38.月姫 かぐや姫は月に帰りました⑨
樋山さんは昨日と同じように懐かしそうにしている。
彼女は母の事が余程忘れられないようで、私を通して母を見ているようだった。
「そう、エリちゃんが私のアシスタントになってからの話だったわね……」
そう言うと、樋山さんは母との思い出を話し始めた。
高嶺さんがアシスタントになってから私の仕事は一変した。
今まで外注していた作業もある程度、彼女に割り振るようになったし個人事業主から会社の代表になってやることも増えた。
「高嶺さん今日からお願いね!」
「はい! よろしくお願いします!」
彼女は緊張しながらも笑顔を浮かべていた。
思い返せば私も緊張していたのだろうと思う。
出版社との打ち合わせも今まで通りにはいかないだろうし、人が増えたとはいえ仕事が減るわけでは無い。
これからは資金面も今よりシビアになるだろう。
でも不思議と不安だとはあまり感じなかったのだ。
緊張こそするものの、その不安を補ってあまりあるほどの強い味方が私には居る。
「とりあえず、次回作の企画を決めましょう! それから役割分担ね!」
「はい! 頑張ります!」
高嶺さんは本当に誠実に私をサポートしてくれた。
最初、右も左も分からず不安だっただろう。
でも、彼女は嫌な顔一つせず私に手を貸してくれた。
彼女と一緒に作品を作り上げていくのがすごく自然な事だと思えた。
確かに今まで1人でも問題なかったけれど高嶺さんが隣に居ることが当たり前のように感じられたのだ。
正直な話、高嶺さんの成長スピードはそこまで早くない。
でも、絶え間なく歩き続けるように彼女は成長していった。
そんな高嶺さんの姿に私は襟を正したい気持ちになった。
自分では真摯に仕事に打ち込んでいるつもりだったけれど慣れに甘んじていたと痛感したのだ。
彼女と仕事を始めてから半年ぐらいすると、私のアトリエも軌道に乗り始めた。
高嶺さんは仕事に慣れて、少しずつノウハウを身に付けたようだ。
「エリちゃんもすっかり仕事覚えたわね!」
「いえいえ、いつも失敗ばっかりで申し訳ないですー」
「大丈夫よ! 私だって失敗する事あるし、それよりも色々挑戦してるのがすごいと思う!」
半年経っても彼女の謙虚さはあまり変わらなかった。
最初は自信が無いだけかと思っていたけれど、どうやらこれが彼女の素の性格らしい。
「そろそろイラストのお仕事やってみる? 実はお客さんからイラストカット頼まれてるの! 良かったらエリちゃんがやって欲しいんだよね!」
その当時、私は絵本出版とは別にイラスト制作の副業をしていた。
メインの仕事の収入と比べるとお小遣い程度だけれど、少しでも家計の足しになればと思って始めたのだ。
「え!? ダメですよー!! 私なんかに大事なお客さんのイラスト描けません!」
彼女はすごい勢いで首を横に振った。
「大丈夫! そんなに注文うるさいお客さんじゃ無いから! 当然描いた分のお金は高嶺さんにあげるし、もし相手が何か言ってきたらちゃんと対応してあげるから! ね! お願い!」
どこかで打算のような物もあったのだろう。
私としては彼女をいずれ独立した絵本作家にしたかったのだ。
だからこそ少しでもお客さんに寄り添う絵を描く仕事をして欲しかった。
今回の依頼も相手が望むモノを学ぶ良い機会だと私は考えていた。
私の押しに負けたのか高嶺さんは最終的にその仕事を受けてくれた……。
それから高嶺さんは黙々と創作活動に打ち込んでいた。
かなり試行錯誤していたようで、机には消しゴムのカスが大量に散らばっている。
今回の依頼内容は保育園の看板に使うイラストだった。
昔、私の息子が通っていた保育園でそこの園長とはイラストを通して今も付き合いがあったのだ。
保育園の看板の古くなったので新調するらしい。
それでついでに絵も変えようという話のようだ。
「フフフ、だいぶ悩んでるわねー」
「そうなんですよー。お客さんの依頼がアバウト過ぎて余計悩んじゃいます……」
園長の依頼は毎回アバウトだった。
今回も『子供たちと動物が遊んでいる可愛らしいイラスト』としか言われなかったのだ。
慣れている私であればそこまで考えることもなく取りかかるだろう。
でも高嶺さんは相当頭を抱え込んでいるようだった。
「そんなに考え込まなくてもいいのよ? 好きに描いてお客さんに渡してから手直しするのが良いと思う」
「ですよね……。よし!」
それから高嶺さんはすごい勢いでラフ画を5、6枚描き上げるとそのまま保育園へと出掛けていった……。
結論から言うと高嶺さんのイラストは無事完成した。
高嶺さん自身あまり深くは考えていなかったようだけれど、わざわざ保育園まで来てくれたのが園長としては嬉しかったらしい。
あとで園長から聞いた話だと彼女はそれはそれは熱心にイラストの要望を聞いたそうだ。
それから程なくして彼女はイラストを描上げた。
幼稚園児の男の子と女の子が動物に囲まれているイラストだ。
構図としては有り触れているイラストだけれど、そこ居る男の子と女の子の表情はとても生き生きしていた。
文学的に表現するとしたら『瑞々しい』という表現がぴったりだと思う。
「高嶺さんすごい! 園長も大満足だったみたいよ!」
私は彼女の肩を揺すりながら声を掛けた。
当の本人はただ静かに微笑むだけだったけれど……。
そんな笑顔に私は少しだけ不安を感じた。
この謙虚さが彼女の将来に影を落としているような気がしたのだ……。
今思い返せばその予感は半分当たっていた。
残念な事に世間には悪い人間が居るのだ。
そう思い知らされたのはそれから数ヶ月の事だった……。




