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22.月姫 かぐや姫は月に帰りました③

 サイン会が終わると私は高嶺さんと食事に出かけた。

 新宿にある洋食屋。

 私はここをよく利用していたのだ。

「いらっしゃいませ。樋山様いつもご利用ありがとうございます」

 店内に入ると支配人の福田さんが私たちを案内してくれた。

 彼とはかれこれ10年以上の付き合いになる。

「こんにちはー、急な予約ごめんなさいねー」

「いえいえ、樋山様のご予約であればいつでも歓迎です。ではこちらの席にどうぞ」

 福田さんは私たちを窓際の席に案内してくれた。

 席には手書きの予約の札が立っている。

「ありがとう。今日はお任せのコースでよろしくお願いします」

「はい、かしこまりました。ではごゆっくりお過ごしください……」

 福田さんはそう言うと深々と頭を下げる。

「な、なんかすいません……。こんな素敵なお店に連れてきて頂いて……」

 高嶺さんは酷く緊張していた。

「ああ、大丈夫よ。この店はそんなに気を使うお店じゃないの! 支配人さんも優しい人だからそんなに緊張しないで」

「は、はい。ありがとうございます」

 高嶺さんはあまり都会での生活に慣れて居ないようだ。

 さっきのサイン会もそうだけど見るからに緊張していた。

 本当なら彼女はもっと落ち着いた場所が好きなのだろう。

 それこそ、人っ子1人居ないような森の方が彼女には合っている気がする。

「本当に今日はありがとう。お陰でサイン会も大盛況! 高嶺さん効果はすごいわ」

「えー! そんなそんな! 私はただ本受け取って先生に渡してただけですよー」

 彼女はすごい勢いで首を横に振った。

 高嶺さんの謙遜は度が過ぎていて卑下に見えるレベルだった。

「高嶺さんは謙虚よねー。もっと自信持っても良いと思うわよ……」

 店内ではドピッシーのオルゴールの音色が流れていた。

 この店のオーナーはクラシックが好きで毎日違う作曲家の曲を流している。

 月の光のメロディはさっきまで慌ただしかった私の気持ちを落ち着かせてくれた。

 高嶺さんも音色に耳を澄ましている。

「お待たせいたしました……」

 ゆったりと過ごしていると前菜のサラダが運ばれてきた。

 福田さんは野菜の種類とドレッシングについて丁寧に説明してくれた。

「さ、いただきましょうか」

「はーい! 頂きまーす」

 高嶺さんはプチトマトを美味しそうに頬張る。

「おいしぃーですー」

「そうね。喜んで貰えて私も嬉しいわ」

 この店のサラダは私にとってもお気に入りだった。

 ドレッシングも人参を使った自家製のようだ。

「ずぅーと野菜不足だったので助かりますー。忙しいとどうしても自炊さぼっちゃうんですよねー」

「1人暮らしだとそうよねー。ウチは旦那と子供がいるから無理して作るけど、私も1人だったらそうしちゃうと思う」

「先生すごいですよねー。家事と仕事の両立とか私には出来そうにないです……」

 お世辞でも嬉しい。

 でもどうやらお世辞ではないようだ。

 高嶺さんは嘘を付くのが相当下手なのだ。

 というより嘘が付けない。

「ありがとう。意外と必要に迫られると出来るようになるものよ。高嶺さんだっていい人見つけて子供が出来たらきっと出来ると思う」

「んー……。正直あんまり自信ないですね……。結婚とか漠然としすぎてますし」

 彼女は何かを探るように上を見上げた。

「私も高嶺さんくらいのときはそんな感じだったわ。でも気がついたら今の旦那と出会って結婚してた……。結局あんなの勢いなのよね……。まぁ私は今の生活に満足してるし、旦那にも感謝できてるから幸せだけどね」

 今の旦那と出会ったのは25歳の頃だ。

 その時勤めていた会社でたまたま出会ったのだ。

 出会って2ヶ月めくらいに彼から気持ちを伝えられた。

 結婚を前提に……。的な普通の告白。

 私も嫌じゃなかったし堅実な彼なら良いと思ったのだ。

 だから普通に交際することにした。

 打算的だと言えば打算的だったと思う……。

 彼はいつも私のことを気遣ってくれた。

 身体の相性も悪くはない……。

 当時は相当周りからも冷やかされていた。

 下世話な同僚にはいい話のネタだったのだろうと思う。

 どうやらお似合いのカップルに見えるらしく同僚にはいつも結婚の話を振られていた。

 だからという訳ではないが何となく結婚した……。

 ああ、なんという『なんとなく恋愛』だろう。

 ちなみに旦那は今もその会社に勤めている。(私は寿退社した)

「勢い……。ですよね……。私もいい人居るといいんですけどねー」

「高嶺さんなら素敵な人見つかるわよ。絶対いい人と出会えると思う」

「だといいんですけどね……」

 高嶺さんは恋愛があまり得意ではないようだ。

 彼女の容姿は本当に可愛らしいと思う。

 一見素朴そうだけれどよく見るとかなり整った顔をしていた。

 それでも彼女自身は自分に自信がないらしい。

「そういえば、私の本持ってるんだったわね? 何の本かしら?」

 私は気になっていたことを彼女に聞いてみた。

 高嶺さんの年代だと持っている本は限られている。

 おそらく私のデビュー当時の作品だろう。

「実は今日持ってきてるんです……」

 彼女はそう言うと鞄から1冊の絵本をとしだして私に手渡してくれた。

 見覚えのある表紙。私のデビュー作だ。

「へー! まさかこれだとは思わなかった……。だってこの本世間にあんまり出回ってないのよ?」

「私の小さい頃にお爺ちゃんが買ってくれたんです……。近所の本屋さんでどうしても欲しいってだだこねて買って貰いました」

 私は自身の処女作を手に取ってマジマジと見た。

 タイトルは『月の女神と夜の女王』。

「ルナヘカねー……。これは私にとっても特別な作品なのよ……。描くとき本当に辛かったなぁ。まだノウハウもないし、コネクションもなかったから必死だったのよね」

「ルナヘカ?」

 彼女は私の言葉を聞くと首を傾げた。

「ああ、ごめんなさい……。あなたも読んだでしょうけど、登場人物の名前から私はそう呼んでるのよ。ルナとヘカテーは私がこの世に生み出した最初のキャラクターだから……」

 ルナとヘカテー。

 私にとって最初の登場人物にして、実の娘のような存在……。

「うんうん! 2人とも素敵な女の子だと思います! ルナちゃんはすんごく健気だし、ヘカテーちゃんは大人っぽくて素敵ですよね」

「そうなのよー。私はどちらかと言うとルナに思い入れがあるのよねー。あの子の方がきっと私に近いんだと思う……。どちらかというとヘカテーは私の理想かな……」

 現実と理想。

 その両極の少女を私は描きたかったのだ。

「わかります! 私も感情移入しやすいのはルナちゃんですね」

 私は本当に嬉しかった。

 読者にここまで読み込んで貰えるのは絵本作家冥利に尽きる。

「そうよねー。私も高嶺さんはルナに近いと思う。すごくお姫様っぽいし、性格もルナに近いと思う」

「えー!? そんなそんな! もったいないですよー」

 高嶺さんはまた激しく謙遜している。

 やっぱり可愛らしい。

 それから私たちは会話を楽しみながら運ばれてくる料理を味わった。

 彼女は本当に美味しそうに料理を頬張っている。

「んー!! 美味しいですー!!」

「本当にあなたは美味しそうに食べてくれるわねー。シェフも喜ぶと思うわ」

「だって本当に美味しいんですもん! あー、シアワセ!!」

 気が付くとドピッシーの演奏は一回りしたようだ。

 再び月の光が流れ始める。

「今日は本当にありがとうございました。最高の1日過ごせて幸せですー」

「こちらこそありがとう。また来たいわね」

「そうですね! あ、あの……。1つ頼みがあるんですけどいいですか?」

 高嶺さんは恥ずかしそうにしながら言葉を探っている。

「なぁーに? 何でも言ってごらん?」

「えーとですね……。ずっとやりたいなーって思ってたことありまして……。何て言うか……」

 一体何が言いたいのだろう?

 私は彼女の言葉の続きを黙って待った。

「あの! もし! もし私に子供が出来たらですけど、先生の作品から名前貰ってもいいでしょうか?」

「え? 名前?」

「そ、そうです! ずっと小さい頃から思ってたんです! 女の子産まれたらルナって付けたいなーって……。もし2人生まれたらヘカテーって付けたいなーって……」

 予想外な申し出だった。

 結婚さえ未定の彼女からそんな言葉を聞くとは……。

「いいわよ。是非付けてあげて! その前に旦那さんだけどね……」

「そ……うですよね……。ごめんなさい。結婚さえ全くなのにそれだけは決めてたんです」

 彼女は顔を真っ赤にしながら手で顔を仰いだ。

「でも嬉しい……。ありがとうね。でもなー……。ルナはともかくヘカテーはかなり難しい名前だと思うけど……」

「大丈夫です! もう当て字も決めてあります!」

 そう言うと彼女は紙ナプキンに漢字で2つの名前を書いた。

 月姫(ルナ)。

 裏月(ヘカテー)。

 あまりにも突飛な名前だ。

「すごく個性的ね……」

 正直に言おう。

 私の感性では理解し得ない当て字だった。

「ですよね……。でもどうしてもあの絵本から名前が欲しかったんです」

 それから彼女は当て字の意味を教えてくれた。

 表側の『月』のお『姫』様だから月姫。

 『裏』側の『月』の女王様だから裏月。

 なぜ『表月』でルナににしなかったのだろう?

 そんな疑問を持ったが、それ以上彼女に聞かなかった。

 おそらく理由は『なんとなく』だと思う。

「高嶺さんらしいって言えばらしいわね……。でもどうせなら双子ちゃんだといいわね」

「そうですね! 女の子の双子だったら最高です!」

 高嶺さんはそう言うとニッコリと嬉しそうな笑顔を浮かべた……。

 デザートまで食べ終わる頃にはすっかり外は暗くなっている。

 新宿の街のネオンが目に痛いくらい眩しい。

 私たちは福田さんにお礼を伝えると店を後にした。

「じゃあね高嶺さん。また来週!」

「はい! 来週また教室で」

 私たちは新宿駅の改札で別れた。

 彼女の後ろ姿を見送りながら私にはある思いが浮かんでいた。

「さてと……」

 私は独り言のように呟く。

 来週彼女に会ったら今思っていることを伝えよう……。

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