72.裏月 ヘカテークラウン⑧
私は自室の天井を眺めていた。懐かしくも見慣れた天井だ。そこには中学時代に好きだったバンドのポスターが貼られている。
「お姉入るよー」
「あいよー」
ルナの声に脊髄反射的に返事をする。そしてベッドからバネのように起き上がった。
「夕飯どうする? 作る? それともどっか食べに行く?」
「ん? そだね……。じゃあ今日ぐらいは外食しようか」
「了解! じゃあね……。六時半になったら出よう」
ひさしぶりの家族での外食。まぁ、家族といっても私と妹の二人だけだ。
夕飯までの間。私は自室を片付けることにした。幸い、ルナが掃除はしてくれているようなので、ただ捨てる物を選ぶだけで良い。効率的な断捨離。そんな感じ。
改めて見ると私の自室はかなりガキっぽかった。天井のポスターも本棚に無造作に突っ込まれた漫画本も。そのすべてが中学時代のままな気がする。学習机も小学生の頃のままだし、知らない人が見たらとても成人の部屋には見えないだろう。もっとも、私がこの部屋を使っていたのは高校一年までなので当然なのだけれど。
とりあえず捨てる物をまとめよう。話はそれからだ。
「ルナー。段ボールとゴミ袋ある?」
「あるよー」
「ちょっと貰っていい? 部屋片付けたいんだ」
「はーい。ちょっと待ってて」
さて始めよう。最初は机からだ。学習机の引き出しを開け、中身を片っ端から取り出す。
机の中身はあまりにもお粗末だった。小学時代に茉奈美とやっていた交換日記や赤点の答案。そんなものばかりが出てくる。
「持ってきたよー……。うわっ! どうしたのコレ!?」
「ああ、ありがとう。いやさ……。たまーにしか帰らないから整理しようかなって」
「そうなんだ……。ってかお姉の机ん中ってこんなごちゃごちゃだっただね」
ごちゃごちゃ。酷い言われようだ。本当のことなので何も言い返せないけれど。
「ハハハ、だよねー。ま、私もいい年だし、そろそろ捨ててもいいよね」
リサイクル不可な思い出が足下に散らばる。全てを捨てるわけでもないけれどそこに広がる物は過去の残骸にしか見えなかった。通りすがりの過去。あまり良い思い出のない過去。
「あ! これやっぱりお姉が持ってたんだ!」
「ん? ああほんとだ」
ルナはそう言うと雑に切り取られた本のページを拾い上げた。白い大地に二人の少女がたたずむイラストが描かれたページ。たしかこれは絵本のラストだった気がする。
「もう! ずっと探してたんだから! セロテープで直せるかなぁ?」
「ごめんごめん。悪気があってやったわけじゃないんだよ」
そういったものの絵本を破った当時の記憶は私にはなかった。もしかしたら幼い悪意があったのかもしれない。今となっては確認のしようがないけれど。
ルナはむくれると自分の部屋から一冊の絵本を持って戻ってきた。私たちにとって大切な絵本。『つきのめがみとよるのじょおう』だ。
「うん……。切れ目があってるから張ればなんとか……」
「あんたそんな古いもんよく取っといたね」
「ああ……。前に掃除してて見つけたんだ」
「へー。そう」
『つきのめがみとよるのじょおう』の表紙はかなり劣化していた。元々の色を覚えているだけに余計古ぼけて見える。ルナはそんな古ぼけた絵本を大切そうに修理した。即席な修理なのでいつかはダメになりそうだけれど。
「とりあえずこれで……」
「ねぇルナ。ちょっとそれ貸して」
「うん。今張ったばっかりだから気をつけてね」
ルナから絵本を受け取る。懐かしいハードカバーの感触が手に伝わる。
「コレだよコレ! 懐かしいなぁ。お母さんによく読んでもらったっけ」
そう言いながらページを開く。
「そうらしいよね」
ルナはまるで他人事のように言うとため息を吐いた。
「あ、ごめん。ルナはよく覚えてないんだっけね」
「ううん。いいよ。ほら、私って小さい頃ボケーッとしてたみたいだからさ」
幼少期のルナ。たしかにそれは今よりずっとボケーッとしていた気がする。私の記憶が正しければ、小さい頃は私の方が賢いと大人たちに思われていたはずだ。まぁ、それが逆転するのにさほどの年月はいらなかったけれど。
「ま、小さい頃のことなんてみんな曖昧だよ。覚えてる私の方がたぶん特殊なんだ」
「うん」
これは本心である反面、ルナに対する慰めでもあった。ルナは知らないのだ。自分の母親の顔を。厳密に言えば知らないというよりは覚えていないが近いとは思う。まぁ、無知と健忘の境界線なんてかなり曖昧なので意味がないけれど。
ページをペラペラ捲る。そこには幼い日に見た景色が変わることなく広がっていた。月面少女の和解。そんな世界。
「そろそろ返して。私も出かける準備するから」
「ん? ああ、そうだね。ありがとう」
ルナに絵本を返す。
「じゃあ時間になったら呼びに来るよ。どこに行くか決めといてね」
「あいよー」
ルナはそれだけ言うと大事そうに絵本を抱えて部屋から出て行った。
それから私は机と本棚。そして壁のポスターをまとめた。ガラクタたちはあっと今にゴミ袋と段ボールに収まっていく。圧縮性の思い出。そして来週の燃えるゴミの日にはさようなら。
市指定のゴミ袋を廊下に出すと何かが終わったような気分になった。何かが終わり、何かが始まるような気がした。私にとっても。ルナにとっても。




