68.月姫 大江山ワンダーランド⑥
土曜日の夜。私は姉を高速バスの停留所まで迎えに行った。
姉はバス停の縁石に座って、タバコを吹かして待っていた。
「お疲れ! わざわざ悪いね」
「お疲れ様。お姉こそごめんね。こっちまで来るの大変だったでしょ」
「私は大丈夫だよ。じゃあ……。今日は実家泊まらせてもらうね」
姉を助手席に乗せて国道51号を走る。不思議な気持ちだ。姉はすっかり社会人らしくなったと思う。まぁ、それは私も同じかもしれないけれど。
ひさしぶりに見た姉の横顔は少し細くなった気がした。おそらく彼女は忙しなく働いているのだろう。
「お姉痩せた?」
「ん? まぁね。ルーちゃんはまたどすこい……。でもなさそうだね」
姉は私の顔を見て心配そうな表情を浮かべた。
「ああ、大丈夫だよ? これはただダイエットしただけだから」
ちょっとだけ気分がいい。ようやく姉からどすこい呼ばわりされずにすみそうだ。
車は水戸から大洗へ向かって走った。姉はひさしぶりに見る大洗を懐かしそうに眺めている。
「大洗ひさびさだなー。この前は鹿島線で帰ったから海も見れなかったしね」
「お姉いつも電車移動だもんね」
「そだね。あ、セブンシーズ見えてきた」
セブンシーズ。大人の宿泊施設だ。姉は通り過ぎるセブンシーズを恨めしそうに眺めていた。
「泉さん、明日こっち来てくれるって」
「ああ……。そうなんだ。この前、追い返しちゃったから会いづらいな……」
「まぁ、謝ればいいよ。そんなに気にする人でもないからさ」
姉も泉さんも互いに公開はしているらしい。やはりこの2人は似ている。
夜の国道はガランガランだった。道路沿いにあるのは派手なイルミネーションのラブホテルとコンビニぐらいだ。左手に見える海が穏やかに揺れている。月明かりが水平線を照らし、水面は黄金色に輝いていた。
右手には原子力研究所の大きな門が見えた。ここを過ぎれば鉾田市に入る。
「父さんのコンビニ見るのも何年ぶりかな……」
姉は呟いた。高校時代私がアルバイトしていたコンビニエンスストアが右手に見えた。かつてはピンク色だった看板も今は、緑と青の看板に変わったようだ。
「私も辞めてからはいかなくなっちゃったね。たぶん、知り合いもほとんど残ってないんじゃないかな?」
「だろうね。あんたも茉奈美も麗奈もよく長いこと働いてたよ。感心しちゃうね。私なんか1日で首だったのに」
姉はアルバイト初日に店長……。お父さんに首にされていた。彼女はビックリするほどレジ打ちの才能がなかったのだ。今はすっかり飲食店でも働けるらしいけれど、当時の彼女はとかく接客が苦手だったのだ。
コンビニの丁字路を右に曲がる。ここは広域農道で、私にとっての生活道路だった。
「今回は茉奈美たちには会ってられそうにないね……。ってかそれどこじゃないけどさ」
「そうだね……。お姉大丈夫? 明日普通にしていられる?」
「ん? 大丈夫だよ。この前は気が立ってたけど今は冷静だからさ」
きっと泉さんと会ったとき、姉はかなり取り乱したのだろう。気持ちは分かる。私だって同じ状況なら取り乱したはずだ。
そのまま車は闇に吸い寄せらるように農道を走り抜けていった――。
「ただいま」
姉は玄関を開けると大きな声で言った。
「おかえりなさい」
私はそれに答える。
それから私たちは簡単な夕食を済ませた。姉が東京駅で買ってきてくれたローストビーフ、私が作り置きしていたポテトサラダ。そんな簡単な食事。
「お姉先にお風呂入っちゃって! 私まだやることあるから」
「うん。ありがとう」
脱衣所から姉の鼻歌が聞こえた。聞いたことのある曲だ。たしかナントカっていうロックバンドの曲。
私は自室に戻ると、今日届いた荷物を開いた。中には1冊の絵本と梱包材で包まれたペンタブレットが入っている。
私は絵本を手に取るとパラパラ捲ってみた。樋山さんらしい可愛らしい鬼たちが顔を覗かせる。
大江山ワンダーランド。黒田さんがストーリーを考え、樋山さんが描いた作品。
「ルナー。上がったよー。ちょっと入っていい?」
ドア越しに姉の声が聞こえた。
「うん。いいよー」
「んじゃ、お邪魔します」
自分以外の人間を自室に入れるのは本当にひさしぶりだ。父さんの葬式でさえ、誰も入れなかったし、姉だって5年ぶりぐらいだと思う。
「勝手にシャンプー借りたよ。あらら、めっちゃ散らかってんじゃん! 珍しい」
「ちょっと届いた荷物開けてたんだ……」
「ふーん……」
姉は興味があるのかないのか分からない返事をした。
「明日は早いから今日はすぐ寝るよ。お姉の部屋も綺麗にしといたからね」
「あい、さんきゅ! あーあ、今更だけど緊張するな」
緊張するという割に姉はリラックスしているように見えた。昔からこうなのだ。緊張していてもあまりよく分からない。
「大丈夫……。だと思うよ。私も覚悟は決めたよ。お父さんの隠し子だからってその子が悪いわけでもないからね」
「そうね……」
姉は腑に落ちないような言い方をした。腑に落ちるわけがないのだけれど。
大江山ワンダーランドを握りながら、私はため息を吐いた。
今年1番くらいの深いため息を――。




