第4話:厨房
「改めてご紹介いたしますね。私はマリマリ。リースさんと同じハーフエルフで、それに同じクラスです。まさか部屋まで一緒になるとは思ってませんでしたけど」
マリマリと名乗る三つ編み丸眼鏡の少女はそう自己紹介をした。
先ほどリースにいきなり襲いかかられたが、特に気にしている様子はない。
「私の名はリース……らしい。ちなみに、私も驚いている」
リースもマリマリに名乗る。
冷静に考えれば、二人分の生活用品があるのだから、同僚がいてもおかしくない。
ただ、そこまで気を回している余裕が無かったのだ。
「あ、あの……実は私、ずっと一人でこの部屋にいたので、二人暮らしって経験が無いんです。色々とご迷惑かけちゃうかもしれませんが……その、よ、よろしくお願いします」
「いや、こちらの方が多分迷惑を掛けるだろう。というか、既に掛けているしな」
そう言ってリースは頭を下げた。
反射的とはいえ、本来の部屋の主をねじ伏せたのは反省すべきだ。
何より、元の性別を考えると、女性として問題があるのは自分の方だ。
頭を下げたリースに対し、マリマリは慌ててベッドから立ち上がる。
「謝らないで下さい! リースさんは魔剣に認められた特待生ですよ? それに、すごく可愛いし」
「か、可愛い……だと?」
「は、はい。すごく可愛いと思います」
その言葉が今のリースに一番ダメージを与えるのだが、マリマリは気付いた様子はなく、拳を握りながら熱弁する。
「あと、ハーフエルフなのに、全然物怖じしないのもすごいなぁって思いました」
「ん? ハーフエルフだと物怖じせねばならんのか?」
「え? あ、そ、そうですよね。リースさんは私とは全然違うから……」
「言っている意味がよく分からんぞ」
リースは首を傾げる。ハーフエルフだったら何が悪いというのだろう。
五百年前に自分が生きていた時は、皆、あまり自分の種族に固執していなかった。
たとえば、子鬼と呼ばれる種族で構築された傭兵団と共闘した事もあったが、人間には出来ない能力をたくさん持っていた。敬意こそあれど蔑視する気は毛頭ない。
(そういえば、レーヌも、元のリースがコンプレックスを持っていると言っていたな)
この数百年で何か事情が変わったのだろうか。
ただ、その辺りをマリマリに聞く気にはならなかった。
彼女の態度を見ていると、どうも楽しい話題では無さそうだ。
「ところで、ルームメイトになるにあたって提案があるのだが」
「な、なんでしょうか?」
「その『さん』付けをやめてくれないか? あと敬語もだ」
「ええっ!?」
マリマリは丸眼鏡より目を丸くした。
魔剣に認められた者から命令はあるかもと考えてはいたが、自分を呼び捨てにしろと言われるとは思ってもみなかった。
「で、でも……」
「何故ためらう? 私とお前は同族なのだろう? しかも、お前のほうが先輩で、年も上のように見える。敬語を使うなら私の方になるが、私にその気はない。なら、お前に合わせて貰うしかない」
リースからすると、娘と言ってもおかしくない年頃の学生に対し、下手に出る気はあまりない。
かといって、魔剣に認められただけで、先輩であるマリマリを下に見るような真似はしたくない。
「じゃあ、リースちゃんって呼んでいいですか?」
「ちゃ、ちゃん……?」
「駄目ですか? あと私、人になれなれしく喋るの苦手なので……」
「……もう好きにしてくれ」
結局、リースさんがリースちゃんになっただけだった。
そうこうしているうちに、陽は傾き空は茜色――夕暮れ時になっていた。
「そういえば、リースちゃんは晩御飯はどうするんですか?」
「一階にある調理場で作るか、食堂で済ませろと言われている」
「あ、なら晩御飯一緒に食べませんか? 私が作りますから」
「いいのか?」
「はい。二人分作るのもあまり手間が掛かりませんから」
結局、リースはマリマリの厚意に甘えることにした。
というか、レーヌから金を借りるのを忘れており、リースは無一文なので他に選択肢が無かった。
レーヌからハンティング禁止令も出ている。
この時間になると学生たちも結構な数が寮に帰ってきており、廊下を歩くマリマリとリースに好奇の視線を向けてくるが、それを意識しないようにマリマリと共にリースは一階の調理場へとたどり着く。
ちなみに、今はヴィクトワールは背負っていない。
非常時に備えリースは担いでいこうとしたのだが、『それはねーよ』とヴィクトワールにたしなめられたので、しぶしぶ丸腰である。
「ここが厨房ですよ。共有スペースになっているので、食材から調理器具まで自由に使っていいんです。片付けも自分でやるんですけど」
「なにっ!? これ全部をか!?」
一階の厨房はかなりの広さがあり、かまどや鉄板が複数用意されていた。隅のほうにはテーブルと椅子のセットがあり、調理した食材はそこで食べるらしい。調理と洗浄のための水も、裏手にすぐ井戸があり簡単に汲めるようになっている。
「ら、楽園か、ここは……」
「え、ま、まあ、充実しているとは思いますけど」
リースは感極まった表情で固まっていた。
なんだこの至れり尽くせりの環境は。
泥水をすすり、草の根を食って生きていた時代とはまるで違うではないか。
「しかし、食材はどうすればいいんだ?」
「あ、それも大丈夫です。寮費にはそれも含まれてますから」
そう言ってマリマリが、テーブルとは反対方向の厨房の角に歩いていく。
リースもそれにならってついていき、度肝を抜かれた。
「な、なんだこの食材はっ!?」
そこには巨大な冷蔵庫があった。
魔力で作り出されたであろう氷が詰め込まれ、ドアを開けると冷気が漂う。
そして、冷蔵庫内には、新鮮な肉や野菜がみっちりと詰め込まれている。
「街の業者の方が定期的に補充してくれるんです。季節や収穫量によって、食材の量や種類とかが変わって……って、リースちゃん!?」
「おお……! おお……!!」
マリマリは仰天した。
リースが何故か滂沱の涙を流していたからだ。
しかも、リースは冷蔵庫の前に、まるで神の御前のように跪き、目を閉じた。
「神だ……神はここにいたのだ……」
「り、リースちゃん! お、落ちついて下さい! ほら、皆さん見てますよ!」
冷蔵庫の前で泣きながら跪いたハーフエルフの少女を、周りの人間は困惑した表情で見つめている。
マリマリは引っ張り上げるようにして、リースを立ち上がらせる。
「す、すまない。あまりの光景に少し気が動転していた。大丈夫、私は極めて冷静だ」
「全然大丈夫じゃ無さそうですけど……」
チラチラと横目で冷蔵庫の食材を眺めならそう言われても、全然説得力が無い。
特に視線は肉に向けられているので、マリマリは今日は肉料理にする事に決めた。
「しかし、これだけの量を定期的に供給できるのか。随分と優秀な補給部隊がいるのだな」
「補給部隊って……いつも業者の方が一人で来ますよ?」
「なん……だと……? 一人でこの量をか!?」
「はい。私も細かい事はよく知らないんですが、業者に頼まれた方が、毎回一人で運んできます。あと、かまどの横の薪なんかも一緒に」
「この食材の量に加え、薪までも一人でか……」
リースは冷蔵庫と、かまどの横にうず高く積まれた薪の山を見る。
とても一人で運べる量では無い。馬車を使っているのだろうが、それにしても複数台に分ける必要がある。一体どのように運んでいるのか。
「その運んでくる人物の名を知りたいのだが」
「ええと……確か、ロアという名前だった気がします」
「ロア……か」
リースはその名を深く刻み込んでおく事にした。
強者に対して敬意を払うのがリース流である。
そして、ロアは間違いなく強者である。
「その、ロアという者と一戦交えてみたいものだな」
「……運送業者さんですよ?」
マリマリが突っ込むが、リースはもう聞いちゃいなかった。
クラスの自己紹介でも喋っていたが、リースの目的は高みへと昇る事である。
具体的にどういうものが『高み』なのか、リースはそれが分からないまま走り続け、命を落とした。
多少不本意な形ではあるが、それを見つけるためのチャンスを再度貰えた事に、リースは感謝している。もしかしたら、その『ロア』という者が、自分の道を探る手がかりになるかもしれない。
「あの、リースちゃん? リースちゃん!」
「ん? 何だ?」
「いつまでも冷蔵庫の前に立たれてると、食材が取り出せないんですけど……」
「あ、ああ! す、すまない!」
リースが冷蔵庫を開けっぱなしにして放心している間、食材を取りたい勢の長蛇の列が出来ていた。誰も咎めなかったのは、リースが既に魔剣の持ち主として認められている事と、なにより、行動が変だったからだ。
こうして、なんとか調理の段取りが整い、少し遅めの夕食となった。
リースの冷蔵庫仁王立ちのせいで時間が無くなったので、塩と香辛料で軽く味付けし、スライスした肉と野菜を油で炒めたもの。それに付け合わせのスープとパンという献立だ。
「時間があれば煮込み料理とかにしたんですけど……」
「う、美味い! 世界一美味しい!」
「そ、そんなにですか?」
マリマリは普通の食事を出したつもりだったが、リースは飢えた犬のように肉野菜炒めを貪っていた。
リースになってから、エルフの里で拘留されていた時に肉類はほとんど食べられなかったし、死ぬ前は激戦続きでまともな食事が出来なかった。
こうして、リースは五百年ぶりの贅沢を堪能した。
「マリマリ。本当に感謝している。お前ほどの腕を持った料理人は、世界広しといえどもいないだろう」
「そ、そうですか……でも、喜んでいただけたようでよかったです」
やたら喜ぶリースを見て、マリマリも頬を緩める。
マリマリは少し残してしまったが、リースの皿にはひとかけらの食材も残っていない。
ちなみに、マリマリが残した分はリースが全部食べたので、二人の食器は使ってないんじゃないかと錯覚するくらいピカピカになっていた。
「お世辞では無いのだがな。お前は料理人でも目指すのか?」
「だから普通に料理しただけで……じゃなくて、私は魔術師を目指しているんです。まだ全然ダメダメなんですけど」
「なに、お前はまだ若い。これから精進していけばいいではないか」
「若いって、リースちゃんの方が下じゃないですか」
自分より頭一つ分以上も小さいリースにそう言われ、マリマリはくすりと笑った。
「ところで、リースちゃんは何を専攻するんですか?」
マリマリがそう問うと、リースは不敵な笑みを浮かべ、こう言った。
「決まっているだろう。剣術だ」