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昏い水溜まり  作者: ジャスミン弐式
7/7

34~42(最終章)

34.

 どうしても朝寝の癖が治らなかった。

 平日は市場の開く9時前には、どうしても起きねばならぬと眠気を振り払って起き上がっていたのだが土日にはそういった強制力はなかった。

 昨日は朝の6時に起きてゲームをひたすらいじっていたのに、その分を清算するようにだらだらと布団の中にいた。

 これで夜眠れなくなり、月曜日の睡眠不足は確定であった。ゲームの体力も溢れっぱなしだ。いつもこの負の連鎖である。

 日曜は日曜で人と会う約束があるのだ。12時の鐘を聞いたらさすがに起きなければならない。

 うとうととしているのだが、外から凄まじい笑い声や、絶叫、子供の奇声が飛び込んできてその度に眠りの淵から引きずり戻される。

 増山家、改め川内家が人を集めてバーベキューでもやっているようだ。

 ここ数年経験していない規模のうるささだった。

 寝ていられないのなら起きてしまえばいいのになぜか布団の中にいた。

 

 12時の鐘で飛び起きる。もう支度をしないと間に合わない。

 まずは少しは腹になにか入れることだ。

 そうしないと食欲が暴走し、この後の外出でしこたま食べてしまう。

 デザートを三つも四つも頼み、「寿司屋なのに」と相棒に笑われる。

 階段を駆け下りてまずは髪をまとめようと洗面所へ駆け込んだ。

 浴室への扉は換気のために開け放たれている。

 その浴室の窓はこれまた換気のために全開になっている。

「おおー!」

 川内家では賞賛の歓声が上がっていた。誰かが芸でもしたのだろうか。

 てきぱきと髪をまとめ、歯を磨いた。


 炊飯器を開けると、昨夜炊いたさくらごはんがふんわりといいにおいを放った。

 少し食べていこう。

 それにしても、バーベキューか。

 自分はバーベキューセットを持っていない。そもそも呼ぶほど友達がいない。

 声をかけて喜んできてくれるのは相棒くらいか。

 たった二人きりでバーベキュー。滑稽もいいところである。

 

 相棒が付くまでゲームをいじっていた。

 やがて相棒から着いたの着信がある。

 買ったばかりの赤いツヤツヤのカバンを引っ提げて家を出た。


 外はカラオケでラルクを歌う歌声と、手拍子が響いていた。


 自宅の塀の向こうにちんまりと白い自動車が止まっている。

「おまたせ」

 軽く窓ガラスをノックして自動車に乗り込む。

 助手席に座った自分に相棒がさっそく、

「ねえ、隣、カラオケ?すごいね」

 そう言って笑っている。

「うん、バーベキューか何かしてるみたい」

 自分も笑った。

 

 日常とは、こうやって徐々に形を取り戻していくものかもしれなかった。


「探偵と相棒もののミステリを読んでいたと思ったら、いつの間にか世界を揺るがす巨悪との異能バトルになっていた件」

「どうしてこうなった、どうしてこうなった」

「前作は普通だったのにな!」

 十分に休日を満喫した二人と、戦利品を積んで、夜の国道を小さな白い自動車がトコトコ走る。

「今日は美味しかったなー」

 自分は満足げにため息をついた。

「それはよかった」

「デザートが美味しかった。お寿司は普通」

「まじかー」

 はっと思い出したように、

「あ」

 相棒が言った。

「何?」

「宅配ボックス、忘れてたー」

「あー、なんかそんなこと言ってたね」

「どう?まだ要る?」

「うーん」

 少し悩んでから、

「別に要らないかな?」

「そう?」

「買い物好きじゃないけど、野菜とかお肉とか直接見て買いたいんだよね」

「そっか。砂利は?」

「砂利はいいってば」


 いつものように相棒がドアを開けてくれるのを待って車を降りた。

 隣の敷地からはまだ歌声が響いていた。

 この辺では夜中と言っていい時間帯である。少し驚いた。

 砂利を踏みしめながら二人で庭を歩く。

 玄関へたどり着き、家の鍵を開けた。

 荷物で両手のふさがった自分の代わりに、相棒がドアを開けてくれた。

 家の中へ滑り込み、相棒が、

「すぐ鍵かけてね」

 お決まりの文句を言う。

「あいあいさ。おやすみ」

「おやすみ」

 相棒が発車するのを玄関で待つまでが儀式だ。

 タイヤと地面がこすれる音を聞いて、玄関を上がった。


 壊れたヘッドホンを片付け、新しく買ってきたヘッドホンを接続した。

 色は自分の好きな赤だ。

 試しにモーツアルトを聴いてみた。

 少し高かったが、違いがわからない。

 わからなかったが、モーツアルトを聴くと脳が気持ちいい。

 ゲームを起動し、今日の戦利品の中からキャラメルポップコーンを取り出して封を開けた。

 ポップコーンを齧り、モーツアルトを聞きながら、ちまちまとゲームの消化を始める。

 その片手間に、オークションの注目している出品者に新たな出品がないかチェックもした。

 ハレの日の終わり、日曜日の夜。



35.

 10時になった頃、一人が帰ると言い出し、それにつられるようにみんな帰っていった。

 後片付けは明日妻が一人でやると言い、彼は軽く網と鉄板を水洗いし立てかけておいた。

 明日は仕事だ。本当は土曜日にやりたかったが、皆の都合が合うのが日曜日だったので仕方ない。

 あくびが出た。

 思えば買い出しなどで午前中から働いていたのだ。

 さっさと風呂に入ってもう寝てしまおう。


 風呂に入ったらタバコが吸いたくなった。

 妻から室内絶対禁煙を申し付けられている。

 寝ている妻の横を通り過ぎて、静かにベランダへの窓を開けた。


 メビウスの8ミリをくわえ、火をつける。

 目の前には隣家が見えた。

 すべての窓から明かりは消え、おそらくもう寝ているのだろう。

 あたりを見渡すと、ぽつりぽつりと明かりのついた窓が見えた。

 煙をゆっくりと吐き出し、視界の隅に何か蠢くものがあることにふと気づく。

 庭だ。

 うちの庭の真ん中で何かがもごもごと動いている。

 最初はネコかと思った、が大きさが全然違う。

 まさか熊か。

 それはゴミを入れたゴミ袋のようであった。が、月明りを反射しない。全くの漆黒だった。

 ぐにぐにと蠢き、時折ぬーっと伸びあがる。

 彼は室内に戻り、静かに一階への階段を降りた。


 彼以外はもう眠ってしまったのだろう。

 家の中はひっそりとしていた。

 起こさないように静かにキッチンへの引き戸を開ける。

 キッチンの明かりをつけた。ブーンと蛍光管が鳴った。

 水切りバスケットの中に包丁があった。キッチンの照明を受けて鈍く輝いている。

 それを手に取ると、キッチンを出て再び静かに階段を上がった。


 寝室まで戻ってきてそっと扉をあける。

 

 いた。

 

 ベッドの中にそれはいた。

 真っ黒な何かがベッドの上でもごもごと蠢いている。ご丁寧に布団までかぶっていた。

 彼は迷わず包丁を「それ」に向かって振り下ろした。


「ピエー!」

 動物のような声で「それ」は鳴いた。

 激しく蠢き、壁際に這いずる。

 躊躇せず二度、三度と包丁を振り下ろすとやがて大人しくなり、全く動かなくなった。


 寝室を出て隣の部屋の扉をあける。

 また、いた。

 さっきより小ぶりだった。

 布団をかぶりもごもごと蠢いている。

 包丁を見てみると黒い何かがべっとりとついていた。

 さっきのやつの体液だろう。

 構わず包丁を振り下ろした。


 大漁だった。

 大きいのを1匹、小さいのを3匹やった。

 奴らの体から噴き出た体液で、服も、手も真っ黒だった。

 洗面所に入って明かりをつけた。

 黒い液体は顔にまで飛んでいた。

 洗面台脇に包丁を置き、真っ黒になった手を洗った。

 洗面台に流れる水は見る見る黒くなり、排水口へ吸い込まれていった。


 手を洗い終えると、リビングにおいてある電話の前まで行き、

 受話器を取って、110番を押した。



36.

『4日午前1時ころ、男の声で「家族を殺した」と110番通報がありました。C警察署員がX県A市の男の自宅を訪れたところ、刃物でめった刺しにされたと思われる妻と子供3人の遺体を発見。現場からは凶器と思われる包丁が見つかっており、庭にいた男が犯行を認めたため、同署は男を殺人容疑で現行犯逮捕しました』



37.

 ベランダで洗濯物を一枚ずつ広げて干していた。

 干し終えてあたりを見渡す。

 新しく越してきた家族たちが全滅したあと、元増山家にはまた敷地入り口にロープが張られた。

 しばらくそうしていたのち、重機がやってきて更地にしていった。

 がらんとした風景の真ん中で、おじさんがラジオ体操をしている。

 一連の事件で地価も下がっただろう。

 財産が目減りしたのを感じてがっかりした。



38.

 便器と布団しかない鉄格子の部屋で、少年はぼうっと宙を眺めている。

 


39.

「へーい!」

 叔父が掛け声をかけながら憲太にボールを投げる。

「へーい!」

 憲太は奇声に近い声を上げて受け取ったボールを投げ返した。

 叔父は再びボールを投げ返してくる。

 が、憲太はそのボールを取り落とした。

 花を摘んでいた従妹がいつの間にか庭の中央で何かを見ている。

 それに気を取られたのだ。

 従妹の見下ろしている足元には、黒くて大きな水溜まりのようなものが広がっていた。

 その水溜まりの表面が時折むくっと盛り上がる。

「これ、なんだろうー?」

 舌足らずな声で従妹が声を上げる。

 興味を引かれた。

 グローブをはめたまま走り寄ろうとした、その時。

 黒いその水溜まりから、真っ黒な影のようなものが、大人の背ぐらいにぬーっと伸びあがった。

 走り寄ろうとした憲太は思わず足を止めた。

「おい!」

 叔父が声を上げる。

 その時憲太は見た。

 伸び上がった黒い物体の天辺がぱっくりと割れた。

 淵にはぎっしりと白いものが並んでおり、生物の口のように見えた。

 息を飲む間もなく、黒い口が従妹に覆いかぶさる。

 ばくんと黒い物体は口を閉じ、

 閉じた口の端から従妹の靴がぽろり、ぽろりと転がった。

「あー!」

 憲太はようやく悲鳴を上げた。

 叔父がこちらに走り寄ろうとしていた。

 だが目にも止まらないような速さで黒い物体が襲い掛かる。

 叔父は一気に腰のあたりまで飲み込まれた。

 飲み込んだ叔父を、黒い物体はぶんと振り上げ、飲み下す。

 ざくりという音が響いた。憲太の目の前で叔父も靴だけになった。

 憲太の悲鳴を聞きつけたのか、叔母が家屋から出てきた。

 黒い物体はすかさず、体を叔母のほうへ伸ばす。

 悲鳴を上げて憲太は駆けだした。

 日中は常に開け放たれている玄関に駆け込む。

「どうしたの」

 悲鳴を上げながら駆け込んできた憲太に驚いて、腰の悪い祖母が仏間からよちよちと出てきた。

 憲太の目に涙があふれた。

 言葉にできず、祖母のもとへ飛び込んでいこうとする。

 その瞬間、憲太は目にした。

 ゆっくりと仏間の障子の間から首を伸ばす黒い物体を。

 憲太は悲鳴を上げ、踵を返す。

 祖母は憲太の悲鳴の意味も分からないまま黒い物体に飲み込まれた。

 階段を駆け上がり、父母の寝室へ駆け込む。

 そこにある大きなクローゼットに転がり込み、内側から扉を閉じて体を縮める。

 そうして震えていた。

 いつまでも、いつまでも。



40.

 少年は絶叫を上げた。

 今では駆け付けるものは誰もいない。

 冷たい白い部屋で、少年は悲鳴を上げ続けた。

 いつまでも、いつまでも。



41. 

 勝手口を開けていた。

 誰かがそこに訪れたからだ。

 訪れたのは、亡くなったはずの妹であった。

 妹は何かを訪ねてきた。

 全く聞き取れない。人の言葉ではなかった。

 声の調子から質問であるらしかった。

 なぜかその質問の意味がわかったように感じた。

 それはとても恐ろしくおぞましいものであった。

 少し俯き加減の薄笑いを浮かべた妹の表情が、この上なく邪悪なものに思えた。

 いけない。

 妹はこうあるべきではないのだ。

 妹は時折夢に訪れて、何かしらのメッセージを残していく、天使のような存在であるべきなのだ。

 だから願った。

 これは妹ではない、と。

 すると妹は消え、立っていた場所に大きな黒い水たまりのようなものが残された。

 黒くて、昏い水溜まり。

 水溜まりから黒くて太い丸太のような塊が伸び上がり、生き物が呼吸するように、伸びたり縮んだりしてそこにいる。

 自分は心の中で命ずる。

「お前にあげるものはここにはなにもない。他所に行け」

 すると黒い塊はふっと姿を消し、生垣を挟んで隣の家の庭に再び姿を現した。

 それを確認して、勝手口のドアを閉じた。

 


42. 

 病室の入り口に薄い色をしたブロンドの青年が花束を持って立っている。

 青年はそっとベッドに近寄った。

 ベッドには若い女性が寝ている。

 こうして眠っていると、少女と言って差し支えなかった。

 青年は静かに枕もとに花束を置いた。

「君の好きな花を持ってきたよ」

 青年が呟くように言った。

 青年は手を伸ばし、彼女の髪をすくう。

 しかし彼女は目覚める気配はない。

 青年は続ける。

「ずっと、待ってるから。いつまでも、待ってるから」

本来はここで終わりだったのですが、続編が降ってきたので近日公開いたします。

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