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SECRET LOVE  作者: 雨音れいん
SECRET LOVE
15/32

#14.Abyss of mind

※タイトルは登場人物の少女の名前ではありません。


※登場人物の名前を右のように変更しました→エドワード・ギールグッド

 火曜日、今日はジョゼの出勤日だ。もう時期雨期に入るこの土地の気候は涼しくなって、初春の気候に逆戻りしたみたいだった。この日の空はどんよりとした曇り空だった。それとは対照的に、先程昼休みに入ってジョゼの携帯ケータイにメールしたオレの心は小春うららかな晴れ間だった。白衣のポケットにしのばせた携帯電話の着信が気になる。白衣のポケットに手を突っ込みながら、オレは勤務先の病院の廊下を歩いていた。



 こんな場面は十年ぶりだった。ジョゼと同じテーブルで昼食を食べているオレ。メールの返信が来るより早く、廊下でばったりと彼に出くわしたのだ。それで今こうして院内食堂で食事をともにしている。献立メニューは日替わりでどれもあまりうまくはなかったが、ジョゼがいるだけで味など気にならなくなり、心が満たされる気がした。食事中会話はなかったが、その沈黙さえも愛しい。周りの人間などまるで目に入らない。美しいジョゼ……長い指の何気ない動きのひとつひとつが華麗に映る。コップを握る時、フォークを握る時の動きさえ見入ってしまう。学生時代はストレートだった彼の髪。今は緩いパーマをかけて洗練された印象だ。ジョゼ、あの頃の、学生時代の君より今は魅惑的だ。その“遮蔽物”を外したい。彼の掛けた眼鏡を見てそう思った。オレの好きな透明クリアな青がそこにある。窓枠みたいなそれを外して全貌が見たい衝動が湧き起こる。

「ん?」

 まずい、気付かれたか!? こちらに視線を固定したジョゼを見て、オレは狼狽した。

「どうかした?」

「……あ、いや、なんでもない……あ、そうだ!」

 オレは途中で都合よく思い出した、とばかりに話を切り出した。

「この前カフェで言ってくれなかったこと聞かせてくれよ」

「ああ……」

 ジョゼはそのことか、と苦笑した。目が笑っていなかった。

「コーヒー飲んだらちょっと付き合って」

「あぁ……」

 なんだかオレはぎこちない返事をした。

 また沈黙が戻る。コーヒーを飲み終えるまで会話はなかった。




 食堂を出るとジョゼは正面玄関から屋外に出た。一定間隔で喬木が植えてある開けた敷地に駐車場がある。ジョゼはその一角で足を止めた。

「こんな所まで連れてきて何を話すんだこいつって思っただろ?」

 ジョゼは微笑して言った。抱き締めたくなる繊細な微笑だった。

「……」

 ジョゼは出かけた言葉を飲み込むことを繰り返し、やっとそれを声に出した。

「エドワード・ギールグッドって覚えてる?」

 “エドワード”、珍しくない名前だ。知人にも何人かいる。しかし――

「大学で一緒だった」

 ジョゼが付け足す。

「ああ……」

 ――“あいつ”だ

 オレは青ざめる。嫌な記憶を想起していた。

「そいつがどうかしたのか?」

「うん……」

 ジョゼは言葉を詰まらせた。瞼を伏せて自己欺瞞のような笑みを浮かべる。笑声が漏れた。

「……ジョゼ?」

 オレは唖然として目をみはる。ジョゼは頭を抱えてくしゃっと髪を握り締めていた。

「……!」

 第一声が詰まる。やがてそれは溜め息と同時に喉を降りていった。彼は迷いを払うかのように頭を振る。

「……ごめん、やっぱり駄目だ。酒でも入ってないと言えそうもない……」

 彼はふと腕時計を見た。

「ああ、もう昼休みが終わりだ! ダリル、無駄話に付き合わせてごめんね」

「いや……」

 オレは気にしてないというように短くそう返す。申し訳なさそうに苦笑するジョゼが痛々しく見えた。







 仕事帰りジョゼのうちに寄った。自宅には事前に電話してあり、その際妻は

「よろしく伝えて」と快諾してくれた。ジョゼと妻は、あの事(※エミリーの)があってから電話で会話を交わしたことのある間柄で、妻は彼を信頼してくれているのだ。

 オレの良き“友人”として……


 ジョゼと並んでまたあの赤煉瓦の尖塔に入り、吹き抜けの螺旋階段を上がった。ジョゼが部屋の前で立ち止まり、上着のポケットから革のキーケースを取り出す。その中から一本を選んで玄関の鍵穴に差し込んだ。この前のようにドアノッカーを叩かなかった。

「あのは?」

 開錠してドアノブを捻るジョゼに尋ねた。ドアを開けながらながらジョゼが答える。

「あ〜アビー? 彼女はバイトに行ってる。今日は十時を過ぎないと帰って来ない」

「そうか……」

 いないのか……

 不浄な笑みが顔に浮かぶのをどうにか抑え、オレは部屋に上がった。

 室内の中央にテーブルがあり、黒い革張りのセパレート式ソファーが向かい合わせに置いてあった。オレはその傍らに鞄を置いた。

「ちょっとシャワー浴びてきていい?」

「え……?」

 オレは困惑した。何を言うんだジョゼ!? 勝手に焦り出す。

 ジョゼは困ったような顔をして詫びるように言った。

「オレ、酒に酔うとへろへろになっちゃうから先にシャワーを浴びておきたいんだ」

「ああ……」

 なんだそういうことか。オレは安心したのと、がっかりしたのと半々の気持ちでシャワールームに向かうジョゼを見送る。ぼーっとその背中が、シャワールームに続く脱衣室の扉の向こうに消えるまで眺めていた。



「……」

 ジョゼがシャワーを浴びている間オレは落ち着かなかった。テレビ向きになっているほうのソファーに座ってテレビを観ていたが、内容がまるで頭に入ってこない。そわそわとして仕方なかった。黙って座っていることに耐えられなくなってくる。

 うわっ……! 

 ふいに奥でシャワールームのドアが開く音がした。出てくる、どうしよう? 駄目だぁ〜〜っっ!?

「……」

 オレは胸中で叫びながら、視線はがっちり脱衣室の扉を捕らえていた。

 ――脱衣室のドアノブを捻る音がした。

「……」

 オレはさっとテーブルに手を伸ばし、ジンジャーエールの入ったコップを口に運んだ。テレビを観ていたふりをする。

 ジョゼがこちらに歩いてきた。石鹸の爽やかな香りを漂よわせている。

「少しちょうだい」

 オレのジンジャーエール入りのコップに手を伸ばした。

「……」

 オレは頬にほてりを感じながら尻目にジョゼの手を見る。ドキドキしながら目線を上に移動した。

「?」

 あれ……

 唖然と見詰めるオレを不思議そうに見詰めるジョゼ。

「ん、何?」

「……シャワー浴びたのにTシャツ着てると思って……」

 変なことを言ってしまった! オレは内心焦ったが、ジョゼは気にしていなかった。キッチンのほうへ歩きながら答える。

「アビーと暮らしてるだろ。普段から裸でうろうろしないことにしてるんだ」

「ふ〜ん……女性に対する礼儀か? 紳士みたいだな」

 オレは皮肉を言ってみせた。ちょっとした期待が外れて少し残念だったのですねてみた。

「普通だよ」

 ジョゼは渇いた笑声を漏らした。

 彼は冷蔵庫の中をあさっていろいろ抱えて持ってきた。テーブルにそれらを並べる。

「ごめんね〜オレだけワインで」

 ジョゼはそう詫びて、ワインの瓶をテーブルに置いた。それを自分のコップに半分ほど注ぐと決心したように喉に流し込む。少量だけ残っていた。その後ぼーっとしてから、頭がふらっと傾く。

「大丈夫か!?」

「うん……」

 ジョゼは熱っぽい目で額に手を当てた。

「これで丁度良い……」

 そう言ってコップの残りを呷ると、顔面を覆うように手を当てた。

「これで……話せると思う」

 ロレツは回っていた。顔を上げる。しかし目線は宙に踊った。

「……ふふ」

 また自己欺瞞の笑みだ。その笑声はしだいに膨れ上がっていった。彼はおかしくて堪らないというように顔をくしゃくしゃにさせて笑った。苦しそうに前のめりになる。

「……」

 オレは黙ってそれを見続けていた。

 ――ふと笑いが止む。ジョゼは表情に欺瞞を残して言葉を紡いだ。

「オレ、カウンゼント総合病院に外科手術の代理で入っただろ。あれはオレが勤め先の病院の院長に紹介してもらった仕事だったんだ」

「……」

 オレは驚愕に目をみはった。カウンゼント総合病院とはオレの勤務先だ。紹介してもらったとはどういうことだろう?

 ジョゼが続けた。

「そこに旧友のダリルがいたのは偶然だったけど、わざわざ住居まで移したのは“ある人間”から離れるためだった」

「……」

 エドワード・ギールグッド――その名前がオレの脳裏に過ぎった。

「そのことを院長に相談して一時的に常勤から外してもらった」

「一時的に?」

 その問いにジョゼは静かに頷いた。

「オレはあの病院を辞めたかったんだけど、院長に考え直してくれと言われてやむを得ず留まることに……」

 言葉を詰まらせるジョゼの視線が卓上テーブルに墜ちる。

 顔を上げずに彼は開口した。

「さっき言ってたエドワード・ギールグッドはそこの同僚なんだ」

「!?」

 オレは嫌悪に眉を潜めた。学生時代エドワード・ギールグッドはオレ達と同じ学部にいた。影が薄かったが、ジョゼにちょっかいを出す要注意人物として記憶に残っている。そいつがジョゼと同じ職場にいるだと?――嫌悪せずにはいられなかった。

「ジョゼ……」

 悪寒が走る。全身を暗雲が包み込んだ。

「まさかお前、“あいつ”に何かされたのか!?」

「……」

 憤慨して声を荒げたオレに対し、ジョゼは沈んだままだった。繊細な形をした美術品のような長い指をワインの瓶に伸ばす。

「もう一杯飲んでもいい?」

 その声が蛇口から漏れた僅かな水滴のように小さく響き、激情の熱が冷まされる。

「ああ……」

 感情の起伏が沈静化したオレは静かにそう承諾し、ジョゼの手を止めなかった。

 彼はアルコールを麻酔薬にして、心の癌細胞を摘出しようとしている。抉られる痛みを麻痺させるためにとった手段だろう。必死で何かを吐き出そうとしている。そんな風に見えた。瓶を傾け、コップに柘榴色したワインが注がれる。酒に弱い彼はワインを二杯ほど飲んだだけで酔ってしまう。しかしその彼が、二杯目を飲んでも理性を失わなかった。

 理性の持続は癌細胞の大きさを著わしている。

 彼は少し瞑目して

「じゃあ話す」と瞼を開けてから言葉を紡いだ。

「“彼”が求めてくるんだ」

「?」

 オレは瞠目した。小さな戦慄が胸元をくすぐった。

「……オレは最初その意味がなんだか分かってなかった。それがだんだんエスカレートしてきて……」

 ジョゼは悪夢に(うな)されているかのように、頭を抱えて髪をくしゃくしゃくに握り締めた。

「“彼”って誰だ? エドワード・ギールグッドか?」

「……」

 ジョゼは答えなかった。俯いたまま沈黙に墜ちる。

「……」

「……!」

 その沈黙の刻がオレを苛立たせた。

「エドワード・ギールグッドなんだろ?――あいつに何をされた!?」

 憤慨してオレは声を荒げた。

 ジョゼの唇がゆっくりと開く。

「そう、エドワードだよ。エドワードがオレを犯そうとした。白衣の中に手を入れて下半身を触り……」

「?――」

 何かが弾けた。理性の檻に閉じ込められていた凶暴な猛獣が瞼を開け、ゆっくりと身を起こす。オレはテーブルの上で握り締めた拳を震わせていた。

「どうした、それ以外に何をされた? 他にどんなことをされたか言ってみろ!?」

 歯止めが利かなくなっていた。喉の奥に指を突っ込んで無理やり吐かせるような尋問だった。

「これ以上詳しく言わないといけない? そんなに知りたい?」

 ジョゼは静かに反発の意を示したが、オレはソファーから立上がり、向かい側のソファーに座るジョゼに掴み掛かった。肩を掴んで体を揺さぶる。ソファーが鈍い音を立てて軋んだ。憎悪が込められた掌が、彼の肩を圧搾する。

「何をされた? 身ぐるみをはがされたのか? あんなちっちゃい野郎だ、やばい道具でも使って脅してきたんだろ!?……」

「キャー―――――!?」

 そこへ若い女性の悲鳴が上がった。オレ達は視線を向け

「アビー!? なんで今……」

 唖然としてジョゼがそう呟く。玄関の前に少女が佇んでいた。アイラインで囲んだ目が驚愕に見開かれ、さらに大きく見える。瞬きせずに見詰める瞳は怯懦の色に染まっていた。

「違うんだ、アビー。ちょっともめてただけだけなんだ!」

 ジョゼは慌てて説明し、場を沈めようとするが

「……」

 少女は依然として目を見開いたまま、体の震えが激しくなっていく。恐慌がピークに達し……

「いやあああぁぁぁああ――――――っっ!」

 断末魔のような絶叫を迸らせた。

「っ……」

 堪らずジョゼがオレの腕を振り払って立ち上がり、アルコールが残った体で少しふらつきながら少女のもとへと駆け寄った。

「大丈夫だ。なんでもないから……」

 少女の華奢な肩に手を載せて、柔らかい声音でそう諭す。彼は少女に触れたまま、顔だけこちらに向けて言った。

「ダリル、悪いけど今日は帰ってくれ。このは強い衝撃を受けると今みたいに錯乱状態パニックに陥ってしまう傾向がある。これ以上刺激を与えないほうがいい。だからごめん、今日はもう帰ってくれ。この娘を休ませてあげないといけない」

「分かった……」

 オレは静かに言って自分の鞄を手に取った。踵を返し、尻目に二人の様子を見やる。二人の関係を猜疑する気持ちが浮上したが……


   ジョゼは永遠に誰の者でもない――

   

    “オレ以外”の。


 傲慢な自己暗示をかけて、オレはそこを後にした。



                                          ――to be contined――

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