29~33
29.
3時まで寝ていた。
お昼どころかおやつの時間だ。
なかなか布団から出る気が起きず、うだうだとタオルケットを抱きかかえたまま寝返りを打っていた。
すぐ4時になるだろう。
外は雨が降っていて、部屋の中は薄暗い。
そういえば、ここ最近夢を見ていない。
最後に夢を見たのはいつだっただろうか。
いつだったのかは覚えていないが、夢の内容は覚えている。
鳥になって他所の山まで飛んでいき、ミカンを盗み食いした。
真っ青な皮のミカンは見るからにすっぱそうだったが、つついてみるととてもさわやかな甘みが口いっぱいに広がった。
いい夢だった。空を飛ぶ夢はレアだ。
自分は夢を見ない日がほとんど無いほどよく夢を見る方だ。
だから夢を見ないのは珍しかった。
しかし、人は毎日必ず夢を見ている。
それを覚えているか、覚えていないかなのだ。
うれしそうなスタンプとともに相棒からラインが届いた。
【今度こそ最強の犬デッキが完成したぞ!】
【まだやってたんだ、戦国卑猥なゲーム。おめでとう。うちの水ゾPTと戦わせよう】
そこで思い出したことを送った。
【やっぱり台風こっち向かってきているから、明日来ないでね】
返事はすぐにあった。
【いやだ;;行く;;】
【長く運転してくるのに危ないから言ってるの】
【やだー!;;】
聞き分けのない相棒に、普段引きこもりの自分が週末出かけるのはどれだけ大冒険か、それがどんなにわくわくするか、普段どれだけ楽しみにしているか。どれだけ感謝しているか、明日の中止がどれだけ苦渋の決断であるか、こんこんと説き伏せた。
どうにか相棒を宥めて、自分は台風に備えることにした。
直撃すれば明日は一日雨と風だろう。
二階の雨戸をすべて閉めることにした。
カーテンを開け、雨戸を引き出すために窓も開ける。
そこで、向かいのパン屋に黄色いものが見えた。
黄色い合羽を着て、おじさんが雨の中ラジオ体操をしていた。
おじさんは今日も頑張っている。
できるだけ音をたてないように、静かに雨戸を閉めた。
地震に備えているため水は十分保存されている。
食べるものも作り置きがあるため、台風の間くらいは買い物に出なくても困らなかった。
念のため手作りのコロッケも作って夜に備えた。
夜になるといよいよ雨と風が強くなってきた。
コロッケを齧りながら、いつものスレッドを訪れた。
〔ちょっと田んぼ見に行ってくる〕
〔フラグですね。わかります〕
〔マックスバリューのコロッケ高っ!〕
〔増山宅で行方不明になった人はちゃんと家に帰れたかな〕
〔帰れてないなら今頃あまざらしだろうな〕
事件も何も起きないものだから、皆は雑談するようになった。
初めのころは色々な推理や妄想、陰謀説が書き込まれたが、今は鳴りを潜めている。
〔H海岸は封鎖されたかな?さっき走ったときは波が道路まではみ出してた〕
〔あぶねーな、そんなところ走んなよ〕
〔避難準備情報ktkr〕
〔なんか急にピザ食いたくなってきたー〕
〔迷惑な奴だな。コロッケでも食ってろ〕
〔コロッケ食べたーい〕
〔食べたーい〕
〔コロッケ食べてる〕
〔増山宅に爆弾を仕掛けた〕
〔コロッケ食べた〕
〔は?〕
〔今なんて?〕
〔増山宅に爆弾を仕掛けた〕
〔大事なことなので〕
〔やめろー!警察が来るだろ!〕
〔通報しますた〕
〔そんなとこに仕掛けて、何が目的だよ〕
〔よりにもよって増山宅に爆破予告とか、捕まりたいとしか思えん〕
爆破予告から30分くらいしたころだろうか。
家のチャイムが鳴った。
うんざりしながらインターホンのモニターを見ると、合羽を着た男が2名立っていた。
『C警察です』
「お隣に爆発物が仕掛けられてるとネットに投稿がありました。避難所が開設されているのは放送でご存知かと思います。そちらの方へ避難してもらえませんか?」
「ええ、怖い…。そうします」
初めて聞いたという顔をして返事をした。
大したものはないがまとめた貴重品と、避難用リュックを背負って合羽を着た。
玄関を出たら露出した顔に容赦なく雨粒がぶつかってくる。
爆弾処理班らしき人々が合羽を着て作業しているのが見えた。
こんな台風の日に自分も含めこれだけの人数の手を煩わせている阿保な投稿者が憎かった。
お前が爆発しろ、このやろう。
30.
避難所として提供されたB公民館にはぼちぼち人が集まっていた。
ほとんどが世帯単位で、それぞれ丸くなっている。
友達同士らしい女の子が二人壁際で雑談していた。
自分のように単身でやってきて所在なさげにスマホをいじっている者も何人かいた。
ラジオ体操のおじさんも警察に促されてやってきたのだろう、一人で座っていた。
自分はスレッドをチェックしたり、まとめサイトを見たり、音楽を聴いたりして誰とも会話することなく過ごした。
強制避難させられた自分を憐れんで、相棒がちょくちょくラインをくれた。
31.
帰宅が許されたのは翌日朝6時ころであった。
直撃を免れたのか、雨は降っておらず、外は強い風だった。
警察が言うには、不審物は見つかったが爆発物ではなかった。投稿者はもう特定され事情聴取を行っているとのことだった。
32.
〔こんにちは。事後報告だけどいい?〕
〔なんの人かな?〕
〔肝試しに行って一人いなくなったやつだけど〕
〔おお、見つかったんか?〕
〔そいつの連絡先知ってるやつ見つかって、そいつの家に連絡したらあの日から帰ってなくて、仕事にも行ってないってことがわかった。捜索願出したら、すぐ見つかったみたい。増山宅近くの私有地を彷徨ってるところを警察が確保したんだって。でもそいつ、両親のことも、友達のこともわかんないみたいで、今日入院することになったらしいって連絡がきた。たぶん精神病棟。何があったんだろう…〕
〔はいはい嘘乙〕
〔釣りだと思うならそれでもいいよ。一応相談したから、報告するのが礼儀だと思ったまでだから。それじゃ〕
33.
増山家事件は、特に捜査になんの進展も見せず年末を迎えてしまった。
スレッドの雑談も少なくなり、たまに推理班を名乗るものが来ては推理を披露して帰っていった。
普段から少しずつ掃除をしているので、大掃除は窓を拭く程度で済んだ。しかし家中の窓を一人で拭くというのはなかなかの大仕事であった。
大晦日、手巻き寿司を作り、相棒とささやかな祝宴を居間で上げた。
それから正月の三が日をすぎた頃、花屋が燃えた。
花屋は半焼状態だった。
自分の家に近いところが特に黒く焼け落ちていた。
さすがに家から出て消火活動を見守った。
家には誰もいなかったらしく、怪我人も死亡者もゼロだった。
花屋はしばらくその無残な焼け跡を晒した後、解体業者によって更地にされた。
またある日、相棒からの情報で、増山宅に世界的に有名ななんとかかんとかという霊能力者がリーディングを行うテレビ撮影があるということで野次馬しに行ったことがある。
大きめのバンからブロンドの白人女性が降りてきて、一言二言英語でしゃべったかと思うとかぶりを振ってバンへ戻ってしまった。
ほほう、そういう演出なのか、と見ていたが彼女が再びバンから降りることはなかった。
撮影機材を広げていた人たちも次々片づけて帰ってしまった。
テレビ局は嫌いだが、これは少しがっかりした。
増山宅からは相変わらず爆竹を鳴らしたり、ロケット花火をあげたり夜になるたびに人の気配がした。
気味が悪いので防音カーテンをオーダーメイドして勝手口に吊るした。
するとたまに感じる刺すような視線もなくなった。
そんな増山宅に新しい入居者らしき人々が荷物を運び込んでいるのを目撃したのは5月の終わりころ。目玉が飛び出るかと思った。
どんな事情があってここに住もうと思ったのだろうか。
「こんにちはー」
そう言って笑顔でお辞儀したのは髪を明るい茶色に染めた若い女性だった。
女性の後ろに立った、若い男性も続けてお辞儀をする。
二人ともTシャツ、ハーフパンツにクロックスを履いていた。
「隣に越してきた川内ですー。これからお世話になりますー」
そう言って熨斗に包まれたタオルを差し出した。
爪がきれいな水玉模様だった。
「いただきます。こちらこそお世話になります」
自分も頭を下げてタオルを受け取った。
なんとなくだが、あまりお世話になりたくないなと思った。
ハーフパンツにも、クロックスにも罪はないが、なんとなくお世話になりたくないなと思った。
【速報:増山宅に新しい入居者が】
【まじかー】