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昏い水溜まり  作者: ジャスミン弐式
1/7

1~4

1.

 どうしても朝寝の癖が治らなかった。

 平日は市場の開く9時前には、どうしても起きねばならぬと眠気を振り払って起き上がっていたのだが土日にはそういった強制力はなかった。

 昨日は朝の四時に起きて友人を家まで迎えに行き、港で朝食を食べるというような普段はしないようなことをしたというのに、その分を清算するようにだらだらと布団の中にいた。

 これで夜眠れなくなり、月曜日の睡眠不足は確定であった。いつもこの負の連鎖である。

 日曜は日曜で人と会う約束があるのだ。12時の鐘を聞いたらさすがに起きなければならない。

 浅い眠りと睡眠麻痺を繰り返しながらタオルを抱きかかえ、体内時計では11時になった頃だろうか。

「おう!」というような大人の威嚇するような怒鳴り声と、

「あー!」と叫ぶ子供の声。

 隣の八百屋からである。

 いつものことだ。この家には土日になると大抵子供が集まる。

 恐らく、家を出て自立した娘、息子が孫を連れて帰ってきているのだろう。

 うるさい子供は好きではない。うるさい大人も好きではない。好きではない音だった。

 この家の者は声が大きい。

 だからいつものことで、いつもの音であった。と、この時は思っていた。

 

 12時の鐘で飛び起きる。もう支度をしないと間に合わない。

 まずは少しは腹になにか入れることだ。

 そうしないと食欲が暴走し、この後の外出でしこたま食べてしまう。

 皿を引き寄せるのも忘れ、ぽろぽろと食べこぼし、全方向が射程だね、と笑われる。

 階段を駆け下りてまずは髪をまとめようと洗面所へ駆け込んだ。

 浴室への扉は換気のために開け放たれている。

 その浴室の窓はこれまた換気のために全開になっている。

 その窓の外がなにやら騒がしいのだ。

 表の通りの音が流れ込んできているものと思われる。

 とっさに気配を殺した。

 メイクも着替えも済んでいない今の状態で訪問があると面倒だ。居留守を使いたい。

 静かに髪にブラシを通し、できるだけ音をたてないように洗顔を始めた。

 

 くしゅくしゅと静かに歯を磨いていると、けたたましいサイレンが近づいてきたのを聞いた。

 その音は近づいてきて、すぐ傍で急に止まった。

 警察か。

 速やかに口をゆすいで、再び二階へ静かに駆け上がる。

 こっそりと自室から外を覗こうと考えた。

 

 自室から外を覗いてもパトカーは見えなかったが、向かいのパン屋のショーウィンドウにくるくると回る回転灯が反射しているのが認められた。

 八百屋に警察が来ている。

 強盗でも入ったのだろうか?

 しかしメインストリートから外れた小さな八百屋に強盗が来るとは考えにくい、と思わせて人通りが少ないのをいいことに襲いに来るのかもしれない。

 なんにしろ警察が訪ねてくるのではないか。

 何か訊いてくるかもしれない、そうであれば何があったのかどう尋ねるのがスマートだろうか。

 そんなことを考えながら再び静かに階段を駆け下りた。


 着替えとメイクまで先に済ませ、炊飯器を開けてご飯の残量を確認したところだった。

 自宅のチャイムが鳴った。

 素早く玄関に移動して鍵を開けた。

 扉を押し開けたところで、強盗だったら?という想像が頭をよぎった。

 しかし時すでに遅し。扉の向こうの人影の全身を認めてしまった。


「こんにちは」

 控えめな様子で頭を下げたのは巡査と思しき若い男性であった。

 自分と同い年くらいではないだろうか。

 どこかで見たことのある顔つきをしている。

「…こんにちは」

 まずは挨拶をした。意味もなくはきはきしていると痛くもない腹を探られるかもしれない。

 突然の警察の訪問に戸惑っているという態度をしめした。

 普通の一般人ならば、権威にはとりあえず怯えたりするものだろうからだ。

 若い巡査は訊ねてきた。

「今日何か、不審な人物を見たり、物音を聞いたりしませんでしたか?」

 来た。と思った。

「…いえ、特に」

 柔らかな物腰を作って訊ねてきた相手に、自分も少しはにかみ気味に答える。

 11時ころに聞いた奇声のことは頭に浮かんだ。

 しかし、いつも聞いている声なのでである。奇声ではあるがいつもの声なのだ、と説明するのが面倒ですぐに打ち消した。

 逆に自分も聞き返す。

「何かあったんですか?」

 こう尋ねるのがもっとも自然だ。

 すると巡査は戸惑ったような態度を示した。

 言いにくそうに、

「失踪事件があったかもしれません」

 強盗。ひょっとして殺人。そんな風に構えていたので拍子抜けした感じになった。

 失踪というのは2~3日姿が見えなくて初めて失踪となるのではないだろうか。

 大体「かもしれません」というのは何なのか。

 そんな風に思ったとき、


「あー!あー!あー!」


 子供の叫び声があたりに響き渡った。

 八百屋のほうから聞こえてくる。

 何かを見て驚いている、そんな感じの声だった。

 繰り返し叫ぶ子供の声に、宥めるような大人の声が聞こえてきた。

 子供の声は「あー、あー、あー」といったんトーンダウンし、やがて、「ひょえー」と「きょえー」を混ぜたような絶叫に変わっていった。


 車のトランクが閉まるような音がして子供の絶叫は止んだ。

 やがて救急車のサイレンが鳴り、離れていった。

 巡査は顔をこわばらせて八百屋のほうを見ている。

 そんな巡査の横顔を息を飲んで見ていた。

 やがて、

「では、またお話を伺いに上がるかもしれませんが、その折はよろしくお願いします」

 巡査は慌てたような調子で一礼すると、八百屋のほうへと走っていった。


 巡査を見送った後、野次馬する勇気も出ず、静かにキッチンでたまごかけご飯を胃にいれた。

 間もなくしてスマホが着信を知らせる。

 相棒からの、着いた報告だった。

 仕上げのリップを塗るとバッグを引っ提げて家を飛び出す。

 外は人の気配を感じたが、ひっそりとしていた。

 

 自宅の塀の向こうにちんまりと白い自動車が止まっている。

「おまたせ」

 軽く窓ガラスをノックして自動車に乗り込む。

 助手席に座った自分に相棒がさっそく、

「ねえ、隣、何かあったの?」

 興奮気味に訊ねてくる。

 予想通りの反応に苦笑しながら、

「わからない。失踪事件だって言ってたよ」

 相棒は意外そうな顔で、

「え。ビニールシート張ってあるよ」

「え?」

「向こうから走ってきたら八百屋の入り口あたり青いビニールで覆われてた」

 相棒は八百屋の反対隣りの花屋のほうに目をやりながら言って、

「まあいいや、ちょっと見てみよう」

 そういって愛車をゆっくりと発進させた。


 左へ曲がり八百屋のほうへ、ゆっくりと徐行で走ってゆく。

 すぐに八百屋入り口が見え、店舗と隣接する住居部分への敷地がほぼ完全に青いビニールシートで覆われていた。

 道路脇にパトカーが2台、警察車両と思われるものが1台、救急車が1台、予想していた野次馬は一人もおらず、数人の警察関係者と思しきものたちがビニールを出入りしている。

 何事だというのか。


「殺人事件ぽいよねえ」

 興味津々といった表情で相棒が言った。

「うちに警官が来たときは失踪事件だって言ったけど、もしかして誰か亡くなったのかな」

 そうであればこの状態にも納得がいく。ただし普通の亡くなり方ではない。何か異常なことが起こったのだ。

 買ったばかりの補正下着が妙に窮屈に感じてきた。

 胸の中に水滴が落ちて広がるように嫌な感じが満ち、それと同時に妙な高揚感が沸き上がってきた。

 いなくなった誰かが死体で出てきた。色々と想像が掻き立てられた。

「もうニュースで報道されているかな?」

 そう相棒が言ったので、

「家に帰って見てみる?」

 と尋ねると、

「いやスマホでいいじゃん」

 と笑う。

 買ったばかりのスマホはいまいち馴染んでなかった。


 走り出すとあとはおしゃべりに夢中で、事件のことはすぐに忘れ去られた。

 食事の最中も、買い物の間も微塵も思い出されなかった。


 買い物で得た戦利品を積んで小さな白い自動車は夜の国道をトコトコと走っていた。

 今日は映画も楽しみ、その内容にも満足していた。

 はっと思い出したように、

「あ、隣」

 と相棒が言った。

「そう、隣」

 相棒のほうを向いて自分も言う。

 相棒が笑いながら、

「ヤスと戦人を名乗っておきながらこれは失態」

「名乗った覚えないよ」

 続ける。

「ずばり、何があったと思う?」

「失踪した人が死体で出てきた」

 あえてスマホを見ない。

 しかし、はっとしてすぐに打ち消す。

「おまわりさんがね、失踪事件が『あったかもしれません』って言ったの。『今日なにか不審な人物や怪しい物音を聞きませんでしたか?』とも聞かれた」

「変な感じがするね」

「今日いなくなったんなら、まずは身内で探すんじゃない?」

「夕方まで心当たりを探して、それから捜索願を出す」

「いなくなったと気づくにまず時間がかかる」

「一人では遊びに行けないような子供がいなくなったのかも」

「それか…」

「何?」

「いなくなったと瞬時にわかる状態だった」

「それはつまり?」

「目の前で消えた」

「…それが後になって死体になって出てきた」

 二人はにやりと笑う。わざとあり得るわけのない状況を分析して面白がっていた。

 相棒が言う。

「心配だから、ちょっとスマホ見てみて。本当に何か悪い事件かもしれないし」

 言われてスマホを取り出し、ニュースの一覧を開いてみる。

「特にそれっぽいニュースはないね」

 まだ報道がされていないようだった。

 自宅が近くなるまで時折更新してみたが、ニュースは見つからなかった。



2. 

 少年は真っ白な部屋にいた。

 床も壁もベッドも。蛍光灯に照らされた自分の手が妙に青白く見えた。

 ここはどこだ。自分は…。

 大きな取っ手が付いた扉が音を立てて開いた。

 看護師さんだ。

 看護師は自分を見ると驚いた表情をして、扉を閉めた。

 軽い足音が響いてどこかへ駆け去っていくのがわかった。

 やがて足音が複数になって戻ってくる。

 軽くノックが響き、扉が再び開いた。

「けんたくん。気が付いたかい?調子はどうかな?」

 そう訊ねたのは、初老の白衣を着た男性。隣には先ほどの看護師。

 そしてその後ろに…。

 けんたと呼ばれた少年は大きく口を開いた。

 そこから迸ったのは恐怖の絶叫であった。



3.

 帰りも八百屋の前をゆっくりと通った。

 パトカーなどはもう引き上げたらしくあたりには一台の車もない。

 時間が遅いからなのか、見物に来ている者はいないようだ。


 自動車から降りると、相棒も車を降りた。

「そこまでだけど送るよ」

 荷物を抱えた自分を、玄関までの数メートル、肩に手を置いて送ってくれた。

「じゃあ、おやすみ。すぐ鍵かけて」

「気を付けて帰ってね」

 特に車に戻るまでの数メートルを。

 言われたとおりに直ぐに二か所の鍵をかける。

 タイヤと地面がこすれる音を確認して、玄関を上がった。


 間仕切りを通り抜けてトレーディングルームへ荷物を運びこむ。

 吟味をするための今日の戦利品を足元に置き、まずはパソコンのスリープを解除した。

 現れたグーグルの検索窓に市名と「事件」と入力する。

 すると今日のニュース記事と、掲示板のスレッドがヒットした。

 スレッドのほうを開いてみる、そこには、


〔集団失踪事件か、殺人事件か、無事だった子供は錯乱状態〕

 

〔10月1日、午前11時ころ、八百屋「富士八」を訪れた近所の住民が、店内に誰もいないのを不審に思い住居部分へ回ったところ、「富士八」の経営者、増山さん及びその家族のものと思われる体の一部が発見された。駆け付けた警察関係者たちが店内及び住居を捜索したところ、増山さんの6歳になる子供を発見。子供がなにかを目撃したものと思われるが、心神喪失の状態で、警察は子供の回復を待って事情を聴く方針〕


 スレッドにはすでに多くの書き込みがあった。

〔体の一部ってなにそれ怖い〕

〔家族って何人くらいがいなくなったのよ。体の一部とやらは全員分?〕

〔一部ってどこ?〕

〔アソコかな?〕

〔生きてないだろ…常識的に考えて〕

 皆興味津々といった感じで好き勝手なことを書き込んでいる。

 そんな書き込みが、ある一言を境にガラリと流れを変える。


〔訪れた近所の住民は俺のじいさん。回覧板をもって店のほうに行ったが誰もいなかったんで住居のほうへ回った。そこで靴が一人前落ちていたのを発見したらしい。なにかおかしい感じがしたのでよく見てみたら、中 身 が 入 っ て い た〕

〔近くに子供の靴と少し離れたところに女性ものの靴が落ちてた。それも中身入り。女性の靴はハイヒールで、人形の足みたいだったって。どれもちょうどくるぶしあたりからすっぱりいってた。じいさん携帯持ってたけどテンパって交番まで走ったらしい〕


〔なにそれやばい〕

〔こわいこわいこわい〕

〔絶対中身の持ち主生きてないだろ〕

〔本体はどこ行ったんだ〕


〔俺近所だけど増山の次男にいじめられてたは。氏んでることを祈る〕


〔近所の人は増山さんの家族構成、早く〕


〔たぶん8人、小学生以下の子供は2人〕


〔1人が発見された子供で、7人がどっか行ったのか。足首を斬り落としたのは逃走を防ぐため?〕


〔馬鹿か。歩けない人質なんて危険なだけだろ。少なくとも3人が足チョンパしたとして、大人一人でも抱えるのにどれだけ力要ると思ってんだ。米袋背負ってるんじゃないんだぞ〕


〔さらう意味が分からない。公共の病院にも行けないだろ。まともな手当もなしに、足首なくした人間は生きていられるの?現場に足を残していくのも意味不明〕


 ディスプレイに小さい蟻が歩いていた。人差し指でとらえて揉みつぶして捨て、もう片方の手で戦利品の袋へ手を突っ込む。

 チーズ味のスナック菓子を取り出した。

 なんとなく買い物かごに放り込んだ新商品のチアシードドリンクも取り出す。

 戦闘態勢は整った。

 適当に流し読み、下までスクロールする。

 姿勢を正し、ピアニストのようにホームポジションへ指を置く。

 いわゆるロム専を今日で卒業できるかもしれない。

 書き方次第で大スターだ。


〔近所の者ですが、10時~11時あたりに増山さんと家族らしき声を聞いています。半分寝ていたので夢かもしれませんが〕


 と、書いたものの夢ではない自信があった。睡眠麻痺で聞く幻聴と現実の声の区別はつく。


〔>>651、それは警察に言ったのか?大変なことだぞ。犯人は複数、それもかなりの人数だ〕


 すぐについたレスは、スレッドを混乱の渦に叩き落した。

 興奮に前のめりになる。

 そこに、また蟻が這ってきた。なんなんだ。画面が甘いのか。苛立ちながら排除する。


〔臓器売買かな?足がない奴隷が欲しい物好きなんて居ないと思われ〕

〔足がない家族ワンセット欲しがるアラブの石油王が居るかもしれん〕

〔さらってからちゃんとした外科手術受けさせるだろ普通…〕

〔悪魔的な儀式を感じる…。異界への扉を開く生贄だ〕

〔足以外もバラバラに一票〕

〔>>651、本当に夢だったりしてな〕


 スナック菓子をつまんでないほうの手でカバンからスマホを取り出すと、机に置いて、利き手でないほうの手でたどたどしく操作する。


【さあ盛り上がってまいりました。A市、事件で掲示板をチェック】

 

 相棒に不謹慎なラインを送る。

 間違いなくウキウキしていた。

 スマホを机に置いたまま、再びスナック菓子をつまみ、ドリンクを喉に流す。

 充実である。


 そんな自分を現実に引き戻したのは十数分後の相棒からのラインであった。


【ねえちょっと大丈夫なの?ウキウキして書き込んでるみたいだけど、大人数の犯人がまだ近くに潜んでるのかもしれないんだよ。戸締りは確認した?】


 漫画のように手からスナック菓子が落ちた。


 わざと狭く作ったトレーディングルームの背後の空間が異常に広く感じた。

 自分は帰ってから真っ直ぐトレーディングルームへ向かい、他の部屋に立ち入っていない。

 風呂場は?トイレは?二階は?

 いつから自宅は自分以外無人だと錯覚していた?

 

 両親はバリだ。

 弟も中国に出稼ぎに行っている。

 叔父は離れた母屋にいる。


 自分は広い家にたった一人だ。


 自分の居ぬ間に鍵を壊してひっそりと押し入った大勢の殺人鬼が、二階に、階段の陰に息をひそめている妄想が頭を支配した。

 戸締りを…。立ち上がってトレーディングルームを出ようとする。シャンプーなどの日用品が入った重たい袋に足を取られ、思わず転びそうになった。

 しっかりしろ自分。

 台所に静かに移動し、包丁を一本取り出した。

 先が丸くなっているものを選んだ。先ほどのように転んで腹にでも刺さったら、第二の事件と言われかねない。


 まずは台所の窓、その隣の窓を確認。

 続いてトレーディングルームすぐ横の窓、その隣の掃き出し窓を付け替えたサッシタイプの引き戸の鍵を確認する。

 玄関に戻って2つの鍵がちゃんとしまっているのを確認した。

 間仕切りを抜け、一番大きな出窓の鍵、トイレとクローゼットが無人なのを確認する。

 そして素早く勝手口に移動。勝手口の鍵、風呂が無人であること、階段下のスペースもちゃんと開けて確認した。

 階段を上がりながら、静けさに自分の鼓動が耳に聞こえるのではないかと思えた。

 二階のトイレ、それぞれの部屋、収納スペースが無人であること、窓の鍵が閉まっていることを確認していく。

 無人である。

 最後のクローゼットを確認して、大きく息を吐きだした。

 息をずっと止めていたかのような錯覚に陥った。


【戸締りおk。無人です。どーぞ】


 相棒にラインを送る。

 ラインはすぐ返ってきた。


【心配だからそっち行こうか?】

【遅いからいいよ。心配しないで】


 遠い道のりを駆け付けて来ようとする相棒を制止した。明日は平日なのである。普通の人は仕事だ。

 踏み外さないように一段一段気を付けて階段を降り、台所へ包丁を戻した。

 トレーディングルームへ戻ってスレッドを更新する。

 スレッドは過去に増山家が関わったトラブルで盛り上がっていた。自分の知らない武勇伝もあった。

 そこそこ面白かったが、どれも仮に殺人事件として、家族まで殺すほどの憎しみにつながるものはないように思えた。

 

 明日は月曜日だ。市場が空くと同時に再び警察の訪問もあるかもしれない。

 身なりだけはきれいにしておこうと、食べかけのスナックを丸めて封をしてから風呂へ向かった。


 明かりを消した風呂の中で、湯船に浮かべたバスライトを見つめていた。

 ラベンダーの香りに満ちた浴室の中に、くだらないラジオの音声が流れている。

 と、とたんその雰囲気を切り裂くように、窓の外から「ぎえー!」と大きな声が飛び込んできた。

 隣人の声に似ているがこれはハクビシンだ。

 

 お金が入っても、寝具だけは変えなかった。

 お気に入りの寝間着にお気に入りの少しくたびれた寝具。

 また明日から休日までの暇つぶしが始まるのだ。



4.

 この世の終わりのような真っ赤な夕焼けだった。

 現実感がなく、ふわふわとしていて、物の輪郭がくっきりと浮き上がっていた。

 自分は勝手口をあけ隣の家を見ていた。

 勝手口から隣家の正面と、その前に広がる庭が臨めた。

 庭には人間は誰もいなかった。人間は。

 ただ庭の中央に、黒くて太い大きな丸太のようなものが伸びたり縮んだりしていた。


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