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57.聖子 胡蝶の夢遊病

 京極裏月に追い出されてしまった。考えてみれば流石にまずかったかもしれない。

 いきなり「あなたの腹違いの弟なので引き取って下さい」なんて普通に生活していたらまず言われないだろう。

「あの? どうされました?」

 京極さんの部屋の前で立ち尽くしていると30代くらいのスーツ姿の男性に声を掛けられた。彼はボサボサの髪に黒縁メガネで見るからにだらしなかった。

「いえ……。何でもないです」

「……。失礼ですが京極さん中に居ます?」

 どうやら彼は京極さんの知り合いらしい。

「ええ」

 私がそれだけ答えると彼は京極さんの家のインターフォンを押した。

「失礼します! 新栄堂の高橋です! 資料お持ちしました」

 彼はインターフォンのカメラに向かってそう言った。

 しばらくの沈黙の後、インターフォンのマイクから京極さんの声が聞こえてきた。

『すいません。今居留守です! ポストに入れといてもらってもいいっすか?』

 居留守? 京極さんはわけの分からない返答をした。

 しかし、彼は一向に気にしてはいないようだ。

「はいはい。じゃあ入れとくんで書類に目を通しておいて下さいね! 捺印もお願いします」

 変わった会話だ。この高橋という人物にとってこの会話は日常的なものなのだろうか?

 私は自分でも分かるくらい顔をしかめた。おそらくかなり怪訝な顔になっただろう。

「ハハハ、どうもどうも。京極さんってこういう人だから気にしない方がいいですよ。……。ってあなたには関係なかったですよね」

「はぁ……」

 気に入らない男だ。妙にヘラヘラしていて、人を小馬鹿にした話し方をする。

 私がそんなことを思っているとヒカリくんが手を強く引っ張った。

「お姉ちゃん……。お腹空いた」

「え? ああ、そうだよね……。朝から全然ご飯食べてないもんね」

 よく考えてみれば私もヒカリくんも朝から何も食べていない。

「あの……。良かったらご一緒にお食事でもいかがですか? 近くに上手いハンバーグ屋があるんですよ」

 その男は急に私たちの会話に割り込んできた。

「え? 何で?」

 私は今日一番不機嫌な声を出した。

「いや。だってお子さんお腹が空いたみたいですし」

 いよいよ意味が分からない。この男はいったい何を言っているのだろうか?

 京極さんに叩き出された上にこんなよく分からないおっさんに絡まれるなんて本当に最悪だ。

「お姉ちゃん……。ぼく、ハンバーグ食べたい」

 ヒカリくんはそう言うと雨に濡れた柴犬のような目で私を見つめた。

「ほら! お子さんだってそう言ってるんですから! ね? どうです? 別にあなたを取って食おうってんじゃないんですよ。ただ、僕も食事まだだったのでついでと思いまして……」

 やれやれだ。何て野郎だろう。

 結局、私はヒカリくんのお腹のせいでその男と一緒に食事する羽目になってしまった。

 本当に最悪だ――。


 そのハンバーグ屋は高田馬場駅の近くにあった。コンクリート打ちっぱなしの外観で、新しいのか古いのかよく分からなかった。

「ここ上手いんですよ。あ、僕、高橋っていいます。広告代理店で営業してます」

「そりゃどうも……」

 ハンバーグ屋の店内はとても簡素だった。カウンター席はなく、ビニールのテーブルクロスの掛かった4人掛けのテーブル席が6台あるだけだ。

「お! 高橋くん。いらっしゃい」

「どうもです!」

 どうやら店主は彼と顔見知りらしい。

「高橋くん運がいいねー。今日は大田原の良い肉入ってるよ」

「ほえー。マジですか! そりゃ楽しみだ」

 それから高橋さんは「じゃあ、ちゃっちゃと注文しちゃいましょう」と言って私とヒカリくんを窓際の席へ座らせた。

 席に着くと私たちは各々注文した。私と高橋さんはハンバーグステーキ和風ソース、ヒカリくんはお子様ランチ。

「いやぁ。すいませんね。急に……。京極さんどんな感じだったか聞きたくて」

「へ?」

「いや……。初対面の方にこんなこと言うのもどうかと思うんですが……。彼女最近忙しくてイライラしっぱなしなんですよ。こうやって書類だけ届けて門前払いとかしょっちゅうでしてね。なので、失礼を承知で彼女の状態をお聞きしたかったんです」

 彼はそこまで話すと襟を正して私に頭を下げた。

「そうなんですね……。私も今日初めて京極さんにお会いしたので……」

「へー。初対面でしたか。何か訳ありですか? あ、もちろん言いたくなけらば言わなくて結構です!」

 よくしゃべる男だ。素直にそう思った。

「説明するのは構わないですが……。すごく長い話になります」

「ええ、構いませんよ。むしろ長い話大歓迎です!」

 彼はそう言うと口元を緩めた。


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