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12.月姫 ウサギとカメのデットヒート⑥

 山下公園を出た私たちは私鉄に乗って目的の美術館へと向かった。朝から電車移動が多かった私はつり革に捉まりながらウトウトしてしまう。

「ルナちゃん大丈夫-? 疲れたよね?」

「え? あ、すいません。久しぶりの遠出だったので少しウトウトしちゃいました」

「疲れちゃうよねー。お父さんも亡くなって間もないし、仕事も忙しいんでしょー」

 里奈さんは心配そうに首を傾げながら私の瞳を覗き込んできた。姉の言うとおりかなり可愛らしい人だ。

 都市部の電車だけあって車内は混み合っている。私の地元のローカル路線とは大違いだ。やはり私は地元のような田舎の方が性に合っている気がする。

 美術館の最寄り駅に到着した私たちはそのまま目的地に直行した。美術館は駅の目の前だ。

 美術館の庭は西洋風の庭園になっていた。天使やギリシャ神話の神々の白い石像が芝生の上に並んでいる。

「えーと……。あ、見てみてルナちゃん! あの石像!」

「なんとなく予想はできてます。変わった女神像ですよねー。名前は……」

 その石像は3人の女神が合体したような像だった。手には松明のようなものを持っている。石像の台座には『Hecate』と彫られていた。

「私も初めて見たよー! これがギリシャ神話のヘカテーなんだねー」

 里奈さんは興奮気味にそう言うと眼を輝かせて私の肩を揺すった。本当にいちいち仕草が可愛らしい人だ。

「ネットで画像見たことはあったんですよ。でも実物見るのは初めてです。なんかすごい女神ですよねー」

 それから私たちは姉の名前の元ネタの女神像を横目に美術館の館内へと向かった。さよなら夜の女王様。

 館内に入ると叔父に貰った企画展のチケットを係員に渡して展示場へと向かった。

「ふぅー……。やっと人が少ないところに来れましたね……」

「うん! ちょっと休憩しようか?」

 私たちは展示場内のベンチに座ると荷物を下ろした。

 美術館の真っ白な漆喰の壁には絵本の原画が額縁に入って展示してある。全体的にパステルカラーの可愛らしいイラストが多いようだ。

「可愛い絵が多いねー。私もちっちゃい頃はよく絵本読んで貰ってたんだけど、大人になって見るのも悪くないね!」

「私も絵本大好きなんです! 小さい頃は描くのも好きでよく描いてました」

「え!? ルナちゃん絵とか描けるの?」

 私が何となく言った一言に里奈さんは予想外な反応を示した。そんなに意外だろうか?

「描けるってほどじゃないですけど、描くことは好きですねー。中学時代は美術部だったんですよ。高校に進学してからは忙しくて描かなくなっちゃいましたけどね……。今でもデッサンは好きです」

「すごーい!! 私は絵なんて全く描けないから尊敬しちゃうよー」

「いえいえ……。あくまで趣味レベルですよ。でも久しぶりに描いてみるのも楽しいかもしれませんね」

 日常に追われてすっかり忘れていたけど、私は絵を描くのが幼い頃から好きだった。幼少期にはいつもスケッチブックとクレヨンを持ってお姫様や動物を飽きることなく描いていたのだ。

 思い返せばそんな創作欲求は中学時代まで続いていた。おそらく、高校受験がなければ今でも描いていただろうと思う……。

 一休みを終えると私たちは館内に展示してある原画を鑑賞して回った。国内の作家の他に海外の作家の作品もあり、なかには不気味な絵本もたくさんあった。

「あー! すごいよー! これ飛び出す絵本だね!」

 里奈さんが指さす先には不思議の国のアリスの飛び出す絵本がガラスケースの中に展示してあった。絵本からトランプが虹のように飛び出し、白ウサギが驚いた顔をしている。「いいですよねー! アリス好きなんですよー! ルイス・キャロルの作品って見ていてすごくワクワクします! 好きすぎて何冊も持ってるくらいなんですよー!」

 私もすっかり絵本の世界の虜になっていた。展示してある作品すべて宝物のように見える。やっぱり私はこの絵本の世界観が好きなのだ。叔父さんありがとう。

 順路に進んで展示を見ていくと何やら行列が出来ている。

「なんだろーねー?」

 里奈さんは行列の先を背伸びするような仕草で見ると私の方に向き直った。

「なんかサイン会っぽいよ! たぶん絵本作家さんじゃないかなー?」

 よく見ると行列に並ぶ人たちの手には本が握られている。どうやら物販で買った絵本にサインをして貰っているようだ。

「里奈さん? サイン貰ってきてもいいですか?」

「いーよー! 私も貰いたーい」

 私たちは物販コーナーに行って絵本を選ぶことにした。

「わー! みんな可愛いねー! どれにしよーかなー」

 里奈さんは子供のようにはしゃぎながら絵本を選び始めた。

「迷っちゃいますよねー……」

 そうやって絵本を探していると見覚えのある表紙が目に飛び込んできた。確かこれは私の家にある絵本と同じイラストだ。タイトルは『つきのめがみとよるのじょおう』。

 私はその絵本を手に取って中身を確認した。間違いなく私の持っている絵本と同じ物だ。あまりの驚きに私はその絵本を手に取って固まってしまった。

「じゃあ私はこれにするねー! ルナちゃんは決まったー?」

「え? あ、はい?」

 里奈さんに声を掛けられて思わず手に取っていた絵本を落としそうになる。

「おっととと、大丈夫ルナちゃん?」

「だ、だいじょうぶです! この絵本ウチにもあるやつだったんでビックリしちゃいました……」

「え! やったじゃん! 知ってる作家さんの絵本だなんてラッキーだよ!」

 里奈さんの前向きな言葉とは裏腹に私は相当テンパっていた。この絵本だけは私にとって本当に特別な絵本なのだ。

 結局私は絵本を2冊買うことにした。1冊は『つきのめがみとよるのじょおう』もう1冊は『ウサギとカメのデットヒート』という絵本だ。『つきのめがみとよるのじょおう』は私の家にある本だけど巻末が破けてしまっていた。この絵本に関してはネットや書店でまず見かけないので今回買い直すことにした。

 もう1冊の『ウサギとカメのデットヒート』は単純に可愛いイラストだから買うことにした。どうやら内容は童謡『ウサギとカメ』をアレンジしたような作品らしい。(タイトルがめちゃくちゃな気もするけど……)

 本を買うと私たちはサイン会の列に並んだ。里奈さんは大事そうに絵本を抱えて列が進んでいくのを楽しんでいるようだ。

 列が進んでいき、遂に私たちがサインを貰う番がやってきた。

 絵本の作家さんは70前後の女性だった。彼女は真っ白なショートヘアーをしている。彼女の横にはアシスタントなのか気弱そうで華奢な男性がスーツ姿で立っていた。

「あの! サインお願いします!」

 本を手渡すと彼女は私を見上げるように視線を上げた。

 その瞬間――。

 時間が止まったように彼女は静止した。私は彼女の瞳に吸い込まれそうになる。彼女は何か得体の知れない物を見るように私のことを静かに凝視していた。

「先生? 大丈夫ですか?」

 横に居た男性が心配そうに彼女に声を掛ける。

「……。なんでもないわ白石君……。ごめんなさいね……。ちょっと知り合いに似ていたから驚いただけよ」

 彼女はアシスタントの男性と私に謝ると気を取り直してサインを書いてくれた。

「2冊も買ってくれるなんてありがとうございます。宛名どうしますか?」

「……。せっかくなのでお願いします。名前は京都の『京』に南極の『極』、夜空の月の『月』にお姫様の『姫』です」

 我ながら自分の名前の説明にはいつも悩まされる。一発で説明が上手くいったためしがない。

 私が自分の名前を説明すると彼女は酷く驚いた表情を浮かべた。

「失礼だけど、あなたの名前の読み方って『ルナ』じゃないかしら?」

 今度は私が驚いた。一発で私の名前の読みがわかる人間に出会うのなんて初めてだ。

「そうです! すごいですね! 私の名前を間違えないで読める人に会ったの初めてです!」

 私がそう応えると彼女は何か納得したように肯いた――。

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