70.裏月 ヘカテークラウン⑦
夜。私は自室の天井を眺めていた。ここは私の部屋のはずなのに違和感を感じる。年数回しか実家に帰らないのでそれは当然なのだけれど。
隣のルナの部屋からカサカサ物音が聞こえた。おそらくルナは何かしら作業をしているのだろう。そういえばルナの部屋に何枚かイラストが置いてあった。もしかしたら今、絵を描いている最中なのかもしれない。
思い返すとルナには絵心があった。彼女は幼少期からクレヨンで絵を描いては、私や母に見せてくれた。彼女の描く絵はどれもパステルカラーの可愛らしいもので、幼少期の私はよくそれを眺めていた。お姫様や動物たち。そんなメルヘンチックなイラスト。
私には画才はないのでよく分からないけど、きっとルナは絵の才能があるのだと思う。
ルナの部屋で絵を見つけても私はそのことには触れなかった。きっとルナは触れられたくはないだろう。彼女は私と違って、自己顕示欲があまりない。淡々と熟し、淡々と作り上げていくタイプの人間だと思う。
私はゆっくり瞼を閉じると意識を失った――。
翌朝。私は差し込む朝日に起こされた。鳩のあの特有の鳴き声が聞こえ、近所の防災無線はチャイムを鳴らしている。学校のチャイムをかなり甲高くしたような音だ。昔は、毎日聞いていたのに、今聞くと酷く耳障りだと思う。
起きると姿見の前に立った。ルナが磨いてくれたのか、姿見には埃一つついてはいない。几帳面な子なのだ。昔からそうだった。細かすぎて嫌になることもあるけど、やはりたよりになる妹だと思う。
「おはよう。ルナ昨日は遅かったの?」
「おはよう。ごめん……。うるさかった?」
「いや……。別にそんなことはないけどさ。したら飯食っちゃおうか? 泉さん午後一くるだろうし、早めに準備しよう」
キッチンに降りると私たちは一緒に朝食の準備をした。年数回の数少ない帰省だけれど、私たちは毎回一緒に食卓の準備をしている。主に私がフライパン担当。ルナが包丁担当だ。
「どうする? オムレツでも作る? 私が昨日買ってきたコーンスープもあるしさ」
「だね。お姉のオムレツ美味しいよね。私はあんまり得意じゃないから羨ましいよ。じゃあ、卵準備するね」
得意じゃない? どの口が言っているのだろう。ルナに不得意料理なんてないんじゃないだろうか。和洋中、その全ての料理をルナは卒なく熟すはずだ。しかも、単に作るわけじゃない。冷蔵庫のあり合わせの食材で上手いこと美味しい料理を作ってくれる。だから私は勝手に「ルーちゃんの魔法の手」とそれを呼んでいた。もちろん、ルナはそれに対して苦笑いしていたけど。
そんな無駄なことを考えているうちにルナは卵をかき混ぜ終わっていた。しかも、オムレツに入れる万能ネギまできざみ済みだ。仕事が早すぎる。
「お、さんきゅ! やっぱオムレツに万能ネギ入れるのが京極家のルールだよね」
「うん。でも人には言わない方がいいよ。たぶんうちだけだから」
ルナから溶き卵を受け取ると私はフライパンに流し込んだ。フライパンの熱で卵が液体と固体の中間ぐらいの状態になる。私は菜箸でそれをまとめるようにかき混ぜた。混ぜ具合と火加減が大事なのだ。ちょっとでもミスればあっという間に焦げてしまう。
「お姉の手つきって綺麗だよね。いつ覚えたの?」
「んー? いつだろ? 水戸で1人暮らししてたときかな? 最初めっちゃ焦がしちゃってさ! 大家さんに『不思議な食べ物だね』って皮肉言われて、躍起になって練習したんだ」
大家の湯野さん。そういえばしばらく会っていない。元気しているだろうか?
おそらく元気だろう。あの人が病気したり死んだりするのは想像出来ない。風変わりで守銭奴で優しいあのおばちゃん。
「じゃじゃーん。ヘカテー特製オムレツ完成だよー」
「朝からテンション高いね」
「イエーイ。めっちゃ上手くできたんじゃね?」
我ながら気持ちが悪い。無駄にテンションを上げるのは馬鹿馬鹿しく思った。ルナの冷ややかな目も痛い。でも悪ふざけせずにはいられなかった。午後にはきっと酷く真面目な話をしなければいけないから。
私のモットーは『悪ふざけなんだから真面目にやろう』だった。生涯を悪ふざけして生きていきたい。もし、世の中から悪ふざけが消えてしまったら、きっと味気ない世界になってしまうだろう。人間社会のうまみ成分。それが悪ふざけ。
皿に料理を盛り付ける。いつの間にやったのか、ルナはトーストとレタスを用意していた。絵に描いたような朝食だ。メインディッシュはもちろんヘカテー特製オムレツ。
「じゃあ、食べようか! いっただきまーす!」
「いただきます」
姉妹で食べる料理はいつもより美味しい。誰かと食べる食事は空腹なときと同じくらい美味しく感じるのかもしれない。
きつね色のトースト。シャキシャキなレタス。暖かいレモンティー。ふわふわのオムレツ。
テレビから流れる変死体のニュース。カラスの鳴き声。週刊誌のゴシップ。
私と妹が一緒にいる空間に、明るい話題と暗い話題が共存していた。それはまるで、私たち姉妹のようだ。妹が表の月だとすれば、私は裏の月だから。
名は体を表すのだ。でもときどき思う。なぜ私が月姫で妹がヘカテー(裏月)じゃなかったのかと。逆でもよかったんじゃないだろうか?
そんなこといくら言っても仕方ないことは分かっている。私と妹の名付け親はもういないのだから……。
朝食を終えると、私たちは身支度を調えた。ルナは小綺麗なワンピースにニットのカーディガン。私はタンクトップにジャケット。
弟はどんな子なんだろう。この前は見たけれど、あまり印象がない。
今度こそきちんと向き合いたい。私は思った。
彼には罪がないのだから。




