22~28
22.
「結婚してください」
食事の前に大事な話があるからと言われ、なんだと思って構えていると、姿勢を正して真っ直ぐにこちらを見つめて相棒がそう言った。
驚いてしまった。
「え!付き合ってないのに?」
相棒は顔を覆った。
「うわー!やっぱそうか!なんかそんな気もしてた!付き合ってなかったのかー!」
「あ、セコムとインターホンの代金。領収書」
そう言って手を出すと、相棒はゆるゆると首を振って、
「いいよそれは。プレゼントのつもりだったし」
「そういうわけにはいかないよ。付き合ってるわけでもないのに」
「また言われた!ちくしょう!」
「…なんかそう言われると今日の店、雰囲気あるね」
見渡して言ってみた。
相棒は背もたれにもたれかかっている。
「いいよもお…」
「俺はプロポーズしたからね。そのつもりでいてよね」
帰りの自動車の中で念を押すように言われた。
「ネットで調べたら私たち、別れたほうがいいカップルに当てはまってたよ」
「付き合う前から別れ話かよ」
相棒は少し黙ってからぽつりと言った。
「家にいて欲しいんだ」
それから、
「離れた場所で危ない目に合ってるかもしれない、そう思うのはもう嫌だ」
自分が答えに窮していると、
「四六時中、一緒にはいれないけど、でも守るって約束する」
そう続けた。
相棒は自分の返事を求めてはこなかった。
いつものように相棒が玄関まで送ってくれた。
「セコム忘れないようにね」
顔に指を突き付けて言われた。
苦笑して返す。
「気を付ける」
「おやすみ」
「おやすみ、気を付けて帰ってね」
直ぐにカギを閉めるよう言われ、その通りにする。
いつものように車が発車するのを待って玄関を離れた。
家の裏でハクビシンが鳴いていた。
23.
増山家のビニールシートが取り去られ、代わりにトラロープが敷地への入り口に張られた。
これでテレビ局の襲来も少しは落ち着くのだろうか。
食料の買い出しに出るとき、前方の閉じているパン屋という風景に、ラジオ体操をするおじさんが追加されていた。
パン屋のおじさんだろうか。見慣れないような感じがする。
食料を買い込み、貸金庫に寄って帰ってきたとき、おじさんはまだラジオ体操をしていた。
24.
夜の24時はナウなヤングにはフィーバータイムなのだろうが、すでに夢の中だ。
相棒も承知しているのでラインを送ってくることはない。
自分を眠りから引き戻したのは悲鳴と怒号だった。
雨戸を突き抜けて耳に届いたのは、方角的に増山家からだろうか。
悲鳴に続いて、バタン、バタンと自動車のドアを乱暴に閉める音。
急発進する音が響き、やがて静寂が戻ってきた。
出たよ、肝試し。
熊に食べられてしまえ、DQNども。
25.
【銀杏なう】
相棒からすぐ返事があった。
【いいなあー。ちょうだいちょうだい】
【取りにおいで】
叔父の家におかずを届けに来た叔母が、家に寄って銀杏を置いて行ってくれた。
封筒に入れてレンジで少しチンするだけで食べられる。殻から取り出した銀杏の実はとてもきれいな緑色をしていた。
塩を付けて楽しみながら、スレッドをチェックする。
〔昨夜増山宅へ肝試しに行ったんだけど、裏手の山のほうへ回ったとき、突然一人居なくなった。ライン送っても全然返事ない〕
〔お前らかよ。こんなところに来るんじゃなくて警察池〕
〔夜は静かにしろよ。馬鹿野郎〕
一人置いていかれたのか。かわいそうに。
〔そいつの家には連絡したのか?〕
〔家の番号わからない〕
〔他の奴は?近所の奴とか、同じ学校の奴とかいないの?〕
〔全員社会人。同じ職場の奴はいない〕
〔社会人にもなって肝試しとか恥ずかしくないのかよ〕
みんな暇なのか、新しい事件がなかなか起こらない状況に飽きてきていたのか、相手をしてやっているようだった。
〔銀杏うめー〕
〔くせえからしゃべんな〕
〔もっとくやしくお願いします〕
〔詳しくもなにも、書いたままだよ〕
〔編成と時間帯〕
〔男3人と女2人。合コンで話が盛り上がって俺の車で増山宅を見に行くことにした。0時ころ到着。外から見るだけだったつもりだったけど、入り口にロープが張られてて、誰もいないと思ったから敷地内に侵入した。住居の前を通過して、車庫みたいのがあって、その後ろに山が広がってた。そこで突然、何の前触れもなく男が一人消えた。呼んでも全然返事もなくて、物音ひとつしなかった。そしたら一人の女の子が悲鳴を上げて入り口のほうへ駆けだした。あとは連鎖爆発的にみんな悲鳴を上げて駆けだしてた。
早くここから去らなきゃもっと悪いことが起こるような気がして車を急発進させた。一旦ジョイフル入って、ラインを送ったんだけど、返事が返ってこない。一時間くらいそこにいたんだけど、みんな次の日仕事だから、解散した〕
〔銀杏、おかわり〕
〔おい、食いすぎるなよ。死ぬぞ〕
〔ねえ、なんかこのスレ臭くない?〕
死因、銀杏。だとしてもここの住民なら盛り上げてくれるだろうか。
〔脅かそうと隠れてたら置いてかれて、怒ってるんちゃう〕
〔合コンなら一人くらいそいつの家知ってるやついるだろ。総当たりしろよ〕
〔そうですね。そうしてみます〕
〔地元の精鋭が捜索に出る展開きぼん〕
〔お前がどうぞ〕
〔ここで352が単身増山宅再突入するとかなら、一気に釣り臭くなるんだけどなあ〕
〔ごちそうさまでした〕
26.
久しぶりに雨が降っていた。
しとしとと降る雨音を聞きながら湯に入っていた。
湯の上で揺れるバスライトだけが顔を照らしている。
裏の山で、ギャッ、ギャッ、と悲鳴のような声を上げるものがあった。
ツグミだ。
27.
パン屋の首吊り事件は終結を迎えた。
「事件性はない」とのことだった。
つまり二人の娘は自殺だったと断定されたのだった。
〔首に紐をほどけないようにしっかりと結ぶ。看板をよじ登る。両足で体を支えて、ほどけないようにしっかりと看板上部に結ぶ。ダイブ〕
〔なんのためにそんなことしたんだよ…〕
〔二人とも運動部だったから体力はあったと思われ〕
〔だからって姉妹そろってそんな行動とる理由がわからない〕
28.
3時すぎ。
歯磨きしたい気分になって洗面所へ向かった。
裏庭でヒヨドリがやけに騒いでいる。
父が張ったままにした鳥よけネットにでも引っかかったのか。
そういえば随分長いこと裏庭のハーブを収穫していない。
同時に冷凍庫にしまわれた、とっておきの牛肉のことを思い出した。
クレソンがたくさん収穫できるだろう。
今日の晩はステーキにしようか。
歯を磨き終えると、はさみをもってウキウキしながら勝手口を出た。
勝手口を出たとき、増山家のほうから強烈な視線を感じ、思わずそちらを向いた。
増山宅は雨戸が閉められ、人の気配はしない。
気のせいだろうと思い、裏庭へ回る。
裏庭は父の趣味で果樹園になっているのだが、父が居ない今、自分がハーブを植えたところ以外は雑草が伸び放題だった。
小さなハーブ園へ真っ直ぐ向かう。
その時。
ガサリ。
左手の果樹がうっそうと茂る方から、草を踏み分ける音が聞こえた。
ハッとしてそちらを振り向く。
若い男が立っていた。
反射的に男の両手を確認する。
男は両手をだらりと垂らしていて、何も持っていない。
身なりに気を遣っているといった風な服装だ。
だが異様なことに、男のズボンは泥まみれで枯れ葉が張り付いていた。
「こんにちは」
絞り出すように出した自分の声は震えていた。
「何の御用ですか?」
男は黙ったままだ。
口は半開きで、うつろな目をしている。
「私有地です」
語尾がひっくり返ってしまった。
はさみを落とさないようにしっかりと握りしめた。唯一の武器だ。
男はこちらの言うことが聞こえないのか、まるで自分の存在に気づいてる様子もないようだった。
両手ではさみを構える。
男を真っ直ぐ見たまま、後ろへ一歩下がった。
男はこちらに近づくこともなく、視線を宙に彷徨わせている。
もう一歩後ろに下がる。
男を見つめたまま、一歩、また一歩と後ろへ下がる。
やがて男が完全にこちらから見えなかったところで、向きを変え、勝手口へ走った。
家に上がり鍵をかけると、居間の電話へ走る。
躊躇なく110番を押した。
家の中で震えていると、やがて警察がやってきた。
玄関を開けて対応する。
「大丈夫ですか」
と声をかけられ、膝から崩れそうになった。
裏庭に男がいた旨を伝えると、二人の警官は裏庭へ向かっていった。
風呂場のほうからそっと様子をうかがうと、男はまだそこにいたようだった。
警官は穏やかな調子で男に話しかけていた。
男は黙っているようで、声は聞こえなかった。
やがて表のほうへ回るような足音が聞こえ、再びチャイムが鳴った。
急いで玄関へ行き、ドアを開ける。
「裏に居ました。道に迷っただけかもしれませんので、署に連れていきますが、なにか気になることがあったらC警察署までご連絡ください」
そう言って軽く頭を下げ去っていった。
ホットなニュースだと思い相棒へラインを送ったら、裏庭へ出たときセコムをかけなかったことを散々に責められた。
【何のためのセコムだよ!】