表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
SECRET LOVE  作者: 雨音れいん
SECRET LOVE
12/32

#11.The last letter

 目覚めた時オレは病室のベッドの上にいた。そんな目覚め方をしたのは初めてだった。頭の中が見上げた天井と同じ白色になる。傍らにはオレの手を握る妻の姿があった。

「よかったぁ……」

 彼女は溜息とともに肩を落とした。ほっとしたような笑みが零れる。

 オレはベッドから身を起こし、状況を把握しようとした。呆然とするオレに妻が言う。

「あなた昨日、患者さんの家で倒れてたのよ」

「……」

「彼が教えてくれなかったら、何も分からなかったわ。話を聞いてすぐ病院に電話したら、患者さんから掛かってきた電話に出た後、あなたが急に血相変えて病院を出て行ったって言うじゃない。それで慌てて患者さんの家に行ったのよ。そしたらあなた達が倒れてて……」

 彼女は事務の人間に知り合いがいる。エミリーの住所はその人間に聞いたのだろう。

 話を聞くうちに昨日の記憶が蘇り、オレの双眸はみるみる広がっていった。

「それで“彼”って誰のことだ?」

 伺う眼に力が入り、全身には冷汗が滲む。

 妻は答えた。

「コールさんよ」

「……コール?」

「そう、あなたとは大学の同級生なんですってね」

「……」

 オレはごくりと唾を飲んだ。待て、何故……

「ちょっと待て、状況がよく飲み込めない。何故君がジョゼのことを知っている!?」

 動揺して声が僅かに掠れた。固唾を飲んで妻の回答を待つ。

「……」

 妻は意味あり気に間を空けた。そしてこちらを真っ直ぐに見据えて言った。

「あなたの携帯電話ケータイの発信履歴を見て知ったの。かけてみたら彼が出て……」

「人のケータイを勝手に覗き見したのか!?」

 信じられない、とオレは顔をくしゃっとさせて頭を振った。だが、どうやって見たというんだ。オレはケータイを暗唱番号でロックしているのに……あ、だが前にメール画面にしたまま閉じていて、“操作中”になっていたことがあったな。……その時かもしれない。その時に運悪く見られたか……あぁ、最悪だ!

「だが何でオレのケータイを勝手に覗いた?」

 オレは苦悩に嘆く表情から切替えて、鋭い視線で妻の顔を見据えた。すると妻は答えた。

「気になったの。あなたが浮気してるんじゃないかって」

「浮気?」

 失笑気味にオレはそう返す。妻の答えは、いつか言われると予測していた台詞だった。そう言われた時の自分の反応も頭の中に思い描いていた通りだった。

「でも、ただの勘違いだったみたい。ふふっ、気にし過ぎよね」

 小さく笑った妻を見て、オレは内心鼻白んで苦笑した。否定の言葉とは裏腹に、彼女の目に映った疑念の色を見て。

 が、それは一瞬のことだった。すぐにはっとして切り出す。

「それより、あのは……オレと一緒に倒れていた女の子はどうなったんだ!?」

 性急に問い質したオレに、妻は

 ――静かに頭を振った。

「そんな」

 ――――――嘘だ――――――……


 現実の受け入れを拒み、その言葉の意味を否定しようとする悲しい叫びが、頭の中で虚しく木霊した。

「オレのせいで……!」

「違う。あなたのせいじゃないわ」

 オレのせいだ。

 妻の言葉は慰めにはならなかった。オレはエミリーを死なせてしまったんだ!

 あの時気付くべきだった。彼女がキッチンへ行った時、そこに危険があることを。キッチンには普通調理器具が置かれている。その中に包丁かナイフが入っているはずだ。彼女にその刃物を握らせてはいけなかった。一人にするべきではなかった。

 キッチンからなかなか戻って来ない彼女を不審に思った時、何故確認しに行かなかった? リストカットするかもしれないと、何故疑わなかった? 彼女が電話で告知してきたのは、最終手段だったんだ。オレがプライベートでは会わないと言ったために、彼女は自分が患者になればいいと思ったんだ。だからあんな宣言を……

 あれは彼女の心のメッセージえだったんだ!

 傷付いた彼女の精神状態が不安定になれば、よからぬ行動に走る可能性があることぐらい分かっていたじゃないか。それなのにオレはうつつを抜かし、すっかり他のことに気を取られていた。

 オレは苦悩して頭を抱えた。それを案じた妻が、そっとオレの背中に手を回す。

「あまり自分を責めないで。あの娘は、きっとあなたを試したかったのよ。命を懸けて、あなたが来てくれるかを」

「試すだけなら何故死ぬ必要がある!? オレは彼女に呼ばれて家に行ったのに……!」

 妻の憶測にオレは苛立ちを露にした。その矛先をぶつけるように吐き捨てる。

 オレはあのを救うどころか、死へと導いてしまった。医療ミスなんかよりもっと質が悪い。あの娘の症状と行動パターンを把握している人間なら、誰でも予測できた行動への注意を怠った。彼女の存在を軽視してしまったんだ。

 オレは医者として

 いや、それどころか人として失格だ!

「……っっ」

 オレは呻き声を上げ、頭をくしゃくしゃに掻きむしった。自分を消してしまいたい。昨日のことを消去したい。全てなかったことにしたい。

 まるで逃げ場を失ってもがき狂う、罪人の気分になった。

「あなた、落ち着いて」

「うるさい!」

 宥めようとした妻を怒鳴って一蹴する。そんなオレを妻は、気の毒そうな目で見詰めた。

「出て行ってくれ!」

「……」

 そんな目で見るな!

 オレは視線を避けるように俯き、ベッドの上で膝を抱えてうずくまる。すぐに出て行こうとしない妻に、今度は力無く吐き捨てた。

「一人にしてくれ……」

 するとようやく妻は病室から出て行った。




 精神科で使用する強めの精神安定剤を服用してから、オレはやっと落ち着きを取り戻すことができた。今はある場所へと向かっている所だ。

 エミリーの治療に携わった看護師の話では、搬送時のエミリーは飲酒していたということだった。彼女はあの後酒を煽ったのだ。それにより血行が高まり、出血量が増えてしまった。さらに飲んだ酒は度数の高い酒で、心臓に強い負担がかかってしまった。それらの条件が重なって、身も心も蝕まれてしまった彼女は帰らぬ人となってしまったのだ。

 オレは一人廊下を進んでいく。片手には鍵を持っていた。向かった先は霊安室だった。エミリーと対面するために。知り尽くしていた院内の廊下(みちのり)は短かった。オレは決意とともにその扉を開け、対面の瞬間が訪れた。

「……」

 何故だ――

 その声は口から零れていたかもしれない。オレは寝台に仰向けに寝かされたエミリーを見下ろして、心の声で問い掛けた。

 どうしてなんだエミリー、何故オレに睡眠薬を飲ませたりしたんだ。眠ってしまったら助けられないじゃないか。あの状況でオレを眠らせてしまったら、いったい誰が君を救えるって言うんだ! 

 君は言ったじゃないか。死んでしまったら会えなくなる。だから死ぬつもりはないと


 なのにどうして……


 分からなかった。彼女はリストカットの常習者だった。不謹慎な言い方だが、どれぐらいなら死なないか、その加減も分かっていたはずだ。それにいつも意識を失う前に、自ら救急車を呼んでいた。それが何故、あの時はそうしなかったのか。消えゆくオレの横に身を寄せて……


 死ぬつもりだったのか?


 手に入れられぬと分かり……


 それほどまでに君は――


 君は愛に溺れていたというのか?


 なんてことだエミリー。

 オレも君と同じだ。愛に溺れた迷える魂だ。死を選択することこそないが、君の行為を非難することなんてできやしない。

 だが、こんな結末はあんまりだ! 君は死んではいけなかった。死んだら全てが終わりなんだ!

 あぁ、今になってオレは分かったよ。あの時のジョゼの気持ちが。学生の頃、ジョゼの彼女が死んだ時、オレは言った。


『彼女は死ぬ前に幸せになれたんだ。悔いを残して死んでったんじゃない――“意味”は、あったんだ』


 あんなのはただの綺麗事だったんだ。死に方がどうであっても、死んだらやはりそれでお終いなんだ。いずれ関わった人々の記憶からも薄れていく。

 エミリー、君はあの子のような病気ではなかった。君は選択ができたんだよ。新しい恋をすれば、失恋も過去の出来事になる。笑い話にさえもできたかもしれなかったんだよ……

 君にそのことを教えてあげればよかった。







     ――12.25――


 白色の空が氷点下の寒気をもたらし、道行く人が寒さに肩を竦める。その中にいて足取りを軽くさせるのは、クリスマスを祝う家々やその他の建造物、町並みを飾るイルミネーションなどが作り上げる幻想的な空間の演出効果だ。ある民家の大窓からは、直径2メートルはあるかと思われる巨大なモミの木が見える。それに巻き付けた赤、青、黄などのカラフルな電球が、点滅してはグラスボールやベル、杖、キャンディ、くつしたなどのオーナメントを照らす。どこからともなく聞こえてくる音楽は、賛美歌や定番のクリスマスソングだ。その雰囲気に掻き立てられ、弾む気持ちを鼻歌にする者もこの日は珍しくない。祝福の日だ。街中がその空気に満ちていた。オレはこの日休暇を取っていて、家族との時間を過ごしていた。

「あなた、これ……」

 ポストを覗きに行っていた妻が庭先から戻ってきた。その表情と声に不安の色が見えた。居間でストーブに当たりながら、赤ん坊の娘を抱っこしてあやしていたオレは、そちらに顔を向けた。

 妻が歩み寄る。そして一通の手紙を差し出した。差出人の名を見てオレの表情は固まった。

 “エミリー”

 そこにはそう記されていた。

 “あの”エミリーから?

 そのことが脳裏に過ぎり、動揺が生まれた。彼女は二週間ほど前に亡くなっているのに……

 傍らから妻が心配そうにその様子を窺う。オレは妻に娘を預けて椅子から立ち上がると、その手紙を持って奥の部屋に移動した。机の引き出しを空けてペーパーナイフを取り出す。その刃先を封筒の隙間に差し込み、慎重な手付きで刃を横に引いた。開いた封筒の中には、きれいに折り畳んだ一枚の便箋が入れられていた。オレはそれを取り出すと、その書面に吟味するような視線を注いだ。



 先生へ


 この手紙が届く頃、あたしはもういなくなってるんだろうな。先生が警察に疑われてたら可哀相だから、これを書くことにしました。ここにあたしの気持ちを全部打ち明けます。

 あたし、本当に先生のことが好きだった。先生は、あたしが一番大好きだった人に似てたから。

 あたしはその人と約束してたの。大きくなったら結婚するって。

 でも彼は、よその女の人の所へ行っちゃった。すごく大好きだったのに、よその女の人と結婚しちゃったの。

 初めてリストカットしたのはそうなる前。二人の最悪な現場を目撃した時……

 二人とも死んじゃえばいいと思った。

 汚いと思った。

 でも、それより自分が死にたくなった。

 それで手首を切ったの。死んだらあの人は悲しんでくれるかな? って泣きながら。

 そしたら、だんだんその人のことが堪らなく愛しくなってきて

「大好きだよ。大好きだよ」って、心の中で叫んでた。

 訳分かんないよね? それがリストカットを始めたきっかけ。

 それから病院で意識が戻って、先生を見た時は本当びっくりしたよ。あの人に似てたから……

 おかしかった。助けてくれたお医者さんが、リストカットの原因を作った人に似てるなんて。

 神様に悪戯されたのかな? だとしたら笑えるよね? 神様って実はとってもユーモアがある人なのかも。

 でも、うれしかった。似てる人でも会えてうれしかった。それがチャンスなんだと思った。この人の恋人になりたい。それならもう条件なんか気にしない。他人の物だっていい。あたしの愛を受け止めてくれるなら、すぐに好きになってくれなくてもいい。いつか好きになってくれたら、それまで待つから。そう思った。

 でも、あっさりふられちゃった。

 そういう運命だったんだね。

 でもあたし、先生に会えて良かった。先生に恋してから、すっごく楽しくて、幸せだったから。

 でも哀しいよ。恋が終わったから……

 終わったけど、忘れられない。だから、こうしたの。これがあたしの恋の完全な終わらせ方。

 こうするしかなかったの。先生のことを好きな気持ちを消去するには、この方法しかなかったの。

 だからって、自分のせいであたしが死んだなんて思わないでね。どうか、自分を責めないで……

 あたしは先生に恋して、たくさん幸せもらったよ。だから感謝してるの。先生は何も悪くないから。

 今まで迷惑かけてごめんなさい。さようなら。

                                                     エミリー



 オレは手紙を読み終えると、便箋を広げたまま静かに瞼を閉じた。


 エミリー、君はやはり心に傷を抱えていたんだね。これを読んで、ようやくそれが何か分かったよ。君は打ち砕かれた愛を諦めきれなかった。オレにその幻想を重ね、だがそれも叶わなかった。行き場を失った君の心は、存在意義をも見出せなくなり死を選んでしまった。そして一度失いかけた命を取り止めた君は変わった。愛されることよりも、愛を与えることを強く望み。誰かを愛し続けたかった、そうすることで愛を育んでいきたかった、そうだろ?

 この手紙を読んで、その弱さが伝わってきた。

 エミリー、オレはもう君のしたことを責めたりしない。だから君も、自分を責めないでくれ。何も背負うことはない。オレのことは心配せずに、安らかに眠ってくれ。オレは君のことを記憶の中に刻み込む。君がいたことを決して忘れはしない。忘れないように……

 無意識にオレは立ち上がっていた。


“あの歌”を聞かなくては

『祈り』を……


 導かれるようにオレの足は“それ”を求めて進んでいく。ダウンジャケットを羽織り、財布をポケットにしまった。

「どこ行くの?」

 居間に出ると妻が振り向いた。立ったまま娘を抱っこしながら、不安そうにこちらを窺っている。

「ちょっと出てくる」

 オレは立ち止まらずにその前を通り過ぎる。

「ちょっとって……!」

「すぐ戻ってくる」

 無表情で言って、オレは自宅を後にした。




                                           ――to be contined――


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ