第9話:商会
「ここがロアの働いている商会か」
邪竜の末裔ロアと出会った次の朝、リースは早速、ロアを雇っている街の商会に来ていた。
道行く人々が、巨大な黒剣を背負った美しい少女に好奇の視線を送っているが、リースは気にも留めていない。
『おい? 今日は座学ある日だろ? 初日からサボっていいのかよ?』
「大丈夫だ。どうせ聞いても分からん」
『全然大丈夫じゃねえだろ、それ』
「マリマリに後で教えてもらえば問題ない」
ルームメイトのマリマリは、体力は無いが座学に関してはかなり優秀な成績である。
頼れるルームメイトの頭脳を信じ、リースは初日からボイコットを決め込んでいた。
「しかし、街並みも随分と変わったものだ」
商会に向かう途中、リースは物珍しさに街中をきょろきょろしながら歩いていた。
自分が知っている五百年前に比べ、街は随分と整然とした様相になっていた。
大通りは石造りのしっかりした建物がきちんと並んでいるし、道路の舗装だってされている。
「何より、他種族がほとんどいない」
リースからすれば、街並みよりもその方が驚きだった。
かつては、豚の頭を持つオークの戦士や、ゴブリンの闇商人、エルフ……様々な種族が街を闊歩していた。当然、価値観も違うので衝突する事も多く、街は混沌としていたが、それ以上の活気があった。
だが、現在、街を歩いているのはほぼ全てが人間だった。
ごく稀にエルフを見かけるが、人と姿のかけ離れた種族ほど数が少ない。
オークやゴブリンに関しては皆無だ。
「人間至上主義というのは本当なのだな」
『まあな、他の連中は嫌気がさして出て行っちまったとか、裏でこそこそ暮らしてるぜ』
「そうか……」
リースからすると、種族よりも重要なのは個々の能力と性質だと思っているのだが、どうもその認識は現代では変わってしまったらしい。なんとも言えない寂寥感を覚える。
そんな事を思いながら、リースが商会の門の前で待っていると、目当ての人物――いや、竜が現れた。
「また会ったな。ロア」
「あ、あれ? り、リースなんだな。お、おはようございますなんだな」
「私に対して敬語を使わなくてもいい。今日は、お前の顔を見に来ただけだ」
「お、オラの顔? べ、別に面白くも何ともないと思うけど」
ロアは不思議そうに巨大な首を傾げた。
向こうからすると、何故リースがこんな所に来たのか理解出来ないのも無理はない。
「いや、邪竜の末裔の仕事ぶりが気になってな」
「そ、そうかぁ……だども、オラが使ってる道具を見せるくらいしか出来ねえけども」
「構わない。案内してくれないか?」
リースの頼みをロアは快く受け入れ、門を抜け、リースを連れて商会の中を案内してくれた。
敷地はかなり広く、いくつかの建物と倉庫、そして運送用の馬車と、それを引く馬小屋がある。
歩いている途中、ロアはリースに対し、どもりながらも説明をしてくれた。
この商会は仕入れと配送を同時に行っていること。
そして、自分はその中で、ヴィクトワール学園の配送のみを担当していること。
「お、オラ、頭よくないから商売とか出来ないし、れ、レーヌ様の学園に届けるだけが仕事なんだな」
「だが、あの量をいっぺんに運べるのはお前しかいないだろう。大事な仕事だ」
何せ、大量の寮生たちを養う資材をたった一度で運ぶのだ。
ここにある馬車を大量に使い、何往復もするような仕事量である。
それを一気に片付けるのだから、並外れた力と言えるだろう。
「へ、へへ……ほ、褒められたんだな。お、オラ、あんまり褒められ慣れてないから、て、照れるんだな」
リースの賛辞に対し、ロアは照れ臭そうに頬を掻いた。
だが、リースは逆に眉を顰める。
「褒められない? これほどの仕事をこなす竜が?」
「し、仕方ないんだな。お、オラの爺さまは悪い竜だったんだな。だ、だから、オラもいい扱いはされないんだな」
「……まさか、給料を貰っていないというのではないだろうな?」
「そ、それはないんだな。み、みんなの半分くらいはくれるんだな」
そこまで聞くと、リースは不意に足を止めた。
「ロア、一つ尋ねたい。ここの商会の管理者の居る場所はどこだ?」
「え? あ、あの中心にある、で、でっかい建物なんだな。お、オラは身体がでかいから入った事ないけど」
「そうか。すまない。少し用事が出来た」
「え? で、でも、オラの使ってる道具を見に来たんじゃないのか?」
「違う。お前の扱いを見に来たのだ。そして、不当である事が分かった」
そこまで言って、リースは一呼吸置いてロアを真っ直ぐに見つめる。
「だから、私が直談判してきてやろう」
◆ ◆ ◆
商会は仕入れと、頼まれた物を配達先に届けるのが主な仕事だ。
朝は特に積みこみや道具のチェックで慌ただしい。
だが、今日は別の意味でざわついていた。
「あのなあ、ここは遊び場じゃねえんだぞ? お嬢ちゃん」
魔剣ヴィクトワールの持ち手が現れ、商会長を出せと言われたので出てきたら、幼女だったので商会長はずっこけそうになった。一体どんな傑物かと思ったら、まさかこんなチビだとは。
「遊びで来ている訳ではない。私はロアの不当な扱いに異議を申しに来たのだ」
商会の大男たちに囲まれているというのに、少女は全く怯まずそう言いきった。
リースからすれば、恐れる相手でないのは当然だが、男たちからすれば、虚勢を張っているか、あるいは恐れ知らずの無知な子供としか取っていないようだった。
魔剣の使い手と聞いて恐れていた商会長も、あからさまに気だるげな応対をし始めていた。
「ロア? ああ、あのボンクラ竜の事か。お嬢ちゃんは知らないかもしれないが、あいつは昔、世界を支配しようとした邪竜の孫らしいぞ?」
「知っている」
そんな事はリース自身がこの場の誰よりも知っている。
ただ、ロアが邪竜ニーズヘッグの子孫である事はやはり周知の事実らしい。
邪竜の恐ろしさが分からないというのは、リースからすると逆に恐るべきことなのだが。
「なら話は早い。確かにあいつは力は強い。でも、それだけだ。物を運ぶ事しか出来ないし、物覚えも悪い。学園から要望が無けりゃ、あいつに仕事を頼む事も無い」
「嘘をつけ。あれだけの荷物を運ばせているのに、安く使いたいだけだろう」
「ああ、そうさ。だがな、お嬢ちゃん。あいつは邪竜の孫なんだよ。だったら生かしてもらってるだけでも感謝しないとな」
「ロア自身に罪は無い。私はただ、正当な働きに正当な報酬を出して欲しいと思っているだけだ」
リースの過去世は、現代に比べて確かに粗暴な時代ではあった。
だが、種族の垣根はなく、あくまで個人で判断されていた。
報酬は何も金銭だけではない。名誉や達成感……自己満足で済むものも多かった。
だが、ロアは何も得られていない。
レーヌは言っていた。
時代が変わっても、変わってはいけないものがある、と。
リースからすれば、まっとうな働きをする者に、まっとうな報酬を出す事は絶対に変わってはならないものだ。
「だから正当な報酬は払ってるだろう。邪竜には過ぎた報酬だ。それともあれか? お嬢ちゃんも亜人だから、異種族に肩入れするのかい?」
商会長がそう言うと、周りで聞いていた人間達が笑いだした。
亜人――人間もどきという表現だ。
だが、嘲笑されてもリースの表情は変わらない。
「つまり、これ以上ロアに報酬を払う気は無いのだな?」
「そういうこったな。さあ、お嬢ちゃん。とっとと学園にでも帰りな。あと、二度と俺のいる場所の門を潜らないほうがいいぞ。大人だから子供相手で見逃しているが、次はどうなるか分からないからな」
馬鹿にしても一向に表情を変えないリースに苛立ったのか、商会長を始めとする他のメンバーがにじり寄る。魔剣を持っていても所詮は少女。大の男に囲まれては怯えざるをえないだろう。そう考えたらしかった。
「……分かった。二度とこの建物の門は潜らない」
そう言い残し、リースは商会長のいる建物から出ていった。
表面上は顔色を変えなかったが、やはり怯えていたのだろうと、商会の人間達は鼻で笑った。
「り、リース、だ、大丈夫だったんだな? い、いきなり商会長の所に行くから、び、びっくりしたんだな」
建物の外では、ロアが心配そうな表情でリースを待っていた。
荒くれ者の多い中、一人で飛び込んでいった少女の事を思うと、気が気では無かったようだ。
「お、オラのためにリースが商会長の所に言ってくれたのは、す、すごく嬉しいんだな。で、でも、無茶はしないで欲しいんだな。お、オラ、リースが危ない目に遭うのは嫌なんだな……」
「ロア、少し離れていろ」
「えっ?」
『あーあ、あの商会長。やっちまったな……俺は知らねぇぞ』
ヴィクトワールは、嘆息するようにそう呟いた。
◆ ◆ ◆
その頃、商会長を始めとする何名かのメンバーは、尻尾を巻いて逃げ帰ったリースに悪態を吐いていた。
「これだから亜人ってのは嫌なんだ」
「全くですよ。あいつら人間の常識を知らな……ぶふぉ!?」
一人が商会長に相槌を打とうとしたら、突如、壁が粉みじんに砕けた。
レンガ造りの頑強な建物にぽっかりと穴が空き、飛び散った瓦礫がぶち当たった数名は、完全に伸びていた。
「よし、前よりも力加減が出来るようになったな」
意味の分からない事を呟きながら、土煙の中から現れたのは、先ほど出ていったハーフエルフの少女、リースだった。鞘から抜かれた巨大な大剣を両手で握っている。
「な、な、ななな!?」
商会長は尻もちを付きながら、ありえない光景にただ口をぱくぱくさせていた。
大の男たちがぶっ飛び、壁に穴を開けたのは年齢二桁いくかいかないかの少女。
「二度と門を潜るなと言われたのでな、壁を壊して入らざるを得なかったのだ」
リースはそう言って、両手でヴィクトワールを重そうに持ちながら、へたり込んでいる商会長に漆黒の切っ先を突きつける。商会長の口から、ひぃっ、という情けない声が上がる。
「さて、もう一度聞こう。ロアに対して正当な対価を払ってくれるかな? ああ、ちなみに一つ言い忘れていたが、今日断られたら明日も来て壁を壊すかもしれない。亜人は人間より劣っているらしいから、物覚えが悪くてな」
リースは淡々と、それでいて有無を言わさぬ口調でそう答えた。
大車輪は充分なスペースと時間が無いと使えないので、ヴィクトワールを両手で突きつけているのはいわばハッタリなのだが、壁の向こうで剣を必死にぶん回していた姿を見ていない以上、商会長からは、剣の一振りで壁を砕いたように見えただろう。
そして、魔剣の威力は語るまでも無く、この惨状を見れば猿でも理解出来る。
「わ、わかった! ロアには働きに応じた報酬を払う!」
「本当だな? 嘘を吐いた場合は……分かっているだろうな?」
リースはそう言って、剣を床に突き立てる。
演技でもあるし、単純にこれ以上持っているのがつらいというのもある。
「わかってます! わかってますから! ろ、ロア! お前も聞いてただろ!?」
先ほどまであれほど傲慢だった商会長が、助けを求めるように、壁の空いた穴の向こうにいるロアに視線を向ける。ロア自身に証人になれという事だろう。
「え、き、聞いてたけど……ほ、本当にオラもみんなと同じでい、いいんだな?」
「いいに決まっているだろう。なあ、商会長殿?」
リースがそう言うと、商会長は首をがくがくと縦に振る。
「だ、そうだ。よかったな、ロア」
リースは綺麗な白い歯を剥き出し、にかっとロアに笑いかけた。
「へ、へへ、えへへ、あ、ありがとうなんだな、リース」
ロアも、リースに引っ張られるようにして鋭い牙の並んだ歯を見せて笑った。
こうして、商会はロアに対し、正当な対価を払う事になった。
それはそれとして、座学初日からのサボり、街中で剣を振るった事、商会の壁をぶっ壊した事、さらに怪我をした商会メンバーに対する慰謝料という四連パンチにより、リースはレーヌにめちゃくちゃ怒られた。