5・流火に揺らぐ雛の鳥
『鶏が産んだ卵から生まれる雛は、必ずしも鶏の子とは限らない。親鳥は鶏かも知れないが、子は別の鳥として進化の道を歩む最初の鳥かもしれないのだ』
霞染の森。光をちりばめた氷のような塵が世界を覆い、淡い白に包まれる季節。「雪」と呼ばれる幻想的な結晶が、どこからともなく風に吹かれてやってくる。その輝きは、手の平に触れると、あっという間にその形を変え、消えてしてしまう。
寒い冬にだけ降るという儚い夢。神秘的な舞い。空から訪れている美しく空から飛来するその景色は人々の心を捉えて離さない。
「雪が舞い散ると、また冬が来たのだなと思う、」
雪と同じ色の髪がふわりと揺れる。柘榴石のような瞳が白む空を見上げ、そうつぶやいた。その眼に宿す赤く煌く光は、淡い色の太陽を見つめている。
冬を彩るほんのり輝く太陽を見ると、時間は確実に移り変わり、流れ、過ぎ去っていくと認識できる。
その空にある白い光源は、柔らかな輝きを増し朝の色を告げている。夜のやさしい闇と入れ替わる時刻。その暁の色は、氷の結晶に煌き、とてもやわらかい光に包まれる。
今日のような雪の日には、村の広場で子供たちが喜びの表情で駆けているだろう。彼ら人間は、同じ日常の中、変化しながら無限の中を駈け抜ける。しかし、彼らの時間は有限だ。己のように、日々同じ試行と実行、保存と復元を延々と繰り返しているわけではないのだ。
しかし、だからと言って、その永遠に満ちた体内は、何も感じない。何もない。それをあらわす感情も、表情も持ち合わせてはいない。擬似はできるが、それはあくまで、人の模倣でしかない。その体は、人造。その表情は偽造。組み込まれたことしかできない人形なのだから。
今思う思考も、巨大な情報管理機構の中に符合する「誰かが書き残した記録」があるからに過ぎないのだ。
「そして……これからも、同じ日常は過ぎていく、」
と、そう呟く唇からは、白い息はもれない。赤い眼に映る白の景色をその電脳で処理はしているが、実際に回路内に占めている事象は、異なっている。意識の大部分は、この世界のすべてを見ているのだ。
「雪が積もった、どこまでも続く地平線は美しいのだろうか、」
人々が夢見た世界の「四季」の記録が脳裏をかすめる。その中にある冬の記録は、一面が白に覆われていた。息さえも、白く凍りつく世界だった。
「全ては繰り返し。形を変えて、延々繰り返す。栄えるものは滅び……滅びの中に始まりがある、」
表情のない赤い唇は、そうつぶやいた。
大地にあふれるたくさんの色と同じく輝くたくさんの命を、景色を、赤い瞳で記録しながら、白い機械人形は何事もなかったかのように、次なる命令の実行のため歩き出す。その間にも、決められた試行の繰り返す作業をしている。
「……、」
白い霧の中に、その影は消えていった。
湖に浮かぶ縦帆船は、基本的には風に身を任せ、気ままに湖を帆走っている。その帆船に用がある時には、決められた方法で呼ばなくてはならない。
その方法の中で、一番よく使われているのは、煙を焚く方法だ。風の方向にもよるが、どんなに遅くても、半日のうちに船はその場所へ着く。島に住む人にとっては身近な交通手段であった。
今日も、湖岸で船呼びの合図に使う煙が上がった。その煙が立つ場所は村ではなく、あまり人が寄り付かない森の方角であった。
そこは、霧の森と呼ばれている場所であった。常に、霧を生み出している森で、見通しが非常に悪く、すぐに道を見失ってしまう。しかし、ちいさな森なので、迷いはするが、二度と出られなくなるほど恐ろしいところではない。
なぜこの森にだけ、常に霧が立ち込めているのかは謎であり、何があるのか(逆に、何もないのかもしれないが)、詳しくは誰も知らない。この世界の最後の秘境といっていい。狭い世界とはいえ、未知なる所はあるものなのだ。
そんな霧の森の湖の畔に、人が立っている。風になびく白衣、銀色にも見える淡い紺青の髪。その人物は、今まで会ったことがない人だ。
この狭い世界で会ったことがない人に会うことは、めずらしい。職業柄、様々な場所で人と会い、この世界では誰よりも、人と会っているので、なおさらそう思うのだ。
船長は、船を湖岸につける。
乗って来た人物は、中性的な容貌で、計算された狂いのない整った容姿をしている。全てが霧をまとったような淡い白さの雰囲気を持つ人物だった。
「こんにちは、」
その声は、幼い響きがあった。長身ではあるが、その人物が未だ幼いことを示していた。
「どこまでいきますか?」
船長は尋ねる。
「……向こうに、向こうの村に、」
白い指は指し示す。ヤチボカの村を。
「ヤチボカ村、ですね?」
「そう。その村に雛子がいる。可愛い雛子……可愛そうなな雛子がいる、」
抑揚の少ない声で、はっきりと言う。
「その雛子を、探しにわざわざ村へ?」
「そう。全て、……見ていたから、」
「見ていた?」
船長は目を細め、村の方を見る。
村の輪郭はなんとか見えるが、よほど目がよくても、小さな雛なんて見えるはずがない。そもそも、人の姿さえわからないのだ。
どうやって見ていたというのだろう。
「特別なんだ。ボクの目は、」
日の光で、青銀色に輝く長い前髪の下、赤い瞳が印象的に瞬く。
「……おや、」
その瞳が、船の上を歩く小さな生物をとらえる。
「湖魚がいるんだね。この船には、」
甲板を散歩しているヨンヨンを見て、言う。
「おいらは、ヨンヨンだよーん」
自分のこと話題にさえていることに気がついたヨンヨンは、二人に近づく。
「ボクは、テースキラ、」
彼は微笑むと、白い手でヨンヨンを抱きかかえた。
「この船に、住んでいるの?」
テースキラは、ヨンヨンに問う。
「そうだよーん」
「ボクは、霧の森の中に住んでいる。ずっと昔から、」
話によると、テースキラは、霧の森に住んでいるらしい。
あんなところにも、人が住んでいたのかと、船長は驚いた。霧の森に住む彼は、かなり変わった部類の人間なのだろう。
彼のような、あまり村で見かけない人には、たまに会うのだが、普段どこにいて、どのように生活をしているのか全く分からない。
(あの霧の森に、外とあまり関わりを持たない人たちが集まる秘密の村でもあるのだろうか)
船長はそう思いながらも、船員たちに出発の号令を出す。
風は順風。
風をいっぱいはらんだ船は、あっという間に船をヤチボカ村まで運ぶ。
順調すぎるほどに、湖の上を船は帆走る。
村に到着し、テースキラは船を降りる。
「船、少しだけ、待っててもらえるかな? 雛子を拾ってくるだけだから、」
船を下りると、テースキラは、何の迷いもなく歩き出した。着たばかりだと言うのに、まるで雛がどこにいるのか、知っているかのように、迷いなく歩いていく。
数分後、テースキラは無言で船に戻ってきた。
手には、毛並みがあまりよくない黄色い雛がいた。目をつぶって、口を開いたまま、鳴きもしないでただ震えている。今にも、命の火は消えてしまいそうだ。
「……」
船長は思う。この雛は、もう手遅れかもしれない、と。
しかし、テースキラは悲しい表情はしていない。
「……この状態なら、まだ間に合う。復元屋に行こう、」
相変わらずの無表情で、告げた。
「復元? モイの?」
復元屋といえば、ひとつしかない。あのモイ地下街の最下層に住む、変わり者の復元屋のことだろう。復元屋にならコップを直してもらったことがある。
「彼に会ったことがあるのか。なら話は早い、」
「でも、雛を復元?」
生き物も可能なのかという、疑問がわく。
「この雛子なら可能、」
テースキラは、断言する。
「……僕もついていっていいですか?」
船長は、気になって仕方がないので、ついて行ってもいいか尋ねる。
「かまわないよ。べつに、」
テースキラは承諾した。
「すぐに出発しますね」
今すぐにでも、出航したほうがいいだろう。雛は、あまり良い状態とはいえないのだ。
モイはヤチボカの対岸、風向きは悪いことに逆風気味。船は、順調にモイまでとはいかない。
帆船は風が吹いてくる方向に向かって、帆走らせることはできないのだ。うまく帆の向きを変え、風を捉えつつも、可能な限り風に向かって切り上がりながら、ジグザグに進んでいくしかない。それは、かなり時間がかかってしまうのだ。
「よーん。ひよこさん、だいじょうぶかよーん……」
ヨンヨンは雛が心配になり、テースキラがいる客室へ行く。
部屋に飛び込んだ、ヨンヨンはそこで見た。テースキラの瞳が、くるくると輝いているのを。身体が、白い霧と化しているかのように揺らめいていたのを。
「よよよよーん?」
「……、あぁ、ヨンヨンちゃんか、」
いつの間にか、何事もなかったかのようにテースキラの体は戻っている。ヨンヨンには、何がなんだか分からなかった。
「なにしてたんだよーん?」
「大気循環に外部から干渉して、空気の流を操作することで……、」
口をぽかんと開けて固まっているヨンヨンを見て、テースキラは説明を中断した。
「……つまり、風と友達なんだよ。ボクは、」
テースキラの赤眼は細く、微笑む。
「これは、秘密だよ、ヨンヨンちゃん。ボクと君、ふたりだけの、」
柘榴石のように赤い瞳の中が、くるりと回った。
……風の向きが、変わってきている。
「この風ならば、速く着きそうだ」
不思議なことに、今日は風の流れが味方している。天が雛を助けるためなのか。
「途中で、また風が変わらないことだけを祈ろう……」
今は、あの雛のためにできることといったら、それだけしかないのだ。
風は変わることなく、船は無事にモイ地下街に着いた。相変わらず、モイは酒場のある商店街だけが賑わっている。そのフロアを過ぎてしまえば、そこは薄暗く人の姿はなくなる。自分たちの足音だけが響いていく。
地下街の最下層には、ぽつんと一軒の店がある。『なんでも復元します、復元屋』という古びた看板が見えてくる。相変わらず入りづらい雰囲気の薄暗い店である。
様々な容器が並ぶ部屋の奥で、アラクは机に肘をついて椅子に座り、ただぼんやりと虚空を見上げていた。それが彼の定位置なのだろうか。
「いらっしゃい。ここは復元屋。剣や盾はもちろん、コップも、限りなく元のとおりに、復元しますよ……」
来客に気が付いた店主が、決まりごとのように言葉を並べる。相変わらず、不健康そうな、眠そうな黒い瞳が気だるそうにしている。
「む、誰かと思えば。……君が、森から出てくるとは珍しい」
表情一つ変えず、しかし、昔からの友人との再会を懐かしんでいた。
「……この停滞した小さな世界は、揺らぎはじめている、」
「そうか」
アラクはそう短く言った。意味不明な会話だが、ただそれだけで多くを語らなくとも、この二人には伝わる何かがあるのだろう。
アラクとテースキラ、二人並んでみると、そこは不思議な空間に感じる。
日のあたらない地下に住む生物の世界のような。二人の肌は、濃く暗い地下街の中にあっても、闇に染まることなく白く淡い。類は友を呼ぶ。船長は、そう思った。
「それはそうと……何を復元しよう?」
アラクは、本題に入る。
「この子を、」
テースキラは、弱った雛を差し出した。
「雛子の復元か……やってみよう……」
そして、アラクはその雛を透明な容器にそっと置いた。
「この弱った雛子……」
アラクは、雛に手をかざす。どのような仕組みで、どのような働きによって、それが起こるのかわからない。注意深くよく見ていても、何が起こっているのか分からなかった。
「あっという間、この通り、もとどおり!」
息も絶え絶えであった雛が、もう元気よくひよひよと歌っていた。雛は、無事に復元されたのだ!
「いつもありがとう、」
雛を受け取りながらテースキラは、礼をいう。
雛はテースキラの手の中で「ひよ、ひよ、」と鳴いている。雛の黒い瞳の中には力強い光が宿り、自らの足で立っている。先ほどまで死にかけていたとは思えない状態だ。
「キミはすっかり直った。村に戻ったらこれまでと同じように過ごすと良い、」
テースキラと目が合うと、それに答えるように、雛の黒い瞳の奥は、くるりと回った。
「何か、何かが、普通の雛と違うような……」
元気になったひよこを見て、船長は言い知れぬ違和を感じるのだ。
「船長さん。『普通』というのは、先入観の問題なんだよ。これは、間違いなく雛子であり、しかし、限りなく本物に近く復元された雛子でもある……」
アラクはそう言うのだが、船長は何かモヤモヤとして納得できなかった。
★よんよんの秘密の日記「それって、ぴよこ?」★
かぜさんと おともだちの てーすきらさんが
ひよこさんを よみのくにから つれもどす
ふしぎで そーだいな ものがたり
だったような きが するよーん
あんまり ひんぱんに おともだちに たのみごとを したのが わかっちゃうと
しすてむさんが ししょう? になって おこっちゃう らしいよーん
だから ふたりだけの ひみつのやくそく なんだってよーん
でも おいらには むずかしくて よくわからなかったよーん