26.月姫 かぐや姫は月に帰りました⑤
私は高嶺さんに呼び出された近所の喫茶店へと向かった。
私が行くと彼女は喫茶店のカウンター席に1人ぽつんと座っていた。
「お忙しいのにすいません!」
「大丈夫よ! あなたこそお仕事大丈夫?」
「大丈夫です……」
彼女は普段見せないような寂しい表情を浮かべてる。
喫茶店の店内はガラガラだった。
この喫茶店は個人経営のようでオーナーらしき人物以外店内に居なかった。
「早速で申し訳ないんだけど……」
「はい!」
私たちは情緒的でも何でも無く言葉を交わした。
イエスかノーかそれだけだ。
「どうかしら? 高嶺さんにも生活あるだろうから無理強いはしないけど……。やってくれる……?」
高嶺さんは俯いていた。
だが迷っている様子は無い。
それは彼女の顔つきから察することが出来た。
「ずっと……。夢見てきたんです。でも今までは踏み切る勇気が持てなかったんですよね……。私不器用で人に迷惑掛けてばっかりですし……」
「うん……」
私はそれだけ言って彼女の言葉の続きを待った。
「すごく悩みました……。小さい頃から絵が好きで樋山先生の絵本みたいな絵を描きたいとずっと思ってたんです……。だから……」
「だから……?」
「樋山先生! 一緒に描かせてください! むしろ私からお願いします! ずっとずっと昔から先生と一緒に絵本を作りたかったんです!」
高嶺さんの目からは大粒の涙が流れた。
嬉しい誤算だった。
まさか彼女の方からこんなにやりたがってくれるとは思わなかったのだ。
「ありがとう! すごく嬉しいわ!」
「わぁー。やっと言えましたー! だっで自分に自信がないんでずもん」
泣きながら話す彼女の言葉は濁点が混ざっている。
彼女がそこまで感情的になるのを見たのはその日が初めてだった……。
樋山さんはそこまで話すと大きなため息を吐いた。
「本当に懐かしいわ……。ウチに来たばかり頃のエリちゃんは本当に可愛かったのよ……。今のあなたを見てると生き写しのようだわ……」
彼女は私の中に母の姿を写しているのだろう。
「えーと……。それから母は樋山さんのアシスタントになったんですね……?」
「そう! そうなのよ! それでね……」
樋山さんがそこまで言いかけると黒田さんが遮るように割って入ってきた。
「先生! もうお時間が……」
「え? ああ……。そうね……。ごめんなさい京極さん……。これから予定があるのよ」
彼女は壁に掛かっている時計に目をやると残念そうに首を振った。
時間がないのでは仕方ない……。
「今日は母の話を聞かせて頂きましてありがとうございました」
「ええ、こちらこそ。懐かしい話が出来て楽しかったわ……。あの京極さん?」
「はい?」
樋山さんは鞄から1枚名刺を取り出すと私に手渡してくれた。
「もし時間あるときにでも連絡ちょうだい! もっと色々お話したい! あなたが時間あるときで構わないから!」
「あ……りがとうございます……。じゃあ今度上京するときにご連絡差し上げますね」
美術館のカフェに戻ると里奈さんが絵本を読んでいた。
「すいませーん。お待たせしましたー」
「大丈夫だよー。けっこう長かったねー」
私たちはもう一杯だけお茶を追加注文した。
お茶を飲みながら里奈さんにさっきの話をする。
「そっか……。なんか運命的だねー」
「ですよねー……。なんか話が中途半端だったんであとで連絡してみます……」
美術館デート(?)が終わると里奈さんは私を横浜駅まで送ってくれた。
「じゃあねー。またおいでー」
「はい! また近いうち遊びに来ますね!」
近いうち……。
果たしてこれるだろうか?
私はその日のうちに電車と高速バスを乗り継いで地元へと戻った。
家に着く頃には完全に深夜の時間帯だ……。
「ただいま……」
独り言のように呟く。
当然返事は無い。
私は自室に入るとベッドに横になった。思わずため息が溢れる。
それにしても不思議な1日だった。
里奈さんとただ遊ぶだけのつもりだったのに思わぬ人から母の話を聞くことになってしまった……。
寝転がりながら本棚に目をやると母の『月の女神と夜の女王』が目に入った。
私は起き上がり、美術館で買った2冊の本をその横に並べる。
「これでよし……と」
買ってきた本を並べると何か欠けていたピースが埋まったような気分になった。
今度上京したら樋山さんに会いに行こう……。
いつになるかは分からないけど。
そんなことを考えていた……。
その時だ――。
私の携帯に予想外の人物から連絡が入った。
着信の相手は『松田大志』。
姉のバンドのドラマーだ。
「もしもしー。大志さんお久しぶりですー」
『あ、ルナちゃん!? ごめん夜遅くに大変なんだ!』
何やら大志さんは取り乱している。
「どうしてんですか?」
『ウラが! ウラがステージで倒れちまったんだ!』
一瞬何を言われているのか理解できなかった。
姉が……。倒れた……?
「え!? なんでですか? 怪我?」
『今病院で検査してるとこだよ……。命には別状はないと思う』
大志さん自身も動揺している……。
前言撤回だ。
翌日にはまた上京することになってしまった。
また私の有給休暇が消費されてしまうだろう……。
姉は果たして無事なのだろうか?
疲れているはずなのにその日は一睡もすることが出来なかった――。




