3.聖子 論より物証
その日、私と伊瀬さんは京極さんを迎えに行くために茨城へと向かっていた。いつもどおり、彼が運転席、私は助手席だ。
「泉さんあの子に入れ込みすぎじゃないの?」
運転席でハンドルを握りながら伊瀬さんは私に話しかけてきた。伊瀬さん越しに見える鹿島灘は雲間から差し込む光を反射して輝いている。
「へ? そうすかね? 私的には普通ですけど……」
「ならいいけど……。泉さんは感情移入しすぎる質だからさぁ。人助けは結構だけど、たいがいにしないと身を滅ぼすことになるよ?」
伊瀬さんはそれだけ言うと黙って運転を続けた。
私はそんなに京極さんに入れ込んでいるだろうか? 確かにまだ年増いかない女の子ではあるけどそこまで入れ込んでいるつもりはない。
そういえば、兄にも似たようなことをよく言われる。歳が離れた兄はまるで父親のように私を可愛がってくれていた。
そんな兄だけれど、私と違って冷静であまり感情を表に出さない人だった。
そんな大人びた兄だからなのかもしれないけど彼はいつも私を黙って助けてくれた。両親(主に母)に辛く当たられたときも私が見ていないところでフォローをしてくれているようだ……。
私がまだ小学生の頃。
当時の私は今よりずっと大人しく人見知りで、友達もなかなかできないような子供だった。クラスの中でもあまり目立たないようなタイプで、相当大人しく見えたのかもしれない。
そんなパッとしない少女時代を過ごしてきたのだけれど、私が4年生に上がるときに父親が脱サラして起業した。それまで勤めていた醤油工場を退職し、畑違いの設備屋になったのだ。(最近になって知ったことだけれど、父は昔から工務店をやりたかったらしい)
父が起業したことで私の家庭は予期せぬ方向へと向かっていくことになる……。
起業当時はまだ仕事も軌道乗っておらず、借金もかなりあったらしい。その当時の父はいつも不機嫌そうな顔をして金策に走り回っていた。
その上、母親はそのストレスからホストクラブにはまって余計な借金まで作ってしまった。そんな訳で私の家は恐ろしく貧乏になってしまったのだ。
父の会社が火の車だという話が私のクラスで噂になるまでそこまで時間が掛からなかった。(彼らの親たちはそんなどうでもいい他人の家の話を面白おかしく話していたのだろう)
子供とは残酷な生き物だ。他人の家の不幸を本当に他人事のようにからかいたがる。
私が両親のせいでそんな誹謗中傷を受けるのはある意味当然だったのかもしれない。そんなクラスメイトからの心無いからかいで私の幼少期は傷ついていった……。
でも兄だけは常に私の味方でいてくれた。今思えば、彼もクラスでそのことを言われているはずなのだけれど、私の前ではそんなことはおくびにも出さなかった。
「あんまり気にすんなー。みんながみんなお前をからかうわけじゃないんだろ?」
幼い私に兄は優しくそう言って頭を撫でてくれた。
「でもお兄ちゃん……。私悔しいよぉ」
私は半べそをかきながら兄に慰めてもらっていた。
「聖子は優しいからなぁ。でもそんな気にすることないよ」
兄はそう言うと私のつたない愚痴を包み込むように黙って聞き続けてくれた……。
その後、幸いなことに父の会社も軌道に乗り始め、どうにか借金も返し終えた。まぁ一筋縄ではいかなかったけど、どうにか経営危機は乗り越えることができたようだ。(残念なことにその借金が原因で両親は離婚する羽目になった訳だけど……)
今思うと私がそこまで落ちずに生きてこられたのは兄のおかげだろう。兄が私を支えてくれなければ私はもっと酷い道に進んでいたような気がする。
そんな兄は今、父の手伝いをしながら設備屋で働いている。今でも私のことが気がかりなのかよく連絡をくれる。
「なぁ聖子……。お前は優しい子だけどさぁ……。自分が困ってまで人助けするのは考えたほうがいいよ」
これが兄の口癖だった。
彼の中ではいくつになっても私はまだ子供なのだろう……。
物思いに耽りながら車に揺られていると京極さんの家のあるH市内に入った。彼女の家まであと少しだ……。
私はなんとなく、兄に改めて感謝したい気持ちになっていた……。