第2話:転生
剣鬼ゴットフリート。約五百年前に名を轟かせたその剣士の名を知らぬものはいない。
身の丈2メートルを超える巨躯を持ち、並の剣士が両手で扱う剣を片腕で軽々と振るう。
その戦い方は極めて粗雑。流派は我流。
それを補って余りある圧倒的剛腕と、並外れた胆力で敵をねじ伏せる。
その戦いぶりから、剣士や剣豪と称するより、剣の鬼――すなわち『剣鬼』と呼ばれた。
彼は貧しい農民の身分から、腕一本で英雄となった。
そんな彼にも弱点はある。人間という種族は、多種に比べて寿命が短く魔力も少ない。
彼の身体は、度重なる戦いで徐々にダメージを蓄積し、人間達を脅かしていた邪竜と称される強大な魔物と戦い、相打ちとなってその生涯を終えた。
そんな剣鬼ゴットフリート、その彼はというと……
「美味いな。この焼き菓子」
五百年後の現在、ヴィクトワール学園の一角で、リースという名の幼女になり、モリモリお菓子を平らげていた。
「あらあら、一体その体のどこにそれだけ入るのかしらねぇ……」
数人で分け合う焼き菓子の三皿目に手を伸ばす様子を、ハイエルフのレーヌはにこにこ見守っている。クラスで自己紹介を終えたリースだが、今日はお披露目のみ。本格的にクラスの一員として加わるのは明日以降だ。
『しかしまぁ、随分と可愛らしいお嬢様になっちまったもんだな。親友よ』
からかうような男性の声を聞き、リースは一瞬むっとした表情になる。
「うるさい。私だってなりたくてなった訳じゃないんだ」
リースが文句を言った方向には誰もいない。レーヌの横のソファにたてかけられた漆黒の大剣があるのみ。この大剣こそ、声の主である。
魔剣ヴィクトワール――ゴットフリートの愛剣であり、伝説の剣と称される代物である。
巷では『意志を持ったように持ち主を選ぶ』と称されているが、実は、本当に意志を持っている。だが、ヴィクトワールが認めた者以外には決してその声は聞こえない。
この場で剣の声が聞こえるのは、レーヌ、そしてリースの二人のみ。
実はこの三名……二人と一本は旧知の仲なのだ。
「でも、またこうしてあなたと会えるなんて、本当に嬉しいわ。ゴットフリート……いえ、リースちゃん」
「そう言われても、私は全然実感が湧かないが」
リースは三皿目の焼き菓子を平らげると、熱々の紅茶をぐびぐび飲む。
よくやけどしないものだと感心する飲みっぷりだ。
「転生という魔術はただのおまじないでは無かったのだな。正直、あんなものは気休めだと思っていた」
「ええ、私自身もびっくりしているわ。色々な意味でね」
リースは一息で紅茶を飲み終えた後、『転生』という言葉を口にした。
そしてレーヌもそれに対し相槌を打つ。
邪竜との戦いで相打ちに持ち込んだ所までは覚えている。
そして、自分が助からない事も理解していた。
回復魔術を得意とするレーヌですら手の施しようが無い致命傷。
そこでレーヌはある秘術を発動させた。
それが『転生』と呼ばれる魔術。
肉体の損傷が激しく、死に至る人間の魂の記憶を引き継ぎ、文字通り『転生』させるのである。
ただ、大仰な効果の割に、この魔術は今も昔も『おまじない』と称される。
理由は二つ。
第一に、使い手が極端に少ない事。ハイエルフのレーヌですら、代償としてほとんどの魔力を失ってしまった。生命を覆す奇跡には、それ相応の対価を払う必要があるという事だ。
そんな事をしてしまえば、仮に成功したとしても発動者のその後の人生に支障が出る。
第二に、そもそも成功するかが分からないという点だ。
とてつもない代償を払っても、転生は文字通り生まれ変わる事。
記憶を引き継ぐ事は出来るが、いつ、どこで、どのような形になって生まれ変わるか分からない。
一年後に近所の子供として生まれるかもしれないし、千年後に猫として生まれるかもしれない。
よって観測された成功例が極めて少ない。
発動者が死んで何十年も経ち、全く違う大陸で自分は転生者であるという噂がある程度。
そうなるともう狂人のたわごとレベルであり、故に転生魔術はおまじないと呼ばれるのだ。
事実、ゴットフリートに転生魔術を掛けた後、何も起こらずレーヌはただ魔力を失った。
やはり運命を変える事は出来ない。
レーヌは魔力を失った事を教訓として考える事にしていた……一週間前までは。
「故郷から、ハーフエルフの子が生き返って錯乱してるって報せがあったのよねぇ」
レーヌは上品に紅茶をすすりながら、その時の手紙を思い出すように宙を見上げた。
レーヌは人間の街の学園に住んでいるが、本来エルフという種族は森に住む一族だ。
彼女の故郷も『神樹の森』と呼ばれる場所にあるのだが、そこから奇妙な手紙が届いた。
それは、一人のハーフエルフの少女が、頭がおかしくなって暴れているという報せだった。
『リースの事だぞ』
「私は正常だ! 目が覚めたらいきなりハーフエルフの幼女になってたら、誰だって驚くだろう!」
リースは笑い声を上げるヴィクトワールに食ってかかる。
その様子を、レーヌは楽しげに見守っている。
「私の故郷にハーフエルフの女の子がいたのよね。お母さんもお父さんも亡くなっちゃって、村のみんなが心配してたんだけど、やっぱりハーフっていうのが自分でもコンプレックスだったんでしょうね。たった一人で暮らしていたの」
そのハーフエルフの少女――リースは村の誰とも関わらず、一人離れた場所に住んでいた。
だが、森という世界は一人で生きるには厳しい環境。
両親のいないハーフエルフの少女は、予想通り野獣に襲われ命を落とした。
村人たちはリースの亡骸を見つけると、手厚く埋葬した。
――その直後、異変が起こった。
死んだはずのリースが、カブトムシのように地面から這い出して来たというのだ。
「ここはどこだ!? 邪竜はどこにいった!? というか、みんなはどこだ!?」
「な、何を言ってるんだいリースレットちゃん!?」
「リースレットとは誰だ!? 私はゴットフリートだぞ!」
土まみれになったリースは、それまでの陰気な少女の雰囲気は吹き飛び、まるで別人のようだった。
おもむろに上半身に巻き付けていた衣を破り取り、棒きれを持って暴れ出したのだ。
森のエルフ達は全員でリースを抑え込み、ハイエルフであるレーヌにこの事を連絡した。
普段のリースとはあまりにも雰囲気が違いすぎて、死んだ後に凶暴化する奇病にでも掛かったのではと思われたのだ。
『……で、実際に会ってみたら、本当にゴットフリートだったって訳だ』
レーヌが故郷へ急行すると、暴れ回るリースはミノムシみたいに簀巻きにされていた。
しかも、本来なら罪人が入れられるはずの牢屋に入れられていた。
よほど暴れ回ったらしく、捕らわれた猛獣のような扱いだった。
「おお! レーヌか! 私は何者かの策略によって呪いを掛けられたらしい! 早く解呪をしてくれ」
「……ええっと」
レーヌはリースと初対面だというのに、リースはその愛らしい顔を綻ばせ、まるで親友のように笑いかけた。レーヌには何がなんだか分からなかった。頭がどうにかなりそうだった。
それから、自分をゴットフリートだと思い込んでいる精神異常者のハーフエルフの少女と面談をしたのだが、驚いた事に、その少女は自分とゴットフリートしか知らない事をすらすらと言い当てた。
『で、そん時にレーヌは思い出したんだよ。ああ、そういえば転生魔術を使ってたなぁって』
「だって、いくら私でも、五百年前に掛けて失敗した魔法なんて覚えてないわよ」
レーヌは頬を膨らませる。
その後、森のエルフ達には、リースに何が起こっているか調べたいので、一時的に身元を預かるという名目で学園へと連れて行き、最終確認のためヴィクトワールに会わせたのだ。
『俺は外見じゃなくて魂で人を判断できるからな。で、晴れてお前がゴットフリートだって分かった訳だ。まあ、今はリースレットになっちまったけどな。また会えて嬉しいぜ、親友』
魔剣ヴィクトワールの口調は軽いが、その響きには嘘偽りのない喜びがあった。
「そうねぇ、本当に嬉しいわ。五百年……あなたにとっては昨日の事かもしれないけど、私達はずっと気に掛けていたの。もう一度会えたらなって思っていて。長生きはするものね」
隣にいるレーヌも同調するように頷き、そう呟いた。
「その、なんだ……私からすると、朝起きて目が覚めたら五百年経ってたって言われてもピンとこない。でも、私のために力を使ってくれた事には感謝している」
そう言って、リースは一人と一本に対し、深々と頭を下げる。
「……とは言ったものの、これから私はどうすればいい? 五百年も経ってるんだ、文字も常識も何かも変わっている」
ついでに性別も種族もだ。
「そうねぇ、だからあなたを学園に招いたっていうのもあるわ。私が後見人になるから、リースちゃんは学園生活を満喫してみたらどうかしら?」
「は?」
リースの口から間抜けな声が飛び出すが、レーヌは相変わらず優雅に紅茶を飲んでいる。
「ほら、あなたも若い頃は平和な学園生活が出来たらいいなぁって言ってたじゃない」
「そりゃ、あの時は生きるのに必死だったから……」
五百年前、リースの前世は戦いに次ぐ戦いの生活だった。
単純にそうしなければ生きていけなかったからだ。
生活に余裕も無かったので、危険に身を晒さずに優雅に学園に行ける身分の者を羨ましく思ったものだ。
『だからまぁ、少し遅い休暇ってにすりゃいいって事だよ』
「そうは言っても、さっきの自己紹介を聞いていただろう! 私があの女子どもと上手くやっていけると思うのか!?」
「思うわ。だって、リースちゃんはとっても可愛いし、しかも魔剣まで使えるカリスマよ。すぐに人気者になれるわ」
リースは絶句した。いまだかつてない高難易度の依頼であった。
これだったら、竜を一人で百匹倒してこいという方がまだ出来そうな気がする。
「本気で言ってるのか? 私に、女子学園生活を送れと」
「ええ、本気も本気」
「性別も違う上に、五百年も経っているんだぞ!?」
「大丈夫よ。色々と変わってしまったけれど、変わらない事、変わってはいけない事だってあるはずよ」
「どういう意味だ?」
「さぁ? さ、そろそろリースちゃんの今後の生活場所に案内しましょうかしら」
そう言って、レーヌは椅子から立ち上がる。
レーヌはヴィクトワールを両手で抱えると、リースに渡す。
小柄なリースが受け取ると、そのまま前のめりに倒れそうになる。
「重っ! お前、五百年で太ったんじゃないのか!?」
『アホか。剣が太る訳ないだろ。お前が縮んだんだよ。ま、せいぜい俺を上手に使ってくれや。期待してるぜ、剣鬼さんよ?』
リースは苦労しながら何とかヴィクトワールを背負う。
ゴットフリートの頃は苦もなく背に縦向きに挿していたが、今は身長が足りないので、横向きに背負う。全体的に淡い雰囲気の小柄な体躯に、武骨な漆黒の大剣のアンバランスさで、縮尺がおかしい事になっている。
「準備は出来た? じゃ、行きましょ、リースちゃん」
「そのリースちゃんっていうの、ずっと続けるのか?」
「そうよ。だってあなたはもうリースちゃんなんだから」
「……わかったよぅ」
がっくりと項垂れながら、ゴットフリートはリースレットとしての人生を受け入れた。
そして、新しき人生の一歩を踏み出した。
「ぐぇ」
だが、部屋を出る際、横向きのヴィクトワールがドアの両脇に引っ掛かり、リースはカエルが潰れるような変な声を出した。
この先の運命を暗示するような、最初の一歩であった。