたバターロールを皿に乗せて運んできた。真ん中に切り込みを入れてあったそれに妻がマーガリンをはさみ、ちょうどいい具合に溶けている。温めたばかりのパンが乗った二人分の皿をテーブルに置き、ようやく妻はオレの向かい側の席に座った。

 それから二人は静かに食事を進めた。食事をするその空間スペースにはテレビやラジオなどを置いていないので、会話がなければ食器の音がやたらと鮮明に響いて聞こえる。

「ねぇ、あなた」

 妻がジャムの入った瓶の蓋を開け、スプーンでその中身をすくい、ちぎったパンにマーマレードジャムを乗せながら言った。ふいに声をかけられたオレは、ポタージュをすくったスプーンを口に運んでくわえたまま停止した。

「ん?」と目を丸めて妻にうかがう。妻は目を合わせずに、サラダを取り分けた皿にフォークを入れ、カットしたりんごとキウイに刺してから言った。

「今日もまたコールさんと会うの?」

「え……」

 意外な言葉にオレは困惑して目をしばたたかせた。妻はこちらを観ながらサラダを口に運ぶ。リンゴやセロリを噛み砕くシャキシャキという豪快な音がした。それがオレに小さな威圧感をもたらした。

「なんで……?」とオレは狼狽していることを誤魔化すように軽い口調で聞き返した。二杯目のコーヒーをブラックのまま一口すする。にがい、という顔をして気が変わったようにミルクと砂糖を足してかきまぜる。こうやって意図的に表情を大げさに変えていた。

 妻が言った。

「最近仕事の後、頻繁に彼と会ってるじゃない?」

 柔らかな口調。

「そうかな……」

 オレはバターロールをほうばりながら小首を傾げた。以前帰宅が遅れる理由を妻に、

「急患が入ったから」ではなく、

「ジョゼに会っている」と告げたのは……

 それを考えると、彼女の“頻繁に”という表現には違和感を覚えた。

「いつも男の人同士で会って、いったい何を話してるの?」

「何をって……ふつうの会話だよ。世間話とか」

 オレはあはは、と乾いた笑い声を発した。妻は

「そう」とどこか腑に落ちない顔で言った。

「彼、あなたのいる病院によくいらっしゃるの?」

「ああ、まぁ……」

 “定期的”に、とはここでは言わなかった。妻は何かを探ろうとしている――そんな危機感を覚えたため。

「でも、何で?」

 その質問には答えず妻は言った。

「あなたと彼、本当に仲がいいのね? お昼も、それ以外の休憩まで一緒にいたりして」

 疑問符を付ける代わりに妻はオレの顔を覗いた。

「!?」 

 オレはその問いかけに戦慄した。何故そのことを知って……まるでオレたちの行動をどこかで観ていたかのような言い方だ。

 まさか、そんな……

 オレは内心で焦る気持ちを表に出さぬように努力したが、額と掌に冷汗が滲むのを感じていた。

「また今日も彼に会うの?」

 妻が言った。まるで会ってほしくないような言い方だ。

「わからない」

 オレは静かに答えた。すると

「あなた」

 妻は改まったような口調でそう呼び、慈悲を請うような目でオレを見詰めた。オレの中に烈しい緊張が押し寄せる。自分の心音が聴こえてきそうなほど聴覚が研ぎ澄まされた。


 妻が――口を開く。


 言葉が紡がれる――……



「お願い、“彼”とはもう会わないで!」

 感情的な妻の声。

 “彼”……“ジョゼ”と

 その言外の意味を察して、頭の中が真っ白になる。オレは焦点の定まらない目で、茫然と自分と妻との間の何もない空間を見詰めた。

「……」

「……」

 見詰め合う二人。どちらも食事を再開しようとせず、妻はテーブルに頬杖を突きながら、オレはテーブルの上で握った手を落ち着きなく動かしながら、しばらくそんな重たい沈黙が続いた。 

 その沈黙が破れる。オレが先に声を発した。

「どうしたんだメーガン? 君は前にジョゼと電話で話して、いい人だって言ってたじゃないか。それなのになんで“会わないで”、なんて言うんだ?」

「……」

 妻は答えず、だがうろたえるわけでもなく視線をオレの顔に向けていた。その目がしたたかに

 ――“私は知ってるのよ”――と物語っているようで怖かった。

 ふと妻が言った。

「彼を見たの」

「え?……」

 降り始めた雨のひと雫のように、妻の発した声が一瞬耳に届き、一瞬で思考の奥に霞む。幻聴かと疑った。

「今、何て……」

 喉がからからに乾いていた。体は石化したように硬直して、妻から目を逸らせなくなる。まばたきさえもできなくなり。

 妻が真っ直ぐにこちらを見て言った。

「見たの、彼を。――あなたといる所を」

「!?」

 オレは目をみはった。いったいどこで? オレは今までの行動を振り替える。ジョゼと一緒にいた場所――カフェ、ジョゼの家、うちの病院…… 

 オレがそうやって一人で思考の中を駆け巡っていると、妻が続けた。

「驚いたわ。もっとふつうの人かと思ってたけど、随分イメージと違って」

「……」

「彼、すごくハンサムね?」

 妻は微笑した。大袈裟に目を丸くして。その不自然な笑顔で同意を求められて、オレは仕方なく

「まぁ、そうだな」と頷いた。

「あんなに素敵だと、モテるんじゃない?」 

 その後、意味を込めて付け足すように妻は言った。

「いろんな人に」

「……」

 オレは答えられなかった。“そうだな”とは言えない。

 妻はやっと食事を再開し、皿を傾けてサラダの残りをフォークで刺した。食べる合間にしゃべる。

「あなたも好きだった?」

 オレは僅かに眉目を上げてしまった。それが驚愕を顕していた。慌てて取り繕うように軽く笑う。

「ああ、“友達”だからな」と言って。オレはポタージュをスプーンで三口ほどすくい、サラダにも口を付けた。あくまでも自然に。

「でも、もう会わないで」

 断固とした口調で妻が言った。

「だから何でなんだ?」 

 オレは混乱した。眉間に皺を寄せた解せない表情で頭を振る。妻の言おうとしていることは見えかけているのに、はっきりとその訳を彼女の口から聞いていない。そのことに苛立ちを感じずにはいられなかった。首を傾げて溜息を漏らし、もう一度頭を振った。

「会ってほしくない理由は何だ?」

 しだいに語気がきつくなる。

「何が気に入らないんだ……!」

 オレは妻を咎め、最後は溜息混じりにそう吐き捨てた。テーブルに置いていたマグカップに手を伸ばし、冷めたコーヒーを飲み干す。妻は表情を曇らせていた。そのまま沈黙を続けるのかと想ったが、すぐに決心がついたかのように開口した。

「あなたの彼を見る視線が気に入らないのよ!」

「ちょっと待て!」

 声を荒げた妻に驚いて、オレは手で制した。自分自身も落ち着かせるように。

「何のことを言ってるんだ? さっきも言ってたな、あいつとオレがいる所を見たって? いったいどこでそんな……」

 言い終わらないうちに妻の声が前に出た。

「病院よ」

 ……病院?

 オレは呆然として目をみはり、しばたたかせ、心の中と声に出してと両方で呟いた。

「病院で何してたんだ?」

「診察よ」

「診察? どこか具合でも悪いのか?」

 オレは怪訝そうに伺った。懐疑が7、心配が3の割合で。

 妻が答えた。

「ルーシェが熱を出したから病院に連れてったの。でも、出してもらった薬を飲ませたらすぐに熱は引いたけど」

「……」

 オレは表情を曇らせた。無表情で淡々と語る妻を見て唖然とする。

「いつの話だ? 何ですぐに教えてくれなかった!」

「ごめんなさい。心配させたくなかったの」

「……!」

 妻は先週病院へ行ったということを俯いて躊躇う小さな声で言い、謝る所だけはっきりと言った。オレはその態度に苛立ちを感じてかぶりを振った。いや、そのことだけが原因ではなかったのかもしれない。もっと別の……

 オレは目を細め、機嫌を損ねた態度で妻からその脇へと視線をずらした。小首を傾げ、うんざりとした表情で溜息を吐く。――妻と自分に対して。

「今度からは先に話してくれ」

 オレは椅子から立ち上がり、食器を流しへと運んだ。途中で妻が

「後でやるから」と止めた。オレは無言で食卓を後にして、寝室へと足を向ける。ベビーベッドで眠る娘の様子を見るために。

「ルーシェ……」

 愛しの天使がそこにいた。

「パぅパぁ……」

 パパと呼んでくれた。その一言がとても愛しかった。オレは堪らずベッドから娘を抱き上げた。

「愛してるよ、ルーシェ」心の中でそう呟き、娘の頬に頬擦りする。やわらかくて、小さくて、か弱かった。

 ふとその小さな手がオレの顎に触れた。

「ごめん、チクチクしたか?」

 髭の剃り残しが肌に当たったのかと思って、娘のやわらかい頬を軽く撫でてやった。

「?」

 すると娘は不思議そうにオレを見詰めた。ヘーゼルナッツに似た明るい茶色をした両目が飴玉のように丸く輝いている。

「どうしたの?」と問いたげに。

「……」

 オレはそれ以上見ていられなくなった。その汚れを知らない瞳に心の中を覗かれてしまう気がして。

 ごめん……

 心の中で呟いた。こんなにも娘のことが愛しいのに、オレは“彼”に対する自分の気持ちを抑えることができない。だから謝るしかなかった。



 オレは娘をベッドに降ろして上掛けをかけると、仕事用の鞄を持って寝室を後にした。キッチンには戻らずそのまま玄関に向かう。

「仕事に行ってくる」

「待って!」

 ドアを開けようとした時、妻が叫んだのでオレは足を止めた。振り向くと妻が駆けて来た。悲しい表情で何も言わず――

「……」

 彼女はキスをした。彼女が背伸びして、オレの顎の辺りに唇が触れる。そんなことをするつもりはなかったオレは、彼女に合わせて頭を下げてやらなかった。そのせいで。

「どうした?」

 オレはろくに顔も見ず、冷めた声で尋ねた。

「お願い、約束して!……“彼”と会わないって」

 妻は横からオレの体にしがみついてそう言った。

 オレは冷めたように目を細めた。

 妻は泣きそうになりながら、オレに触れている手にぎゅっと力を込めた。

「……」

 オレは溜息を吐いてうなだれた。

「何故そんなに気にするんだ……あいつは男だぞ?」

 彼女の勘に間違いはなかったが、このやりとりに疲れを感じていた。

「あなたの彼を見る目が、“恋人”を見るように愛しそうだった!」

「……っオレがゲイだって言いたいのか?」

 オレは妻を鋭く見据え、憤りを内に秘めた低く静かな声で言った。

 妻が萎縮して肩をすくめる。

「分からない……でも、もう近付かないで!」

「気にしすぎだ。ジョゼとは大学が一緒だったから親しいだけだ。君が考えているような関係じゃない」

「違う! それだけじゃないって、私には分かるの」

 妻は確信を持った目で言った。オレはそれ以上話す気にはなれず、黙殺して自宅を後にしたのだった。



 オレはファイルを片手に診察室へ向かった。

 会わないでと妻は言った。今もどこかでこの様子を見られているかもしれない。

 見えない視線に追われている気がした。

 だから会わないのか? 

「……」

 オレは否定して大きくかぶりを振った。

 無理だ。やっと“彼”と会える環境が整ったのに……無理に決まってる!

 だが、今夜は無理だ。妻にもう気付かれてしまっている。

「手術が入った」と言っても信用してもらえないだろう。

 ああ、ジョゼ。だが、



  今夜、君を抱きたい――……


                                          ――to be contined――

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