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49.裏月 ヘカテーブレイク⑧

 私は病院の待合室で永遠のように長い時間に閉じ込められていた。

 隣にはジュンもいる。

 医師や看護師たちは病院での慌ただしい日常の中で泳いでいるようだ。

「お待たせしました」

 黄緑色のスクラブを着た外科医が私たちに一礼する。

 それから彼は大志の容態について事務的に説明した。

 出血が多いこと、神経が損傷したこと……。そんな内容。

 なぜこんなことになってしまったのだろう?

 私は理解できなかった。

 ここ2時間の間に色々ありすぎたのだ――。


 思考が正常に働くようになってから、少しずつ理解が追いついてきた。

 たしか私は……。

 『バービナ』のメジャーデビューの祝賀会をしていて、大志と近所の公園に出掛けたこと。

 そのとき、酷く酔っていたこと。

 酔った勢いで大志に愛の告白をしたこと。

 そして……。

 

 《鴨川月子が松田大志を包丁で何回も刺したこと》


 を私は思いだした。

 その時、私の頭は恐ろしいくらい落ち着いていた。

 刺した月子さんのことを憎いとも思わなかったし、大志の肉体に対する不安もなかった。

 私に出来ることはただ、大志に寄り添うことのみ……。

 彼はまるで死んだように眠り続けていた。

 その姿は生と死の境界を彷徨う人形のようにも見えた。

 私は彼に他愛のない話を延々と話し続けた。

 大志のドラムの改善点やジュンとこれからどうやってスケジュール調整するか……。

 七星が言うことを聞かないという愚痴もこぼしたりした。

 彼は静かに息をするだけで私に言葉を返したりはしなかったけれど……。

 私はふと自分の生きてきた道をたどるように彼に過去の話を聞かせた。

 家庭や学校でのコンプレックスを止めどなく話し続けた。

 医師や看護師はそんな私を哀れみを込めたような目で眺めては通り過ぎていく。

 それでいいのだ。

 彼らには分からない。彼らは『まともな人間』なのだろう。

 私はキョウジンのようにただひたすらに彼に語りかける。

 私は完全に独りだった。

 誰もいない。誰も私のことなど理解しない。

 私は理解と共感と同情について考えた。

 共感などただの独りよがりの勘違いで、同情などただのさげすみに思えた。

 理解……。

 これに関してだけ私は理解できる気がした。

 コトワリガワカルトカイテ『理解』

 《理》なのだと思う。

 傷をなめ合うでもなく他人を蔑むわけでもなく。《理》が《解》ることが大事なのだ。

 そんな取り留めのない思考が私の頭をメリーゴーランドのように回る――。


 大志が目を覚ました時、私は演技を始めた気がする。

 終わることのない演技を。

 その時、私はピエロになると決めたのかもしれない。

 幕が上がり、『バービナ』というサーカスを率いる道化になったのかもしれない。

 私はそう思うことしか出来なかった。

 完全に壊れてしまったのだ。

 壊れた道化になってしまったのだ……。


 それから1ヶ月後、『バービナ』は無事にスタートした。

 無事、《壊れたピエロ》がスタートした――。

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