#15.Affection and Love feelings
雨期が明け、本格的な夏に入った。風が生暖かい。熱気を帯びていた。迷彩さをかいた薄蒼白い晴天の昼下がり、オレは病院の庭にいた。ジョゼと二人。建物の両側に喬木が並んで植えてある。その緑陰が作る天然のカーテンの下で。
「この前はごめんね」
ジョゼが言った。喬木に茂った木の葉が彼の上に影を落としている。このときの彼は珍しく縁の細い燻し銀のようなアンティークの風合いの眼鏡をかけていた。
危険だ、ジョゼ。また女が寄ってくるかもしれない――!
彼の素顔に近い状態が見れるのはうれしかったが、同時にそれが他人の前にさらされてしまうことが気掛かりだった。
「アビーはあの日バイト先が忙しくなくて、帰りが早くなったらしいんだ。もし帰って来るって分かってたら連れていかなかったんだけど、追い出したりしてごめんね……」
「いや、それはいいが」とオレは首を振った。
「それよりあの娘、大丈夫なのか?」
「あぁ、あの“症状”のこと?」
オレは頷いた。
「うん……」
ジョゼが呻くような声を洩らす。
「あの娘は暴力的な行為を見るとあんな風に錯乱状態になってしまうんだ。酷くなると呼吸が困難になることもある。多分、恋人からの暴力が原因だろう。彼女はそのことにまだ怯えていて、なにげない動作にも反応してしまう。片手を上げる仕草を見ただけで反射的に首を引っ込めたり」
「大変だな」
「あぁ……」
気が重くなるような話だった。あの時、錯乱した彼女を抱き締めたジョゼを見て嫉妬の感情が湧いてきたが、今は同情する気持ちのほうが上昇していた。
いや、嫉妬の気持ちとは別に、というのが正しいだろう。胸中に二つの感情がそれぞれが独立して存在していた。
「時間が解決してくれるといいな」
オレは取って付けたような台詞を言った。ジョゼは素直に受け取り
「そうだね」と小さく微笑した。
「オレは心に傷を抱えている者として、彼女の辛さがよく分かる。時間だけでは解決できない――ということも」
「……」
「今の彼女には誰かの支えが必要だ。オレは彼女の担当医でもなんでもないが、できるかぎり力を貸してあげたいと思う」
何が言いたいんだジョゼ……
意味が仄めかされた語尾のその後に続く言葉を聞くことを恐れ、オレはなかば放心しかけていた。
「――」
「――」
驚愕に瞠った目で見詰めるオレをジョゼは無言で見返した。まっすぐなその目は真剣で、冗談を言っているようには思えなかった。
「ジョゼ、お前……あの娘のことが好きなのか?」
「……」
間があいた。数秒してからジョゼは、「分からない」と静かに答えて首を振った。
「分からない?」
信じたくなかった。認めたくなかった。オレはジョゼに接近して、その肩を鷲掴みにした。
「どういうことだ、分からないって……お前は医者の目であの娘を見てたんじゃなかったのか? そりゃ、お前の専門分野ではないが……」
ジョゼは静かに首を振った。
「それは後になってからのことだ」
予想もしなかった意外な答えが返ってきてオレはますます困惑し、怪訝そうに眉を潜めた。ブリッジを押して眼鏡の位置を直し、伺うように彼のレンズ越しの青い目を見据える。
「最初は弱者を護るような気持ちで彼女に接していた。そこには医者としての意識や義務感よりも、一人の人間として彼女を護ってあげなくてはならないという気持ちのほうが強くあった。――最初はそんな同情から始まった。それから彼女が心を開いたのかは分からないが、自分から暴行の痣を見せてきて、それをオレが治療してやった。その傷口は塞がり、あとは痣が薄くなるのを待つだけになった」
ジョゼはそこでいったん言葉を切り、沈んだ声音で続けた。
「だが、心の傷はまだ癒えていない……それでも彼女はオレにすがることはなく、DVの精神的な後遺症を抱えながらもバイトに励み、懸命に生きている。――その理由を彼女はこう言った。“早くここを出ていくため。本当はここに、あなたは一人で住むはずだったから”と……」
言ってジョゼは瞼を伏せた。
「だけどオレは……そんな彼女を放っておけない」
「……」
心に傷を持つ者同士、お互いの傷を舐めあうというわけか
――澱んだ思考が胸中を満たした。
「あの娘に対して個人的な感情が芽生えたって言うのか?」
オレはそう口に出し、心の中で嘲笑う。それは自分に対するものだったのかもしれない。
――to be contined――