第1話:初日
聖ヴィクトワール学園。武術、学術、そして魔術……数多ある道を極めんとする者達の集まる学び舎。名門であるこの学園に優秀な人材は多いが、今日は、ある人物の噂で持ちきりだった。
「ねえねえ、知ってる? 新しい転入生のこと?」
「聞いた聞いた! 数百年ぶり? だかで魔剣の適合者に選ばれたとか。特待生なんだって」
ヴィクトワール学園の一角――女子部の少女達も、その話題に朝から色めき立っている。
文武両道を目指すこの学園の生徒たちは、各々の道を選びつつも、基礎の部分もしっかり学ばせられる。そのため、同年代の入学者はクラス分けをされ一般的なスキルを学ぶ。
そして、特待生として緊急転入してくる人物は、女子達のクラスに来るらしい。
特待生が転入してくる理由は一つ。
今まで誰も扱えなかった魔剣を、いとも軽々と引きぬいたという。
その剣の名はヴィクトワール。この学園の名前の由来であり、伝説と称される一振り。
数百年前に『剣鬼』と呼ばれる人物が使っていた漆黒の大剣である。
その力は凄まじく、どのような手段で精製されたのかすら分からない。
多くの名工が似たような物を作ろうと挑戦したが、足元にも及ばない稀代の名剣。
魔剣ヴィクトワールには他の武器には無い、ある特性があった。
それは、『剣自身が持ち主を選ぶ』という点である。
まるで意志を持っているかのように、どんな剛腕の持ち主が引きぬこうとしても、鞘から1ミリも動かないのである。最初の持ち主以外、誰一人として選ばれた者はいない。
その剣を使いこなせた者は、記録されている歴史では『剣鬼』ただ一人のみ。
ヴィクトワール学園は、この魔剣の適合者を探すためだけに作られたという冗談を言う者もいるほどだ。事実、入学時には、全員この魔剣を抜く儀式をさせられる。
結果、今に至るまで魔剣の後継者はゼロだ――いや、だったというべきか。
そんな伝説を塗り替えた者が、今日転入してくるというのだから、騒ぐなという方が無理である。
昨日の晩御飯、今日の科目、全ての話題を吹き飛ばし、全ての女子の噂をかっさらっている最中、朗らかな声が教室に響いた。
「はいはーい。皆さんお静かに」
その声に、クラスの女子たちは一斉に入口の方を振り向いた。
そこには、長身の見目麗しい女性が立っていた。
新緑のような美しい緑の髪を長く伸ばし、ゆったりとしたローブを羽織っている。
そして、最大の特徴はその尖った長い耳だ。
彼女の名はレーヌ。エルフと呼ばれる魔力に優れた種族であり、その中でもさらに上位種のハイエルフというごく少数の存在。そして何よりも、ヴィクトワール学園の女子部の教師であり、統括でもある。
「さてさて、皆さん噂では聞いていると思いますが、今日は皆さんに新しいお友達が加わります。まずは着席しましょうね」
ふわふわした口調ではあるが、レーヌの実力は女子部の生徒なら誰もが知っている。
もちろん脅迫している訳ではないが、逆らう理由も無いので、クラスの女子たちは大人しく各自の席に着く。
レーヌは教壇の所に移動すると、少女達全体を見回した。
皆、レーヌの次の言葉を待っている。
いいからさっさと話を進めろというオーラが漂っているが、レーヌの態度は変わらない。
「では皆さん。改めて私の方から説明をさせていただきましょう。もう全員知っているとは思いますが、今からこのクラスに編入してくる子は、魔剣ヴィクトワールの適合者です」
改めてそう宣言され、再び女子たちがざわめき立つ。
やはり噂は本当だったのだとか、そんなはずは無いとか様々な会話が飛び交う。
それをレーヌは手を叩いて制する。
「色々と噂になりがちですが、あくまで彼女は一人の学生として扱います。女の子としてはまだまだ未熟な子ですので、皆さんで淑女のたしなみを教えてあげてくださいね」
レーヌはそう宣言した後、入口の方を向いて手招きした。
生徒側からは見えないが、外にその人物がいるのだろう。
少女達は固唾を飲み、その人物を想像する。
一体どんな人物なのだろう。大剣を引きぬいたのだから、筋肉ムキムキのゴリラのような人間だったらどうしよう。上手くやっていけるのだろうか。そんな不安も拭いきれない。
だが、彼女達の不安は、驚愕を持って払拭された。
陽光を背負って教室内に踏み込んで来た足音は、ぱたぱたとした非常に軽いものだった。
陽の光をそのまま髪に溶け込ませたように輝く金の長髪は、ひたすらに真っ直ぐで、まるでその人物を象徴しているようだった。
新雪のように透き通る白い肌。空よりもなお蒼い瑠璃色の瞳。
彼女の持つ部位の一つ一つが、何もかも美しい。
その姿に、同性である少女達ですら目を奪われる。
「さ、リースちゃん。まずは自己紹介をして貰えるかしら」
レーヌがリースと呼ばれた転入生にそう促すと、リースは一瞬顔を顰めたが、溜め息を一つ吐き、黒板に自分の名前を書いた。
すらすらと……という訳ではなく、文字の線を一本一本頑張って引きましたという感じの、下手くそな文字で『リースレット』と板書し、リースは振り向いた。
「ここに記したとおり、私の名はリースレットだ。よろしく頼む……とは言わない」
その言葉に、教室中が息を呑む。
「ちょ、ちょっと! リースちゃん! 話が違うじゃない!」
「黙っていろ! 最初の意志表明が大事なんだ」
女子部のトップであるレーヌを一喝し、リースは再び正面の女子たちに向き直る。
「私は訳あってこんな所に来てしまったが、お前達と慣れ合うつもりはない。私の目的はより強く、高みへと昇り詰めることだ。キャッキャと女子生活を楽しむつもりもない。お前達の邪魔もしないが協力もしない。以上だ」
あんまりにもあんまりな自己紹介。傲慢な物言いだった。
しかし、リースの表情は真剣そのものだ。
しばし教室が静まり返る。しかし、沈黙を破るようにある一人の少女が口を開く。
「か……」
「か? なんだ? 勘違い野郎とでも言いたいのか? 言っておくが、私はその気になれば、お前達だって踏み台にするつもりだぞ」
「可愛いーーーっ!!」
一人の少女がそう叫ぶと、押さえ付けられていた感情が爆発するかのように、皆もキャーキャー声を上げ、レーヌすら無視して一気に集団でリースを取り囲む。その勢いにリースは目を白黒させる。
「ねえねえ! 魔剣に選ばれたって本当? すごいね!」
「い、いや……別にすごくは……」
「そんな事より、リースちゃんってどんなお手入れしてるの!? 髪も肌もすっごい綺麗!」
「特に何も……って、魔剣をそんな事とはなんだ! それにお前ら、さっきの話を聞いていたのか!」
「はーい!」
リースは本気で恫喝したのだが、少女達にはまるで効いていない。
それどころか、まるで子猫でも触るようにすぐに集団にもみくちゃにされる始末だ。
「れ、レーヌ! これは一体どういう事だ!」
「どうもこうも……踏み台に乗ってる状態で、『踏み台にしてやるなんて』言ったら、怖くも何ともないわよ」
そう、リースは黒板に名前を書く時、背が足りないので踏み台を使って板書をしていた。
他の女子に比べ、リースは頭二つ分は小さい。
どう見ても年齢一桁、よくて二桁なりたてにしか見えない外見だった。
「な、何故この私がこんな屈辱を……」
リースのうめき声は、女子たちの質問攻めによって埋め立てられた。
これが、過去に剣鬼と呼ばれたゴットフリートの終わりであり、現代の剣姫リースレットの始まりの一日であった。