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1・大海原へ錨を上げよう!

『――水に船を浮かべるだけで、そこは海となり、遥かなる世界へ続く架け橋となる。それが海のない小さな小さな世界だったとしても……』




 水先案内人(カノープス)が極星の祝福を受け、織女星(リュラ)が北の(そら)で微笑む航海の女神(ポールスター)となって久しい。

 空に青い大気(オゾン)の層が厚くあったのは、昔の話。大陸はすべて海へと沈み、かつては天にそびえていたであろう山々が大海原に小さく散らばる島となっているだけの、何も無い水の(せかい)

 そのわずかに残るその大地でさえ黒に煤けている。黒い砂の溶け込む水は濁り、塵の舞う風は澱み、群青に開けた空には有毒の光が満ちている。オゾン層(そら)に穴が開いているのだ。昼ともなれば、人体に有害な化学線(ひかり)が天から降り注ぐ。


 西(いにしえ)の暦で2000年を数えた頃には、青い大気は星のすべてを覆っていたという記録がある。

 しかし、南極・北極といった、極地から始まったオゾンホールの広がりは、北半球・南半球に侵食していき、その時代から一万年ほど経った今、それは赤道付近に申し訳程度に残っているだけであった。

 その大気に残る層だけでは、太陽から降り注ぐ有害な光は防げない。大量の紫外線により、陸上では動植物の大半が死滅してしまった。


 ――死の星。

 いや、まだ、そうではなかった。それでも、今だにこの星を辛うじて死の星に至らしめていないのは、母なる海がまだ多くの生命を産み出しているからである。

 水と空気は汚染され、多くの生物が住めない環境となってはいたが、毒に満ちた環境であろうともそれに適応する生命はいた。毒に満たされた世界でも何の問題もなく生きている強かなモノ達が。黒く澱んだ海は、一見すると何もいないように見えるが、全く生き物の気配がしないわけではなかったのだ。

 ただし、人類にとってそこは毒の大気、毒の大地であることに変わりはない。半刻も外の空気を吸えば肺の中は黒く煤け、死をもたらす地なのだ。


 滅びゆく未来を憂いた人々は、この星で生きていくために自らの叡智をそそぎ、海中に都市を造った。海面で光は反射するため、海中では地上ほど有害な光が届かないためだ。

 その海中都市は改良に改良を重ね、水に浮かぶ泡のように何千年もの間、海にあった。


 水の星はすでに人のためにない。星と人と共存する道は閉ざされた。星は新たな生命と進化の道を歩みだしていた。この星で人が生きていける場所は、人が作った人のためにある僅かな空間だけであった。


 しかし、忘れてはいけない。我々が今日まで生きてゆけるのは、その海中をたゆとう都市の存在だけではないことを。酸素の大気がまだ厚く存在し、そして何よりも海が残っていたことを。

 海。この存在こそ、それこそが人類にとっては幸いであった。海は急激な温度変化を防ぎ、そして、酸性の色を示すとはいえ、喉を、大地を潤す恵みをもたらしてくれる。


 ――我々は、海に感謝しなくてはいけない。こんなにも傷つけてなお、無償の愛で微笑む母なる海に。





「……は、ウミ、に……しな、くてはい、けない。こんな、にも……つけてなお、……の、アイで……ワラ、む? ハハなるウミ、に……よ~ん?」

 白い帆を風になびかせ、波に揺れる船の一室で、たどたどしい声がする。幼い子供がするように、読める文字だけを声に出し、内容を理解しようとする小さなモノが。

 海について書かれたその本は、くすんだ青い表紙をしている。表題のすぐ下には雲に覆われた丸い星が銀色で描かれていた。明暗に揺らめく室内灯に照らされ、青に映えるその装丁の美しさが、この幼きモノの心を捕らえたのだ。


「よーん……。おいらには、むつかしくて、わからないよ~ん」

 声の主は、読み進めることを断念した。灯りに煌めいたその本に興味を持ち、文字を読み上げてみたものの、いかんせん難しすぎた。

 平仮名はなんとか読めるものの、漢字は数えるくらいしか解読できなかったのだ。しかし、解読できた文字だけで、物語を創造する知能は持ち合わせていた。


「ウミは、アイがいっぱいよ~ん。そして、わらっている、おかあさんが、ウミにいるんだよ~ん。きっとそうだよ~ん。ウミはおかあさんのように、おいらたちを、アイしてくれるのよ~ん。おいらたちが、アイせば、ウミもおいらたちを、アイしてくれるよ~ん。アイは、すばらしいことを、おいらは、しっているよ~ん」

 納得がいく解釈ができたので、その好奇心が旺盛なちいさな者は、満足の声を上げた。


「おいら、ウミが、みてみたくなったよ~ん」

 海というものは絵本で読んで知識として知っていた。その絵本は大海原に船を浮かべて、行く先々で様々な動物に会い、一緒に船旅をするという話だった。その絵本にあった海というものが、愛でいっぱいだったとは、今この時まで知らなかったのだ。


「ウミがみたいと、つたえにいくよ~ん」

 波に揺れる洋燈(ランプ)が肌を照らし、紫水晶 (アメジスト)のように煌めいた。到底、人とは思えない肌である。

 それもそのはず、その本を読んでいたのは人の子ではなく、魚の子だったのだ。その魚の子は肺呼吸が可能なだけではなく、文字を解する知能までも持っていたのだ。


 魚の子はヒレで体を支えながら、机を這うように進む。目的地はすぐそこ、魚の子の飼い主のもとである。

 飼い主である少年は、茶を飲み休息の一時を過ごしていた。猫っ毛な短髪の下にある右眼は黒い眼帯で隠されている。眼帯をしているといっても、眼に怪我を負っているというわけではない。格好いいからという理由だけで、その眼帯をつけているのだ。

 さらに言えば、羽のついた半円の帽子や鉤爪の付いた義手型の武器もあるのだが、日常生活を送るには不便なので、特別な時以外は衣装箱の中で眠ってる。

 そう、少年の着る衣装は、いわゆる物語にあるような典型的な海賊そのものであった。

 魚の子は少年の(うで)を咥え、引っ張った。


「ん? 何だい?」

 少年はカップを机に置き、話しかけてきた魚の子を見る。


「おいら、どうしてもウミがみてみたいよ〜ん。ふねで『おおうなばら』へと、くりだすのよ~ん」

 魚の子は少年にお願いする。

 海賊のような衣装を着こなすこの少年はこの船の船長だ。彼がすべての行き先を決めることを魚の子は知っていた。


「海に? 急にどうして……あぁ、この本は『静寂(しじま)なる海』か」

 少年は、机の上に開かれたままの本を見て思い当たった。その本は何千年も前に書かれた物語である。もはや神話といっても良いほど昔の、この世界の成り立ちを綴ったものである。

 滅びから逃れるために人は小さな世界に移り住んだ。環境が管理された海中の世界は常に平穏で、人々はその中で慎ましく暮らしていた。

 見上げる空は閉ざされた壁。その外界とを隔てる壁によって、人が生きるに耐えうる環境は整ったが、同時に空と海を失うこととなった。閉塞の空間にあって、人は高い空、深い海を忘れることができなかった。

 そして、壁の外を知らぬ世代になっても、伝え聞く空と海の羨望は募り、いつしか人は失われた空の向こうに広がる海の境(ウナサカ)を夢見るようになった、そんな内容である。



「すこし、むつかしかったけれど、うみはアイでいっぱいって、かいてあったのは、わかったのよ~ん。アイでいっぱいは、ステキだよ~ん。ウミにいけば、アイがいっぱいよ〜ん」

 魚の子は、ひょんと跳びあがる。


「ははは、それは斬新な解釈だな」

 少年はそんな魚の子を、やさしいまなざしで見ていた。

「ヨンヨンは、海を見たいのかい?」

 少年船長はヨンヨンと言う名の魚の子をなでながら尋ねた。


「おいら、みたいよ~ん。ぼうけんよ〜ん」

 ヨンヨンは、飼い主の少年に頼み込む。


「ぼうけんねぇ……」

 その言葉を聞いて、少年はそうつぶやいた。


「ろまんろまんよーん。わくわくよ~ん」

 ヨンヨンは嬉々として飛び跳ねる。鱗が光に揺れる。


「それは無理なんだ」

 少年はそんな魚の子を撫でて、落ち着かせる。


「よーん? なんでだよ~ん」

 ヨンヨンは疑問に思う。


 少年は、ため息をついた。そして、この世界のある事実を、口から言葉に出して魚の子に伝える。

「この世界には、海がない……」

 少年は両手をあげる。それこそ、お・て・あ・げ・状態である。


「よ~ん!?」

 ヨンヨンは驚く。

 まさか、海がないとは思わなかったのだ。


「あるのは湖だけ」

 そう、この世界には海はない。この船が浮かんでいる湖と、湖に浮かぶひとつの島しか存在しない。たった一つの島と湖だけの、小さな小さな世界なのだ。


 『静寂なる海』その本は、この世界の成り立ちを示している。しかし、神話はあくまで神話。この世界には湖があり、島がある。そして、空があり、太陽がある。確かにこの世界は小さいが、物語にあるような世界を覆う壁など、どこにも存在しないのだ。






★よんよんの秘密の日記「おおうなばらへ たびだちたい」★

おおうなばらは ひろいよーん

どこまでも すいへいせんだよーん

よーん

このせかいに うみがないけど みず「うみ」があるから

このみず「うみ」の おおうなばらを ぼーけんするよーん

すいへいせんがないけど それはがまんするよーん


挿絵(By みてみん)

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