5~7
5.
鳴り響くサイレンにはっと目を覚ました。
火災だ。
すぐに少し離れたところにある家業の店舗の心配をする。
音声をよく聞き取ろうと窓を開けて気づいた。
変なにおいがする。
『火災、発生、火災、発生。場所はA市、Bの』
ここだ。
『B公民館西、100、メートル付近の、建物火災、です』
近い。
が、ここからは見えない。
とりあえず、移動して南側の窓のカーテンを開けてみた。
真正面に見える家が燃えていた。
ごうごう、ぼうぼうと燃え盛る炎に室内が照らされる。
ニュースでしか見たことのない大火災だ。
建物は全部炎に包まれてしまっていた。
すぐに消防車のサイレンが近づいてきて、狭い道を切り返しながら燃え盛る建物のほうへ向かっていった。
自分は何もできず、ここまで延焼はしないだろう位置だったが眠るわけにもいかず、消防活動を黙って窓から見守っていた。
ちらほらと集まった野次馬が、応援の消防車の進行を妨害していた。
バラバラ失踪事件に大火事、人生でもあまりないであろうことを同じ日に経験した。
この土地が呪われたのではないかと現実味のない錯覚を覚えた。
6.
【おはよう。よく眠れたかな?今日も頑張ってね】
【オーライ。そちらも頑張って】
眠い目をこすりながらラインを返した。
結局火事は1時間ほどで消し止められた。
焼け残った家は真っ黒の木炭のようだった。
レスキューも駆け付けていたが、住人は無事だったのだろうか。
着慣れた古びた補正下着に身を通す。もはや補正力が残っているかどうか怪しい。
ルームウェアに着替え、軽く化粧をし、悪あがきのようにエプロンを付けた。
トレーディングルームへ向かい、パソコンの前に腰かけスリープを解除する。
真っ先に検索したのは、A市、火事、であった。
もう検索候補に挙がっていた。
〔2日未明、X県A市で住宅を全焼する火事がありました。焼け残った住宅からこの家の住人と思われる遺体が発見されました〕
死んでいる。
記事を読むと、どうやら母と娘2人が亡くなったようだった。
相棒にラインを送る。
【こっちで火事あった。離れた隣の家が燃えたよ。住民あぼん】
仕事に出たのだろう。ラインは帰ってこなかった。
自分もセッティングして今日の仕事を始めた。
仕事を始めてすぐに家のチャイムが鳴る。
「はい」と一言言ってから、今度はちゃんとチェーンをしたままでドアを開けた。
ドアの向こうに立っていたのはスーツ姿の男性二人であった。
手前に立ったほうが初老で、もう一人は若かった。
初老の男性が警察手帳を見せた。
「C警察署の佐伯と申します。増山さん宅の傷害事件と、大木さん宅の火災について聞き込みをしております。どんな些細なことでも構いません。不審な者や音など、何かお気づきのことはありませんか?」
火災については本当になにも知らなかった。
おずおずと気になっていたことを口にしてみる。
「寝ていたので夢かもしれないと思っているのですが、増山さんの事件があった日、11時くらいに隣の家から声が聞こえました。大人の声と子供の声です」
佐伯と名乗った男ははっとして胸ポケットから年季の入った黒い手帳を取り出す。
「どんなことを言っていましたか?」
「『あー』とか『わあー』とかいう感じの、何かに驚いているような声でした。…あの、夢かもしれませんよ」
「構いませんよ。他にはなにかありませんか?」
「…他には何も…」
「ありがとうございます」
佐伯は一礼すると名刺を差し出して言った。
「他に思い出したことがありましたらC警察署までご一報ください」
自分は一礼して名刺を受け取った。刑事から名刺を受け取るのは生まれて初めてである。
佐伯たちは挨拶をして帰っていった。
名刺を机の端に置くと再び画面に向かった。
またチャイムが鳴った。
刑事が戻ってきたのだろうか。
チェーンをかけたままドアを開けると、
「第一テレビです。お隣の増山さんの家のことで取材に協力していただけないでしょうか」
警察はともかく、マスコミに協力する義理はない。
「そういうの怖いんで、ちょっと、すみませーん」
半笑いでペコペコしながらそのままドアを閉めた。
なぜこちらが申し訳ないような態度をとらねばならないのか。
この後続々とテレビ局が訪れるのであった。
テレビ局の襲来を躱しながらなんとか午前の仕事はこなした。
時計は午後12時を指そうとしている。
服を着替えてマスクを着け帽子をかぶった。
まずは図書館。それから食料調達。
指輪とブレスレッドをつける。貸金庫に寄って交換していこう。次の外出の時違うアクセサリで出かけるためだ。
12時の鐘と市場が閉じたことを確認して家を飛び出した。
家の中にいた時も感じていたのだが、外はざわついていた。
さっさと愛車に駆け寄り、乗り込む。
表の道路へ出ようとするとき、隣の様子が確認できた。
相変わらずビニールシートに覆われ、警察関係者が出入りしている。
それを取り囲むようにテレビクルーが大勢カメラを構えたりしていた。
右折して道路に出た。法定速度で走ってゆく。
2つめの信号に差し掛かろうとしたときだった。
見慣れないものが右の道から駆けてきた。
肌色である。股間に黒く三角があった。
両手を万歳に挙げ、何かを叫んでいるのか大きく口を開けている。
髪を振り乱しながら裸の、おそらく若い、女が走ってきた。
まさか何かの見間違いか。自分は青信号の交差点をそのまま通過した。
バックミラーで見ると女は赤信号の交差点に突っ込んでいった。
どう見ても裸の女だった。
後続の車が轢きそうになり急ブレーキをかけている。
女はそのまま交差点を突っ切って山間部へ続く左の道へと駆け抜けていった。
これ以上バックミラーを覗いていると自分も危険だ。
次の信号で停車したとき、ラインの着信に気づいた。
相棒からであった。
【その土地、呪われてるんじゃない?】
そうかもしれないと思った。
少なくとも昨日から何かが歪だ。
図書館に着いたとき、A市、裸、女、で検索をかけてみたが出会い系サイトが出てきただけだった。
借りていた本を返却ボックスへ入れ、次の本を探す。
吟味している時間は無い。適当に目についたものを一冊借りた。
次は買い物だ。
あらかじめ買うと決めたものだけ素早くかごに入れていく。
ここでも吟味する時間は無い。とにかく早く、安く、正確に。
WAONで支払いを済ませる。
荷物を積み込み信用金庫へ走った。
信用金庫の貸金庫ルームに入り、ようやく人心地つく。
貸金庫を呼び出して、ジュエリーボックスを取り出す。
コツコツと集めた指輪が並んでいる。
一番古い指輪を手に取った。もう10年以上前に母にもらった指輪だ。
亡くなった人々も、こうやって何かを積み立てていただろう。
午後の仕事が始まり、相変わらず聞いたこともない名前のテレビ局が家を訪ねてきた。
ワイドショーが特集を組んでいるだろうか。それを考えるとテレビが無いことが惜しかった。
そんなことを考えていたら勝手口がカチャカチャと音を立てた。
誰かがカギを開けている。カギを持っている母屋に住んでいる叔父だろう。
やがて、
「おーい」
声をかけられた。
「はーい」
返事をしてトレーディングルームを出た。
叔父がビニール袋を持って立っている。
「釣りの土産」
大体お饅頭だ。
「魚は?」
「釣れなかった」
運が良いとヒラメの刺身などが振舞われるのだが、残念だ。
「警察がな、裏の山を熊がいないか調べるって。今、猟友会の人たち連れて入ってったから」
「へえ、そうなの?怖いね。増山さんの家の件?」
「さあ、どうだろうな」
叔父は袋を渡すと早々と勝手口へ戻っていった。
「用がないならあまり外に出るなよ。家にいるときはカギをかけなきゃいけないぞ」
そう言って外に出ると、叔父が勝手口にカギをかけた。
3時になった。
パソコンをスリープにして立ち上がる。
迅速に冷蔵庫から必要なものを取り出してくる。
今日は南蛮漬けのマメアジを子持ちシシャモに変えたら2倍美味しくない?というコンセプトで作るシシャモの南蛮漬けだ。
周りの人間からは不評である。
自分は保存の効くものしか作らない。
ところで警察はまだ熊を探しているのだろうか。
増山さんを食べた熊はきっと一匹じゃないだろう。
ラインが着信した。
【お疲れ様。無事?】
相棒からだ。
【無事じゃなけりゃ返事できないでしょ】
【返事が無かったらそっち行こうかと思ってた】
【返事が無かったら、…来たところで手遅れでしょうな】
【今日のごはんはなーに?】
【シシャモの南蛮漬け】
【…ああ、あの、たまご持ってるやつ】
【その言い方気持ち悪いな】
続けて送信した。
【警察は熊犯人説を支持しています】
【犯人は人間で複数だけど、プロじゃないと思うよ】
【そうなんだ】
【不合理だからね】
【そっちでは噂になってる?】
【ちょっと話を聞いたよ。7人分の足首が見つかったんだって】
【さすが情報が速い。家族マイナス1人分ですかな】
【ガキのいたずらじゃないかって話だよ】
【いたずらにしちゃ大規模すぎない?】
【だからみんなこれ以上追求しません】
シシャモを揚げるため一旦中断した。
今日は鶏むね肉とピクルスを食べて、シシャモは冷蔵庫へ行った。
スレッドをチェックすると夢中になりそうなので、先に入浴を済ませることにした。
勝手口の前を通り過ぎるとき、ドアの向こうから強烈な視線を感じた。
どきりとする。
しかし、気のせいだったのか、ドアの向こうは静まり返り人の気配はない。
その瞬間、何かを思い出しそうになった。
その日見た夢を一瞬思い出しそうになる感覚に似ている。
手繰り寄せようとした瞬間、しゅっと引っ込んでしまう、あの感覚だ。
このドアにカーテンを付けたほうがいいかもしれない。
そう思った。
スレッドの流れを楽しんで23時ころ、そろそろ寝ようかと思ったとき。
ざりざりと車の車輪が砂利を踏みしめる音がした。
うちの庭ではない。手前の空き地だ。
この時間に車が来るのはめずらしい。花屋の息子が飲みにでも行っていたのだろうか。
どうでも良過ぎることだったが、なぜか記憶に残った。
7.
薬で強引に眠らされていた少年は変な時間に目が覚めた。
真夜中だ。真っ暗だった。
何も見えない。月明りさえも差していない。
違う。
目の前に、
真っ黒な、
何かが、