2・船の上の湖魚
『――妖精が羽ばたけば、煌めきを乗せて世界へ舞い落ちる。生まれては消える、輝く氷晶の砂』
船には、人懐っこい性格で好奇心が旺盛な魚の子がいる。名前はヨンヨン。「よ~ん」が口癖、だからヨンヨン。そういう安易な理由でつけられた名前である。
ヨンヨンは水から出て、外を出歩くことができる。エラ呼吸だけではなく、肺呼吸ができるのだ。乾燥に強い鱗も持っている。炎天下や極端に乾燥した場所でなければ、水槽の外に一日中いても平気なのだ。
しかし、水槽の外でも平気とはいえ、地上を移動するのは苦手であった。段差を飛び越えるもの一苦労、固く閉ざされた戸も開けられない。
特に階段は苦手で、いくらヒレを伸ばしても上の段には届かず、降りるにしても尻尾は下の段に届かない。重力に任せて転がり落ちることはできるが、いくら硬いウロコを持っているとはいえ着地の衝撃は痛いのである。
そして、そんな痛い思いをして下の階に降りても、階段を登る手段はなく、誰かの助けを借りなくては家である水槽に帰れなくなる。そのため、ヨンヨンが一匹で気軽に行くことができる場所は限られていた。
「よーん。おいら、おなかが、すいたのよ~ん」
難しい本を読んで、体が糖分を求めはじめたのだ。ヨンヨンは飼い主の少年に空腹を訴えた。
いつも食事をする食堂は少年の部屋とは別の階層にある。そこへ行くには階段を使わなくてはならない。階段が苦手なヨンヨンは、食べ物の貰える場所まで連れて行ってもらおうという、思いがあった。
「おや、そうなのかい? じゃあ、行こうか」
少年は椅子から立ち上がり、ヨンヨンの腹の下に両手を入れて持ち上げる。
「ありがとうなのよ~ん」
船のマスコットとして人気者であるヨンヨンは、声さえかければ望んだ場所へ行くことができた。その足となる者の確保には困ったことはないのである。
厨房では、数人の料理人が各自の仕事をしていた。
「ああ、しまった。肉を切らしてしまった」
食料の保存庫を見て、料理長が困っていた。船に乗る客が多い時には、食材が足りなくなってしまうのだ。
小さな湖を運航する船は、長期に渡るような長い航海をするわけではない。なので、多くの食料を確保していないのだ。
逆に、食材がすぐなくなるので、いつも野菜や肉を仕入れることになり、新鮮なものが料理に使える利点もあるのだが。
「今日は、お客が急に増えたからなぁ……」
陸路が何らかの理由で使えなくなると、船を利用する客が一時的に増えるのだ。
「仕方ない、肉の代わりに魚を使おう。そろそろ何匹か釣れた頃だろうし」
こういうときのために、あの釣りバカがいるのだ。
しかし、誰がヤツの元へ行くのか。厨房の人は、誰も手が離せない。しかし、そんな時でも大丈夫。目の前に適任がいるのだ。
料理長は、ヨンヨンを厨房に連れてきた飼い主の少年を見る。
「船長、あの釣りバカから、何匹かもらってきてくれないかな。きっと、今日も甲板で釣りをしているだろうから。……ヨンヨンちゃんには、ご飯をあげておくよ」
「分かりました。料理長、ヨンヨンをお願いします」
料理長の依頼を受け、少年はヨンヨンを託し、甲板へ向かう。こういう雑用を頼まれるのはいつものことなのだ。
「ふぅ……寒い」
吐く息はほんのりと白く色づき、湖岸の森や平原雪の白と混じり消えていく。
島と湖に訪れる短い季節、冬。
数年に一度しか訪れない白い精霊に、子供たちは喜び、白銀の世界を一日中駆け回る。
甲板には、乗客の子どもたちが作ったであろう雪の作品が並んでいた。
「今日はどこで釣りをしているのやら」
雪は積もっていたが天気は良い。こんなに天気が良いと、釣りもしたくなる気持ちは分かる。
少年は、釣りをして、さぼって……いや、食料調達をしている船員を探す。食料調達という立派な仕事といえば仕事なので、釣りに関しては大目にみている部分はあるのだが、彼本来の仕事は、さぼらないでほしいと、常々思ってはいる。
「あ、いたいた。調子はどうだい?」
どうどうと釣りをしている壮年に話しかける。
「釣れていたら魚を分けてくれないかな? 料理で使いたいらしいから」
「あいよ! お安い御用、今日もたくさん釣れたから、持ってきな!」
バケツいっぱいの魚を受け取る。釣りの腕は、なかなかなのである。
「こうやって湖風の中、釣りができるって、すばらしい。釣りは誰にでもできる簡単な娯楽だな」
「娯楽も良いけれど、仕事もね」
「あいよ、船長!」
返事だけなのは、分かっているのだけれども。
「これだけあれば、大丈夫だろう」
少年は、魚を厨房に届ける。
「おお、ありがとう。いつもすまないね。ヨンヨンちゃんは、食堂にいるよ」
料理長は魚を受け取りと、調理にかかる。
「とんとんとん♪ 包丁は、太鼓の音を奏でて♪ シャキシャキシャキ! 野菜は、フレッシュ1番♪ リフレッシュ2番♪ ぱふぱふぱふ♪ぽんぽんぽん♪ 小麦粉舞う、粉雪のワルツ♪ じゅーじゅーじゅー♪ ジューシーな旋律は舞い降りる♪ 湖の幸!」
料理長は、歌いながら、次々に魚料理を作り上げていく。
魚を料理長に渡したので、ご飯を食べているであろうヨンヨンの元へ向かった。
食堂では、ヨンヨンが食器に顔を埋めて、懸命に食べている。よほどお腹がすいていたのだろう。
少年はヨンヨンが食べ終わるのを待った。
「おいしかったよ~ん」
ヨンヨンは、満足そうにしている。
「おいら、えねるぎーまんたんよーん! げんき、いっぱいよ~ん」
ヨンヨンは、少し膨れた腹をエラでパタパタと叩く。
「そういえば、外は雪が積もっていたよ」
少年はヨンヨンに語る。
「ゆきって、なによーん?」
「……そういえば、ヨンヨンは雪は初めてか……いや、生まれたばかりの頃、一度体験しているか。きっと、覚えていないだろうけれど……」
そう言う少年も、雪は数えるほどしか見たことがない。それほど冷えこむことは稀なのである。
「ヨンヨン、あっちの窓から外が見えるよ」
少年はヨンヨンと窓辺に向かう。食堂からは湖の景色が一望できる。
暖かな船内によって、霜が溶けて雫の滴り落ちる窓を、袖で拭く。
「ほら、あの白いのが雪だよ」
窓の外は、冬の色に染まって白く輝いている。
「よーん! こおりのひかりがきれいだよーん。こおりのようせいさんが、おどっているみたいだよーん。すごいよ~ん! きれいだよ~ん!」
ヨンヨンは、空からやってくる白い形の結晶には興味津々で、きらめく氷の細にすっかり釘付けだ。おそらく硝子に鱗のあとが残るだろう、それほど夢中になって眺めていた。
「おそとにたくさんある、まるいものは、なによーん?」
ヨンヨンは少年を見上げる。
「雪だるまのことかな?」
甲板には、子供たちが作った雪だるまがいくつかある。様々な大きさの、色々な顔の雪だるまが、たたずんでいた。
「おいら、おそとに、でたいよ~ん。ゆきを、ちかくで、みたいのよーん」
ヨンヨンは寒いのは少し苦手だけれど、好奇心のほうが勝るのだ。
「じゃあ、行こうか」
少年は、ヨンヨンを両手で持ち上げる。そして、一人と一匹は甲板へ向かうのだった。
「よ、よーん。さむいよーん」
凍てついて、痛みに似たものを感じる風が、ヨンヨンの鱗の肌を刺す。
「部屋に戻るかい?」
「すこしなら、だいじょうぶだよーん」
「あまり、無理はしないでね」
ヨンヨンは、雪かきですっかり雪のなくなった甲板を進み、雪だるまの前に立つ。
「このゆきだるま、ハシビロコウみたいよーん」
それは、おかしな形をした雪だるまだった。
確かに球体を二つ重ねた普通の雪だるまの形ではない。頭部は大きな楕円形で、見ようによっては、ハシビロコウの大きな嘴にも見えなくはない。
「ハシビロコウは、こわいよーん。あのおおきないかついかおが、こわいのよ~ん」
嘴広鸛 。それは全長約1.2m、体重約5kgの大型の鳥である。肺魚が好物で、その広く大きなくちばしでくわえ、丸呑みする恐ろしい鳥である。
虫や爬虫類を生理的に苦手とする人間がいるように、巨大な鳥に恐怖を感じてしまう魚もいるのだ。一説には、大昔にヨンヨンの先祖である肺魚たちが、ハシビロコウに捕食されていたせいで、その恐怖が遺伝子に刻まれているのではないかと言われている。
「ハシビロコウのゆきだるま。いま、うごいたような、きがするよーん」
ヨンヨンはその雪だるまが、気になって仕方なくなってしまう。ヨンヨンが怖いもの見たさで近づいたその時、雪だるまが激しく揺れ動いた。
「よーん!? ハシビロコウに、おそわれるのよーん! イヤだよーん」
ヨンヨンは悲鳴をあげた。
「いえーい。大成功ですぅ」
「ですぅ〜」
どろん!と、白い蒸気をあげて、雪だるまが崩れ、中から現れたのは、小さな二匹の狐であった。
二匹は手と手を取り合い、お互いがお互いを紹介する。
「こちらは、玉殿ですぅー」
白くてきれいなふさふさの胸毛が生えている狐の子は言う。
「こちらは、房殿ですぅ」
玉の首飾りをしている白い狐の子が言う。
「ふたりは、たまふさ!」
そして、二匹は、左右対称な決めポーズを決める。
「……よーん、たまどの、ふさどの、だったよーん! びっくりしたよーん」
雪だるまから出てきたのは、ヨンヨンの友達である玉殿と房殿であった。
「き、キツネショー。どうだった、でですぅ?」
「で、です、すぅー」
ほのかに震えている白狐たち。
「……だいじょうぶ、よーん?」
心配してヨンヨンは声をかける。
「し、心配は、む、無用ですぅ!」
「た、玉と房の毛皮は、さ、寒さに強い素晴らしい毛皮なのですぅ~」
いたずら好きな二匹は、誰かを驚かすために、キツネに伝わる魔法の葉っぱを頭にのせて雪だるまに化け、機会を伺っていたらしい。
「みんな、温かいお風呂に入るかい?」
凍える小狐を見かねて少年は、魚と子狐の三匹を船室に連れて行くのでした。
船に歌が響く。それは、ヨンヨンと玉殿と房殿の歌うお風呂の歌。
「おふーろー♪ 熱くない様に、湯をかきまわーすよーん♪」
魚であるヨンヨンは、熱いお風呂には入れない。実際にお風呂に入っているのは、白狐の玉殿と房殿。ヨンヨンは、隣の洗面器にぬるま湯を入れ、体を浸している。
「おふーろー♪ 熱いお湯は、こまりまっすよーん♪ おふーろ♪ 浸かれば、おいしいだしー♪ 疲れが、とれーるよーん♪」
歌をよく聞いてみると、本来の歌詞から遠く、だいぶ適当な歌詞になっているようだが。
「熱ーい出汁ですぅ♪」
「とれ~るですぅ~♪」
玉殿と房殿の合いの手も入り、さらににぎやかだ。
「おふーろ♪ おふーろ♪ よーん♪ ひろーい、おふーろ♪ よーん♪ せまーい、おふーろ♪ よーん、よーん♪」
「おふろですぅ♪」
「よーんですぅ~♪」
「そろそろ、あがるですぅ♪」
ヨンヨンの歌も一段落したところで、玉殿と房殿は、湯船からあがる。
「温かかったですぅ」
「気持ちよかったですぅ~」
白狐の玉殿と房殿は、お風呂に入ってほっかほか。
「お風呂上りには、あれですぅ」
「一杯やるですぅ~」
ビンに入った飲み物をぐいっと、一気に飲む。
「ほら、ちゃんと拭かないと」
少年は、体もよく拭かないうちに、部屋の中をはしゃぎまわる狐たちに、半ば呆れながらも言う。
「今日は、楽しかったですぅ」
「ヨンヨンちゃんに、これあげるですぅ~」
それは、折り紙でできた緑色の亀(多少の防水仕様)だった。
「友達の印ですぅ~」
「うれしいよーん」
「また来るですぅ」
「ですぅ~」
村の船着き場に着き、幼い2匹の狐は船を降りる。そして、村のはずれにある棲み処に帰っていったのでした。
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おふろは あついから さますよーん
あついおゆに はいると きっと だしが とれるよーん
でも ほんとうに おいらを あつい おゆには いれないで ほしいよーん
ほんとうは おふろは はいりたくないよーん
おゆではなくて やっぱり みずが いちばん だよーん
ゆきは ようせいの はねの きらきらした
はばたきから うまれると おいらは おもうよーん
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おりがめは かめだけれど およげないよーん
だって おりがめは かみ だからよーん
だから にっきちょうの きょうのぺーじに
たいせつに はさんでおいたよーん
絵の提供・隅の人様